2006年11月14日 (火)

命の別名

生き返ることを信じているなら死んじまえと暴論を吐いた。しかし、責任ある立場の大人は死んではいけない。卑怯だよ。裏金疑惑の関係者も含め、先生たち、あんたら、ズルイよ。死ねば、あんたは辛いことから逃げられる。もう悩まなくてもいい。すべての苦痛は消える。だけど、残された者たちは、どうするのさ。あんただけラクして、それでいいのかよ。

このぼくだって、生涯に一度だけ、自死を考えたことがある。「このぼく」というのは、知る人にしかわからないことだけど、知人・友人からしたら、絶対に自殺なんかしない楽天家だと思われているということ。そんなヤツでも、仕事でデッドロックに乗り上げることはある。八方塞に陥ったと悲観する。いかなる楽観論も想像できなくなる。

ふと死の誘惑に駆られる。オフィスのあるビルの5階、ここから飛び降りれば死ねるだろう、そしたら、いまのこの痛みからは解放される。こんな苦しみはもうイヤだ。そう思う瞬間があった。だけど、そんなことしても、問題は解決しないんだ。誰かが、ぼくのツケを払うことになるだけ。一死を副えられた人たちは、残された課題に向き合わなくてはいけないのだ。

そして、悲しむ人間がいるんだ。あんたにも愛する者がいるだろう、その人の心が切り刻まれ、号泣するんだ。こんどは、その人が絶望の海へと突き落とされる。その未来を暗黒にすることになるんだぜ。最悪の場合、後追いさせてしまう。あんたは、最愛の人の命まで奪うかもしれない。その責任が取れるのかよ。死を以ってしても贖えないものが、この世にはあるのだ。

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2006年11月13日 (月)

僕たちの将来

再び「たけしの日本教育白書」ネタ。かなり以前から主張しているのだがガキにケータイを持たせてはいけない。クルマ、飲酒・喫煙、一利はあっても害あるものは免許制ではないか。ケータイは究極の個人端末。自己責任そのもの。個の確立していない未成年に何の制限もなく持たしていいわけがない。もちろん大人だって同様だが。

電話機能だけだったらまだしも、間接的な伝達手段であるメールが諸悪の根源。21世紀のいまなお、活字(文字)への信仰が強い。「あいつがウザイ。シカとしよう」、メッセージは瞬時に抵抗なく多数に伝わる。文字は人を殺す。そのうえ、論理を飛び越える画像の恐ろしさ。こうした欠点をきちんと論議してこなかったのは、明らかに怠慢だ。

そもそも、売らんがための無料配布、そんなことが許されてよかったのか。携帯電話会社の責任は大きい。都知事も北野武も太田光も、そして久米宏までもが指摘しないのは不思議だ。大半の小学生が持つというのに有害サイトへのアクセス制限などを説明せずに契約する事実が少なくないそうだ。厳しく取り締まれるはずだ。何故やらない?

竹中某なる者を担当大臣に市場原理至上主義を導入し、あまりにも多くのことを商売にし、かつ商売優先にしたツケは必ず払うことになる。しかし、まだ間に合う。久米宏は「もう後戻りできない」と断定したが、クルマだって当初は運転免許などなかった。いまからでも、年齢制限を課すなど、できることはある。ぼくたちの未来は、ぼくたちが選ぶのだ。

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2006年11月12日 (日)

信じ難いもの

リアルタイムにこだわらないと言いつつ、テレビで特番「たけしの日本教育白書」を観た、その話。8割方は旧知の事実だったが、驚かされることもあった。生まれ変わりを信じているらしい子どもたち。微妙に死を恐れていない。人が死ぬことも自分が死ぬことも、平然と語る小学生。いじめの結果が自殺でも、そりゃ不自然ではない。暴論を言おう、だったら、みんな死んじゃえばいい。

そんなメンタリティでは、大人になっても簡単に人の命を奪うだろう。ちょっと気に食わないことがあっただけで。クラスの中でなら、虐めという共同謀議の構成者だから、まったくの赤の他人ではないが、社会に出たりしたら、道ですれ違っただけの、あなたやあなたの愛する人が被害者になるかもしれない。ぼくは、そんなヤツに殺されたくない。裁判では「殺しても生き返るのだから無罪」と弁明するに違いない。

成績優秀だったりすると罪は拡大する。官僚や為政者にでもなった日には、「庶民の苦しみ」なんて死語だ。過酷な政策を躊躇いなく進めるだろう。その結果、自殺者が増大しても、平気だ。って、あれ、すでに、そんな世の中になってるか……。ともかくも、究極の人殺しである戦争も恐れまい。安易に他国を攻めたがるはずだ。って、これも?

虐めて、自殺に追い込む、つまり殺す。虐殺という。無条件に否定すべきものが、そうはならない。太田光の、たけしの「赤信号、みんなで渡れば恐くない」は逆説なのに、それが出発点になってしまっている、との指摘は正しい。だが、だとしたら、そんな子どもをつくりだしたのは親、大人であり、この社会全体だ。我が祖国に未来などあるものか。

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