2006年12月 5日 (火)

あしたバーボンハウスで

知り合いのブログにコメントつけようとしたら字数オーバー。凝縮してアップしたが、もともとの文で、ここの1回分と気付く。しつこいが、いま修羅場ってるので、それを利用する。二度読みの方、ご容赦。話題のネタ元は「コークハイ」という飲み物。

その昔、つまり奇跡の高度成長期、海外出張の一時期多かった父の土産は「ジョニーウォーカー赤ラベル」こと「ジョニ赤」だった。やがて「黒」へと昇格しつつ、当時は珍しい名前のスコッチをいろいろと。サケといえばウイスキーが定番だった、そんな時代、若いぼくらにとっても同様で、どこで飲むかといえば、友人の下宿か「コンパ」。気軽なバーといった位置づけかな、みんなでワイワイとやるわけだ。居酒屋では、なかった。

いまみたいな全国チェーン店も少なかったし、どこか上司をグチるサラリーマン御用達の雰囲気強く、オヤジ向けと。小料理屋は、しかし、粋なんだけど敷居が高かった。実際、学生やガキの行くところではなかった。20代は「角」を愛飲、シャバに出てそれなりに稼ぐようになってから念願の「だるま」に。このオールドを初めてスナックでボトルキープしたときは、自分もオトナになったなあ~と感慨ひとしお。年上のママに淡い恋心なんぞ抱いたりして。だから、ロック一本槍。水割り? そんなヤワなもの飲めるか……。

閑話休題。土産が「ナポレオン」になったころ、出張先がアジアにシフトした。紹興酒はまだしも、返還前の沖縄から泡盛では、もともと下戸の父には辛く、渡す相手も難しく。家族には、変わったデザインのTシャツやら、チャイナドレスといった品々へ。と、海外は当方の担当に。カリフォルニアワイン、バーボンを好むようになるつれ、スコッチは卒業。帰国後は、いつのまにかファッショナブルになった焼酎がメインに。ウイスキーに接する機会も減っていった。ただ「フォアローゼズ」は好きだったなあ。

あるとき、新潟で地酒をごちそうになった。以来、日本酒党。ずっと、○○とか××とかのナショナルブランドしか知らなくて、そんなの全然ウマイと思わなかった。それが「雪中梅」で驚天動地、こんなに美味なのかと開眼してしまった。もっとも、日本酒はじっくりと味わいたい、楽しく酔いたいので、場所と相手とを選ぶ。仕事の付き合いなどでは、ウーロンハイとか梅割りとかが気楽。けっこうウマイしね。ちなみに、ウイスキーは水割りしか飲めなくなった。要するに、ぼくは酒に弱いのだろう。好きなんだけどね。
★あしたバーボンハウスで(1985)

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