2010年8月12日 (木)

風呂に入る

大阪では、大浴場のあるホテルに泊まった。もちろん、ビジネスホテルで、国際観光ホテル云々ではないから、「大」は大袈裟かな、とはいえ、部屋付きのユニットバスよりは断然ビッグサイズ。我が家のそれに比べても、手足を思いきり伸ばせ、ゆっくりと湯に浸かることができた。

時間制限はあるが、深夜1時までだったかな、だから、問題なく。ぼくが入ったのは12時前あたりで、幸い独占できたから、なおさら心地よく。出る直前に2人の男性(当たり前だね、女性だったらエライことに^^;;)、トータル3人でも、まあ、OK。カランが3つあったし。中年のオヤジ5人では、ちょっとツライかな。

料金はリーズナブル。部屋そのものも、ありがちな狭さではなく。繁華街から少しだけ外れているが、アクセスは悪くない。朝食付き、まあ、これは、まさに「サービス」と受け止めるのが適切だろう。ぼくには、挽きたてのコーヒーが飲めただけで十分。

「じゃらん」で探した。天然温泉・源泉掛け流しなんて贅沢なことは、もちろん求めず。ただ、猛暑のなか一日中、そして翌日も、汗をしたたらせ動くことを想像し、ノビノビと風呂に入りたかったのだ。ユニットバスでは嫌だった。

うん、そういうトシになったようだ。あははっ、自分だけで納得している。

かつて、アメリカで生活していた20代、アパートにはシャワーしか付いていなかったけれど、不満は感じなかった。たまに、年に1度か2度か、バスタブに浸かりたいと願う日もあったが、是非とも、というほどでもなかった。

ところが、日本から仕事・観光を問わずやってくる知友の「おじさん」たちは、まず日本食、次に風呂を要望した。前者は、当方も多少は食べたいなと思うし、街中でいくらでも叶えられるから、ともかくも、困ったのは風呂。ホテルを決めてくるケースが多いので、現地で唐突に訊かれても対処の仕様がない。こちらで宿泊場所をアレンジする場合は、さらに困惑した。日本系の資本であってもホテルはホテル、バスルームの設備については母国と変わらない。といって、和式旅館などない。つまり、彼の地で大浴場なんて、無理な相談なのだ。

「おばさん」たちも似たようなものだったが、適応能力があるというのか、ダメだと応じると諦めてくれた。同世代は、そもそも、そんな要求をしない。が、おっさんは、しつこい。「入った気がしない」とのボヤキを、どれほど聞かされたことか。そのたびに、強く思った。ほんの数日のことではないか、シャワーで我慢しなさいな、ここはアメリカなんだもの、と。

異国で暮らしていると、部分的にはジャパン・アズ・ナンバーワンの「愛国者」になるものだが、このあたりの習慣に関しては、「非国民」だった。和食スタイルでも、米のご飯がなければ食べた気がしない、ということはなく、薄いアメリカンコーヒーにも慣れた。シャワーのみの生活も同様。

いつしか、あの「おじさん」たちの年齢に追いつき、追い越している。

いまのこの季節の何日かは、および朝なら、シャワーでいいや、と。そう、夏場でも基本はバスタブ。そうでないと、風呂に入ったという実感が、ないとまでは言わないが、極めて薄い。肩までどっぷりと浸かり、目を閉じ、好からぬことを妄想したり、来し方行く末を思い、鼻歌まじりで……。

最近では常套句になったみたいたが、ほんに、トシは取ってみるものだ。齢を重ねると、己を再発見する。いやはや、実に、面白い。

まったくの蛇足。
仕事が一段落した。おぉ、世間はお盆休み・帰省ラッシュとな。期せずして人並みに、しばしのオフ。相方も、ようやくの一区切り。幸い。やっと、土産を手渡せた。何を? あはっ、公開するほどのモノではない。んぢゃ、わざわざ書くなって? うん、ま、そうなんだけど、妙に、うちらのこと気にする読者、いらっしゃって……。

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2006年12月 5日 (火)

あしたバーボンハウスで

知り合いのブログにコメントつけようとしたら字数オーバー。凝縮してアップしたが、もともとの文で、ここの1回分と気付く。しつこいが、いま修羅場ってるので、それを利用する。二度読みの方、ご容赦。話題のネタ元は「コークハイ」という飲み物。

その昔、つまり奇跡の高度成長期、海外出張の一時期多かった父の土産は「ジョニーウォーカー赤ラベル」こと「ジョニ赤」だった。やがて「黒」へと昇格しつつ、当時は珍しい名前のスコッチをいろいろと。サケといえばウイスキーが定番だった、そんな時代、若いぼくらにとっても同様で、どこで飲むかといえば、友人の下宿か「コンパ」。気軽なバーといった位置づけかな、みんなでワイワイとやるわけだ。居酒屋では、なかった。

いまみたいな全国チェーン店も少なかったし、どこか上司をグチるサラリーマン御用達の雰囲気強く、オヤジ向けと。小料理屋は、しかし、粋なんだけど敷居が高かった。実際、学生やガキの行くところではなかった。20代は「角」を愛飲、シャバに出てそれなりに稼ぐようになってから念願の「だるま」に。このオールドを初めてスナックでボトルキープしたときは、自分もオトナになったなあ~と感慨ひとしお。年上のママに淡い恋心なんぞ抱いたりして。だから、ロック一本槍。水割り? そんなヤワなもの飲めるか……。

閑話休題。土産が「ナポレオン」になったころ、出張先がアジアにシフトした。紹興酒はまだしも、返還前の沖縄から泡盛では、もともと下戸の父には辛く、渡す相手も難しく。家族には、変わったデザインのTシャツやら、チャイナドレスといった品々へ。と、海外は当方の担当に。カリフォルニアワイン、バーボンを好むようになるつれ、スコッチは卒業。帰国後は、いつのまにかファッショナブルになった焼酎がメインに。ウイスキーに接する機会も減っていった。ただ「フォアローゼズ」は好きだったなあ。

あるとき、新潟で地酒をごちそうになった。以来、日本酒党。ずっと、○○とか××とかのナショナルブランドしか知らなくて、そんなの全然ウマイと思わなかった。それが「雪中梅」で驚天動地、こんなに美味なのかと開眼してしまった。もっとも、日本酒はじっくりと味わいたい、楽しく酔いたいので、場所と相手とを選ぶ。仕事の付き合いなどでは、ウーロンハイとか梅割りとかが気楽。けっこうウマイしね。ちなみに、ウイスキーは水割りしか飲めなくなった。要するに、ぼくは酒に弱いのだろう。好きなんだけどね。
★あしたバーボンハウスで(1985)

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