2009年11月30日 (月)

「ふたり」

女性を愛せない、恋に臆病な男が増えているらしい。その逆もありで、異性とのつきあいがメンドー、とか、煩わしい、とか。
その感覚、もちろん全否定はしない。
そもそも人間関係なんて、いまも昔も面倒だろう、とくに現代では複雑怪奇。理由無く人を殺す輩がいる時代、他人に関わるのが嫌でも、そんなに不思議じゃない。
恋愛ともなれば、さまざまな要素が絡み、流動的というのか可変数が多すぎる。マニュアルも、実際には役に立たないしね。たいがいは、思い通りには進まない。
結婚の二文字が見えてくると、当人同士を超える利害も生じる。
確かに、コトは単純じゃない。

犬猫のほうが、よほどカワイイ。それも、わかる。
言葉を話さないから、憎まれ口も叩かないし、「わたしのことを愛しているか」などと詰問もしない。お節介な親戚もいない。犬のストーカーは、いまい。いても、許せる気がする。マザコンの猫も、まあ、騒ぎ立てることはない。ともかく、自然に親身の愛情を注げるというもの。

飼育すら厄介なら、ぬいぐるみやフィギュアがいい。もはや、おなかがすいたと吼えることもないし、下の世話も不要。病気もしないし、不妊手術の必要もない。もっとも、洋服代は掛かるみたいだが。なにしろ、口ごたえしない。こちらの思うままだ。

なんにしても、生身の人間は、一筋縄ではいかない。
でもね、ぼくには、だからこそ、楽しいんだけどなあ~。
予測のつかないことがあるから、おもしろいと思うんだけどなあ~。

『ラースと、その彼女』という映画を観た。対人関係を築くのが下手な主人公、やっとできたカノジョは、人形だった、それも、さすがの当方も書くのが恥ずかしい、大人のためのドール(察してネ)、という、下ネタ満載の喜劇かと思えば、これが、ちょいとアレでね。
コミカルなシーンは多いものの、この人形を恋人の女性として紹介するラースに対して、アメリカの片田舎の人々は優しく、「アブナイ奴」とは非難せず、その妄想につきあう。何だか、コミュニティのパワーを感じさせる。
さておき、周囲が認知してしまうと、ただの怪しげな(妖しげな)人形が、大袈裟な言い方すれば、人格を持ち始めるのだ。「カノジョにボランティアしてもらいたい」との申し出に「二人の時間が無くなってしまう」と駄々をこねる主人公だが、誰もが人間扱いするようになると、リアルな人間であるかどうか、どうでもいいことに思えてくる。

監督の思惑がどこにあるのか、よく知らないし、ことさら言及するのはやめるが、ラストシーン近くでは、ほとんど哲学的な「妄想」に囚われてしまった当方。これは、ほんとに、人形なのか……。言葉を話さないが、歩かないが、食事を摂らないが、しかし、病を患った結果、そのような状態の人は、珍しくない。

皆が人間として認めたら、人形も人間と化す。では、人形と人間の境は、どこにあるのだろうか。

さて、反対に、誰の賛同も得られなければ、本人がいかに主張しようと、人形は人形のままである、のかな。

実は、拙宅には、2体のぬいぐるみがいて、こいつらとはもう30年のつきあいで、もちろん名前もあって、ぼくは、まるで生き物かのように接していて、相方の失笑を買っているのだが、どんなに古びても、捨てるなんて選択肢は考えられず、我が棺に入れてもらいたいと思う(ここでまた嗤われる)ほどに執着している。

ぼくは、べつに人嫌いじゃないし、むしろネットでも電話でもリアルでも語り合ったりするのが好きだし、とくに女性は生身にかぎると思うし(相方頷く)、フィギュアには特段の興味はないけれど、この「ふたり」は別格だ。

こいつらには魂が宿っていると信じて疑わない。

おかしなカミングアウトと映画と、いったいどう関係するのか、よくわからなくなってきたので、もうじき師走だし、このへんで。

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2009年11月13日 (金)

巧言令色鮮矣仁

タイトルは本文と関係ありません。って……coldsweats01 いや、TBS日曜劇場「JIN -仁-」について一言、どうしても。

なかなか面白いとは思う。相方も同意見。とりあえず、毎回けっこう楽しく観ている。別に、綾瀬はるかが出演しているから、ではなく。続きはどうなるのか、ちょっとワクワクしながら期待もする。実際、視聴率は好いし、この記事のためにネットをざっと検索すると、高い評価が多いこともわかった。

だけど……。ひとつだけ、引っかかっている。

言葉は通じるのか、という点だ。江戸末期、いまから150年ほど昔である。それほどの過去ではない。現代日本語との共通点は少なくあるまい。専門用語や外来語および外国語本体は無理だとしても、なんとかコミュニケーションは成立するだろう。

とはいえ、幕末に生きる武士や町人たちと現代人との会話が、ハナから難なく成立するとの展開は、いささか無理があるのではないか。まずは、喋りのスピードがまったく異なるはずで、江戸の人間に主人公・仁の話す言葉が聞き取れるのか。かなり疑問に思っている。

1970年代後半に日本を離れていた当方、帰国して初めて「THE MANZAI」とも表記される、たとえば紳助竜介やツービートらの漫才に接し、ほとんど理解できなかった。かれらの早口が聞き取れなかったのである。日常会話なら不便は感じなかった。でも、そのシャベクリに慣れるのには多少の年月が必要だった。

そのころの記憶では、たしか、NHKのアナウンサーの話す速度は1960年代には1分間に約300文字だったものが、約350文字になった、とか。現在では、400文字あたりか。たった2、3割であるが、これでもう、高齢者からは「もう少し、ゆっくり喋ってくれないと、わかりにくい」という声が出ていると聞く。

1世紀を超える年月を経て、ぼくらの会話はどれほどスピードアップしたのだろう。もちろん、それだけでなく、発音や単語そのものも大きく変化したはずである。また、鼻音。いまなお吉永小百合は使えるそうだが、ぼくはダメだ。違いすら判別できない。

仁クンが三代続いた江戸っ子で、べらんめぇ調の言葉を理解する人間という設定なら、あまり心配しなくていいかも。だけど、そうではないみたいだし。「頑張りましょう」なんて、仁クンは気軽に口にし、相手もわかったふうだが、本当に? 逆も、同様。ちなみに、ドラマには書き文字も登場する。

もちろん、所詮はフィクションだから、そんなに目くじら立てて批判することもないだろう。だけど、幕末期には存在しなかったペニシリンを現代知識により作り出してしまう、という展開でもあって、そこんとこは医学的に可能との判断はあるとして、それゆえに、「スゴイ、江戸時代でも点滴ができるんだ」などと、観る者に感動を与えているわけで。

そのうえ、主人公は、それなりにタイムパラドックスの問題で悩んだりもする。意思疎通に関しても、時代考証は加えているに違いないだろうけれど、言葉の壁って存外、高いのではないか。せめて、初回くらいは、もっとギャップを描いてもらいたかった。

これが、鎌倉時代とか平安期となれば、もう生き証人は存在しないし、乱暴に言えば、通じるわけがないから、そこは目をつむるとしても構わない。でも、ぼくらの幼いころには明治生まれは当たり前に居たし、維新前の人もギリギリ存命だった。無視はできない。

物語では、多少のスレ違いは描かれているものの、コミュニケーションに支障はないようだ。21世紀に生きていた現代人は、食べ物も含め幕末の世界・習俗に瞬く間に馴染んでしまったように見える。そこのところが、どうにも納得しにくいのである。

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2009年11月 9日 (月)

ファイナル・フロンティア

2009年版『スター・トレック』を観た。流行りの、いわゆる「ビキニングもの」「ゼロもの」の範疇かな、映画自体も面白かったが、その部分での満足度、深く。いつになく、余韻に浸っている。

1960年代のテレビドラマシリーズで、本国アメリカのみならず日本でも人気は高く、やがて映画化され、その11作目。テレビドラマのほうも新しいシリーズが作成されたりして、40年以上経ったいまも熱狂的ファンは少なくない。

こんな説明、「トレッキー」または「トレッカー」と呼ばれるマニアなら不要だが、小生ていどのレベルでも、「あの」という形容詞をつけたくなる、SFの古典である。名前くらいは知っている人、けっこう多いのでは?

日本では『宇宙大作戦』(のち『宇宙パトロール』に改題。もっとも記憶にはないけど)という邦題だった。ビデオ録画の手段がない時代だから、全作品は観ていないと思う。でも、「ワープ航法」を駆使しつつ宇宙深く探査を続け、さまざまな文明や生命体との、まさに未知との遭遇ストーリーにワクワクしたものだ。なにより、冒頭のナレーション。

映画版第1作は1979年、どこかで書いたかな、滞米中に観た。もちろん原語のみで、ちょっと不明な箇所もあったけれど、とにかく興奮した。人気テレビシリーズの映画化は、いまでは当たり前だけど、当時は、『スーパーマン』も同類で、このあたりが走りだったんじゃないかな。主役級の俳優たちの少しトシをとった姿は、なんだか同窓会のようで。

以後、オリジナルメンバーによる5作(計6本)は日本で。映画館でか、それともレンタルかテレビ放映か、忘れたけど、いずれも楽しんだ。ちなみに、マイベストは第4作目。7作目からは設定や俳優が変わり、第2世代に移った。その後、テレビシリーズでは第3世代へと進んでいるようだが、そこらへんは観てない。

今回の09年版は、オリジナルにつながるストーリーだから、ある種の予定調和というか、いや、その逆バージョン、ん? それも不正確な表現かなあ。要するに、メイン・キャストの若きころが描かれているわけだが、「これが、あのカークの船長としてのスタートか」とか、「論理のスポックも若いときは感情的だったんだね」とか、「ドクターが『ボーンズ』と呼ばれるのには、こういう理由があったのか」とか、まあ、そういう「原点を覗く」楽しみ。そうした意味で、すこぶる堪能した。

それにしても、トボけた演技が味わい深かったドクターことディフォレスト・ケリー、すでに亡く。スポックとの掛け合い漫才のような会話、幾たびも笑わされた。新シリーズ化されたら、また再び、楽しめるのかな。

ちなみに、生みの親であるジーン・ロッデンベリーと、機関長スコットを演じたジェームズ・ドゥーアンの両氏は、世界初の宇宙葬で、その遺灰は宇宙の彼方へと打ち上げられたという。羨ましい。

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2009年8月23日 (日)

官僚たちの夏

そもそもは、夏ドラマのなかでは最も注目の「官僚たちの夏」の初回で少し感じるものがあったので、そのあたりのことを書こうと思ったのだが、とりあえず2、3回は観ないと一方的になるかな、と、「夏」にちなんでのネタを挟んでいたら、なんとなく、時機を逸した、かも。

低視聴率(10%前後とか)が表すように、やはり、期待外れだと思うのは当方だけではないようだ。暑い夏に相応しくないのは承知の、熱いドラマ。いや、あまりにアツすぎる。そこに、どうしても違和感が拭えない。さらには、近過去ものの難しさ。「結果」を知る立場の評は当然、厳しくなるはずだが、そのハードルの高さを越えるだけの驚きがない。残念。

構造的には幕末もの、戦国時代ものも同様なのだけれども、その時代に生きていた視聴者はもういない。明治ももはや完全に歴史の彼方であり、だから史実を多少逸脱しても許される。いや、戦国武将など、どうあがいても言葉遣いをはじめ正しくは再現できないのだから、想像の羽を思い切って広げるほうが、楽しい。
蛇足ながら「天地人」はあまりにも現代的「愛」に拘りすぎて、逆につまらない。山本勘助のときもそうだったのだが、主人公の「人間性」やら「偉業」についての自由度が低すぎる。織田信長が果たしてどれほどの「革命家」だったのか、いささか疑ってしまうこともあるけれど、常に魅力的に描かれるのは、つまりはスゴイやつだったのだろう、そう思い込める。実際、兼続に比べ謙信やら秀吉のほうが、よほどアピール度が高い。俳優の力? それを言っちゃ……。

さて。「官僚たちの夏」の舞台は戦後であり、記憶に新しい。ある種のドキュメンタリーでもある。さほど脚色できないのは、理解できる。が、そこをうまく処理するのがドラマ制作に関わる人間の腕の見せ所ではないのか。せっかく役者が揃っているのに、ドラマチックではない。非常に優れた「再現ドラマ」とでも言おうか。
ただただ熱く天下国家を論じられても、それが原作どおりだとしても、感情移入できない。なぜなら、ぼくらは今、「国内派」の保護政策のツケを支払っているからだ。同時に、「国際派」の言い分にも素直に頷けない。昭和30年代に市場開放していたら、その後の奇跡の高度成長がありえなかったかもしれないと知っているからである。

そのうえに、たしかに、無私の官僚が存在したし、あのころの志は高かったと回顧することはできるけれど、それらがすでに単なるノスタルジアであることも、高級官僚の汚職・天下りが珍しくなくなった今日、認めざるを得ない。俗っぽくいえば、「三丁目の夕日」に代表される、センチメンタルな「ないものねだり」だ。

城山三郎は1970年代前半にこれを書いている。昭和40年代。私見ながら、かろうじて「戦後」だった時期である。しかし、もはや21世紀、平成の世も21年が過ぎ、そう、平成生まれの有権者がでてきているのだ。政権交代前夜の、こんな時代に、エリート官僚たちの熱い姿を描かれても、ついていけまい。

ドラマ化の時機を逸した。

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2009年3月18日 (水)

モノ作りニッポンTVの行方

大袈裟なタイトルだな……あぁ、べつに、社長引責辞任の日本テレビ放送網の末路を心配しているわけではなく。

基本的に、この国には「技術力」があるので、いまのこの不況とやらも、優れた製品を作っていけば乗り切れる、と楽観的な小生。いや、もちろん、世界ナンバー2なんて身の程知らずのゴーマンを捨て、謙虚に生きれば、との条件付きではあるけれど。我が口癖「身の丈」です。侍ジャパンの実力は知らないが、メイドインジャパンは健在だと信じている。

ただ、最近、ちょいと悲観的にもなっている。それは、ぼくの大好きなテレビドラマの世界でのこと。映画「おくりびと」人気はさておき、日本人にしか通用しない番組でも、きちんと制作すればいいと思っている。そして、つくってきたはず。なんだけど、でもね、今年はヒドイ。

まず「銭ゲバ」。悲しいね。原作のマンガのあのインパクト、同世代としては、21世紀に再現できるのかと、やや危惧していた。時代背景があまりに違いすぎているし、「ゲバ」=「ゲバルト」なんて、もう死語だろうし。でも、「お金」に対する執着心とか、そのあたりでは通底するモノがあるだろうから、それに主演が松山ケンイチだしさ、何とかなるかなって、期待した。結果、悲惨と言うしかない。テーマがどうのこうのなんて以前に、ドラマとして成立していなかった。筋立てがメチャクチャ。脚本が酷すぎる。主人公による殺人の意図も手法も、あまりにご都合主義で、何の説得力もない。ついに、5回目くらいだったかな、耐えられなくなった。
岡田惠和よ、本当にあなたが書いているのですか。

もうひとつ、いつまで見続けていられるか不安なのが「天地人」。近年稀にみる駄作ある。主人公は、諸説あるも、知将として記憶される人物だが、その片鱗すらうかがえない。ただの泣き虫・アホとしか描かれていない。おそらく、あちらさんは、ちゃんとアピールしているつもりなんだろう。「義」とか「家族」とか「愛」とかね。が、これも脚本が不味すぎる。さすがに芸達者な役者が揃っているので、一つひとつのエピソードは感動的ではある。けれど、全体としては、学芸会。これが大河ドラマとは、呆れるのも通り越して、ただ笑うだけ。

日本のテレビ界は、こんなレベルのドラマしか、もはや提供できないのか。もちろん、秀作もある。「ありふれた奇跡」は、さすが山田太一の力なのか、心に沁みる。ちょっと古すぎるよと言いたい気持ちも否定できないが。「仕事人」も、パターンは昔のままで、ん?とは思うものの、面白い。「キイナ」は、役者の魅力かな、どこかで見たような話だが、楽しめている。ぼくの主観だけどね。

画期的新製品を寄こせ、とは言わない。「あの満足」でいい。「いつもの喜び」でかまわない。確かな味を求めているだけだ。なのに、ラッピングのみ美装の、材料インチキの、ニセモノが多い。心配なのは、どうやら、ドラマ「メーカー」さんたちは、本気で本物をつくっていると錯覚しているらしいこと。それを感じるのは、いわゆる開局記念スペシャル。なかなかの出来の特番もあったが、総じて、構えばかり大きくて、内容は低い。

ドラマは所詮、フィクション、虚構、つまりウソなのだから、そのウソを重ねることでホンモノらしく、してよ。あ、もしかして、真贋の区別がつかなくなっている? 世の中、妙に「実話に基づいた」ばやりだし。
真実の「愛」や「家族」を知らぬ者たちによる、ホントっぽいウソほど始末に悪い。

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2008年12月25日 (木)

最終回

あっ、このブログが終わるって意味ではありません。辺境の地で細々と続けているので、まあ、無くなっても何の問題もないでしょうが、1人でも読者がいる限り続けるぞ、なんていう悲壮な覚悟もありませんが、たまさか定期的に閲覧いただけるのであれば、それなりに。

今回は、前述のドラマたちの最終話についての感想、相方とのやりとりの一部。
「チームバチスタの栄光」は、原作とは設定を変更しての展開ながら、うまくまとまったと思う。相方いわく「殺人者を3人も出して、あの病院、これからどぉなるんだろぉ」と心配するが、うん、たしかに、それは言える。でも、「結構いい結末」は、両者とも同意見。
相方「伊藤淳史・仲村トオルのコンビで続編が観たい」「うん、ただ、田口=伊藤の、感情的シーンがチトしつこかったかな」「たしかに(^^;)」。相方「鳴海役の宮川大輔が、お笑い芸人らしからぬ良い雰囲気を醸し出していたなあ」「よくは知らないが俳優志望だったとか」「なるほど」。

「スキャンダル」は、お互い、ラストにやや不満。「4人が招待されたのはアリバイ工作のためってことだけど、なぜその4人だったのか」と相方は首を傾げる。うん、それに、「そうだとしても、アリバイ工作としては、ちょっと弱すぎるよね」「うん、そうだね」。
相方「4人に対して結構複雑な感情を抱いていたような気がするんだけど、そのあたりの掘り下げが、もう少し欲しかったなあ」。そう、ありきたりのストーリーにしなかったのは、脚本家の力量だと褒めた小生だが、結末は無難にまとめてしまった感がする。「あと1回分くらいあっても、よかったのに」「同感」。

「風のガーデン」は、相方が観ていないので、論評ごっこはナシ。当方のみだが、自然に涙がこぼれてしまう、素晴らしいエンディングだった、と一言。

さて、「相棒」。もちろん、シーズン7はまだ続くが、事実上、ぼくらが愛した「相棒」は、終わった。文字通りの相棒・亀山薫を演じていた寺脇康文が降板したのだ。ここ数年で間違いなくマイベスト1、こんなに惚れこんだミステリーはない。なのに、なんという幕切れ。憤懣やるかたない。
詳細は書きたくない。ただ、基本コンセプトの変更は、断じて許容できない。杉下右京(水谷豊)と亀山というコンビの存在は、このドラマの必須である。寺脇のスケジュールが調節できなくなったのだろうが、ならば、亀山の「卒業」などという小賢しい手段を講じるのではなく、正直に終焉とすべきだった。いっそ、殉職させてもらいたかった。
刑事ドラマとしては秀逸なので、たぶん、このあともチャンネルは合わせるだろうけれど、もはや違うモノとして観ることになる。たとえば「杉下右京の華麗な事件簿」とか。たとえ、「日替わり」で新しい相棒が登場するとしても、それは断じて「相棒」ではない。

相棒、相方の変更は、心せよ。ねっ。

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2008年12月16日 (火)

「晴耕雨読」はムリかなあ

今年後半のテレビドラマでは、我が「相棒」は別格として、「風のガーデン」が秀逸。いやはや、脚本の力を思い知らされた。倉本總は、スゴイ。
もちろん、演出も、そして役者も素晴らしい。なんといっても緒形拳の遺作であり、その演技は、まさに渋く光り輝いている。いぶし銀とは、こういうものなのか。中井貴一が、またいいんだなあ~。個人的には、石田えりも。
こういう、きちんとした芝居をやられると、ジャリタレによる学芸会もどきには、もはやまったく価値を見出せない。どれほどストーリーに興味が湧いても、ひいきのタレント・俳優がでていても、である。

「チームバチスタの栄光」は、映画に比べ、はるかに出来が良い。女優としての竹内結子は決して嫌いではないのだけど、演技に幅が無いから、この複雑な原作の「行間」を演じられない。伊藤淳史も上手いわけではないが、ストーリー的に、やはり、この役は男でいい。ただし、このドラマの難点は、提供CMに主役級の俳優が登場していること。せっかく寡黙な男を演じているのに、コマーシャルでは、なんだか浮かれていて、興醒めだ。

意外、といっては失礼だろうが「スキャンダル」が面白い。これまた、脚本家・井上由美子の力量というものか。この時間帯は、ここ数年、TBSに裏切られ続け、すっかり日テレ党になってしまっている。今回も、予告編では女優4人が前面にいて、実は期待していなかった。人妻たちのノーテンキな恋愛ドラマかと思いきや、昨今、これほど先の読めない展開は珍しく、ハマってしまっている。

さて「篤姫」だが、宮崎あおいは見事に演じきった。そのことには拍手したい。でも、以前にも触れたように、回を追うごとに「家族」だとか「愛」だとか言い過ぎで、ちょっと興ざめしてしまった。歴史的な動きをあまりに軽視した結果、たとえば西郷と大久保との訣別なぞ唐突で、西南戦争での西郷の最期のシーンなど、まったく意味不明になってしまった。ホームドラマにするのなら、「大河ドラマ」の枠の外でやるべきだったのではないかな。

こうして毎年、何作か記憶に残る作品があり、ざっと30年余で100本か~、一つひとつ詳しく覚えているわけではないけれど、ドラマって、ホントに、イイ。後期高齢者になったとき(なれたとして)、清愚先生ほどの器でない小生、マジメに文字を追い掛けるのは辛そう。「晴耕雨読」は理想形なのだが、難しいか。でも、映像なら比較的、集中しないでも観られるだろうから、老後の楽しみに。

なんてこと、ほざいてる場合ではないのだ、あぁ~いまはまだ、パソコンのモニターが「友」なのよねぃ……。さあ、仕事仕事。

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2008年10月 6日 (月)

秋の夜長に

月例の修羅場ゆえ、予定稿です(つまり、リアルタイムではなく、あらかじめ書いておいた原稿です)。
きょうは、映画の話。テレビドラマよりは、やはり金も手間もかけているから、それなりに見応えはあるけれど、それでも邦画はハリウッドには敵わない。

劇団ひとりの原作による「陰日向に咲く」、ふむ、ま、悪くはないんだが。これといって印象に残らない、少し時間が過ぎると、もう覚えていないんだなあ。もちろん、米国映画でも多くは同様だけどね。雰囲気は、しっとりしていて、うん、そうなんだよね、これ、原作のほうに興味があるなあ。こんな感じの小説を書く、お笑いの感性って……。
「魍魎の匣」、こちらは京極さんの原作だから、そりゃもぉ、アヤシイ雰囲気十分で、スクリーンでも(って実際は24インチ・モニターだけど)、ワクワクドキドキ。だけど、これも、そんなには残らない。堪能したか、というと、合格点ギリギリのラインかな。

この2作品に限らないけれど、役者がね、ちょっと出過ぎ、というのか、テレビでもドラマやらバラエティやらでよく見るし、なかにはコマーシャルでも。もちろん「生活」があるでしょうけれど、あんまり頻繁に露出したり主役を張られたりすると、こちら側としては、ちょっと、シラケル、というのかなあ。虚構世界に没入しずらくて、困っちゃうね。

「クワイエットルームにようこそ」は、芸達者が揃ったためかな、いつもの顔ではあるが、楽しめた。内田有紀は、いい芝居していた。やはり、大竹しのぶは、スゴいなあ。きっちり演じていたもの。あと、大して知らない女優(りょう、平岩紙)もいて、(たぶん)若いのに、なんか、けっこう頑張っていたね。
あぁ、これも、原作があって、その映画化か……。
同様に「震度0」、原作は未読なんだけど、この作家(横山秀夫)のは何作か読んでいるので、うまく映像化したんだろうと予想できる。これも、役者たちは馴染みだが、しっかり演じていたと思う。観ているとき、現実に引き戻されなかったからね。

さて、洋画では、「ヘアスプレー」。久々にカンドーした。どうってことのない平凡なストーリーなのだが、躍動感が伝わってきて、楽しい気分にしてくれた。ミュージカル(だと思うけれど)ってイイなあ、ってね。トラボルタの「仮装」は、ま、ご愛嬌。

「アイ・アム・レジェンド」「AVP2」「28週後...」「ジャンパー」、このあたりは、リーズナブル、というのかな、高い評価はできないし、細かい点で、ちょっとね……という突っ込みどころはあるのだが、80点あたりをつけたいと思わせる。CG処理の質が高く、さすがに「大作」ではある。そうそう、「バンテージ・ポイント」は、面白かった。素直にそう思う。

「クローバーフィールド/HAKAISHA」は、大作なのかな、わかんないけど、有名な俳優は出ていなかったが、制作費は小さくあるまい。心配した「手ブレ映像」は問題なかった。いや、よくもまあ、こんなストーリー展開(いわゆる侵略モノ)なのに「一人称」視点で描ききったものだと、感心。謎がたくさん残ったが、どうやら続編があるらしい。「2」でうまくまとめられたなら、そうね、95点くらい、つけたいなあ。

ここ数か月では、「ミスト」が最も印象的だ。原作はスティーブン・キング、これまた未読(かなり既読しているのだが)。100点満点ではないけれど、いや、もしかしたらB級なんだけど、随分と久しぶりに、衝撃のラストを味わった。原作とは違うらしい。ふむ。よくもキングが認めたものだ。でも、それほど、素晴らしい結末だ。「素晴らしい」は適切ではない表現かな、賛否両論あるだろうし、ぼく自身、必ずしも、あのような終わり方に賛同しないが、でも、完璧に予想を裏切られた。

「再会の街で」は、これこそ、「愛と涙の映画」。良質だ。日本映画では、どうして、こういうレベルの作品がつくれないのだろう。悲しいね。

最後に、ドイツ映画「4分間のピアニスト」、たまにはハリウッドの匂いがしないものもいい。ピアノに対する、ある種の思い入れがあるので、こういう映画は好きだ。

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2007年12月19日 (水)

我感情不動如山

今年も残すところ2週間を切ったので、振り返ってみよう。折々に書いたこととダブるかもしれないけれど、ま、縁起物ということで。
大河「風林火山」は特異なドラマだった。幸いにもじゃりタレが出ず、メインのみならずキャストは一級、演技に文句はない。内野聖陽、市川亀治郎、そして柴本幸。予備知識がなかったのもよかったのか、いずれも見事、これこそ役者だと感心した。新人・由布姫には、胸を打たれた。映画「隣町戦争」では、印象に残らず。げに、人は化ける。当初は「なんぢゃその配役は」と危惧したGacktにも驚いた。謙信女性説を思い出させるような、独特の雰囲気を漂わせ、怪演。ニクイほどのキャスティングだ。池脇千鶴、若いのにスゴイ、CMなんかに出ている場合ではない、もっとその才能を見せてよ。ほかにも芸達者な俳優が多く、さすがNHK、制作側に脱帽。
ストーリーも、悪くない。なのに、これほど感情移入できないドラマも珍しい。相方も同様の感想。思うに、現場のディレクターの技量ではなく、統括的プロデューサーの領域かな、全体のコンセプトを誤ったのではないか。結局のところ、何を描きたかったのか。わからん。山本勘助について史実は少ない。ゆえに若い時代は相当に創作したようだ。ならば、いっそ、ヒーローに「つくりあげ」たらよかったのに。半端に「凡人」扱いしておいて、死に際だけ「軍師」として誇張されてもなあ~。ちっともワクワクしなかった最終回。初の「延長」だとか。だが、まさに「付け足し」。ラスト4回は3回に凝縮するべきだったね。
そもそも、信玄も謙信も、さらには今川・北条も、なまじ俳優のレベルが高いせいか、存在感がありすぎて、主人公が、ちっとも「らしくない」のだ。役者の責ではなかろう。シナリオの瑕疵でもないと思う。舞台裏の事情はもちろん知らないが。いくつか、きちんと描かなければいけない箇所を、逃げていた。たとえば、「軍師」としてのキャリアアップ、どうにも解せない。諸国を放浪したことが、どのように生かされたのか、伝わってこない。「作戦参謀」としての「ひらめき」が感じられなかった。武田に仕える動機にも、首を傾げた。姫への思慕も、なんだかなあ~。この二人の「関係」、示唆はあったが、もっとしっかり、「勝頼が実は」くらい仄めかす必要があったのでは?
つまり、随所で「歴史的事実」に囚われ、そこに行き着く部分での描写が妙に強調されすぎていた。そのくせ、大胆な解釈が足りず、エキサイティングになれない。思うように書けたのだとしたら、やはり、脚本家の力量も無視できないかな。「新選組!」では、近藤勇や土方歳三たちも、壮絶な最期を遂げるのは史実として知っていても、なんか、生き残ってもらいたいね、みたいな感覚を持たされたのだから。
評価すべきは、織田信長を「影」扱いしたこと。桶狭間の戦いの出陣前に敦盛を舞うという有名なシーンで観世流能楽師である役者が登場したが、台詞は無し。まあ、なまじ喋らせたら、そこそこの俳優を起用しなければならず、そうすると勘助の存在価値、さらに下がってしまうためでもあろうが。
もうひとつは、個人的な感想。役回りとしては疑問が残るものの、チョー久しぶりに緑魔子の姿を拝むことができた。はい、60年代の、彼女が20代からの、ファンです。ここ20年くらい、見ていない気がする。時代劇だから、出たのかも。還暦を過ぎているんだものね。
さて、来年は「篤姫」、江戸幕府13代将軍・徳川家定の正室である天璋院の物語。主演の宮崎あおいは、史上最年少だとかで話題には事欠かないだろう。結婚したばかりだし。ぼくは、朝ドラも見ていないし、世間の感覚とはたぶんズレている、よーするに、よく知らん。ただ、映画「初恋」の演技には、チョッピリ光るものを感じた。主人公は47歳までの人生だから、晩年も何とかこなせるかな。まあ、特に期待はない。
でも、1年を通して見るに違いない。いまのところ、強力な裏番組はなく。てゆか、相方さんに従うまで。ウチら、ただでさえ薄い密度ですから。共通のネタがないと、ね。

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2007年12月 1日 (土)

師走ですね

忙中閑もなし、ですが、季節の節目に。本日は「映画の日」、てなわけで。

「パッチギ!」の第2弾は、ちょっぴり期待外れ。「1」で見せてくれた「在日」の強烈な側面が、今回はワンパターン化されているようで、つまりわかりやすすぎて、心に響くカンドー度、やや減少。それに、沢尻エリカが出ていないのも残念。(大人の?)事情は知りません。おそらく、出来としては合格点だとは思う。けれど、「1」があまりに凄かったので、その程度では不満なのである。もっとスゴイものを突きつけられたかった。まったくもって勝手な要求だが。
げに、続編は難しい。ほとんどの場合、第1作が最高に面白い。次第にエキサイティングではなくなる。5くらいになると、ほぼ駄作と化している。「とらさん」のような大河シリーズは別格としても(後継「つりばか」は途中でヒロインが交代しているので「Ver1」と「2」で分けるべきかと。ま、浅田美代子も悪くはないが、ことさら石田えりのファンだとの理由が強いんだけどね~さておき)、1が大ヒットしてのパート2は当然、かなりハードルが高くなる。通常が70点なら80点、あるときは90点以上を求められる。そんなハイグレードの作品は、そうそうお目にかかれない。
ぼくとしては「パッチギ」の「1」は100点満点だったので、「2」にも最低100点を期待してしまったのだろう。それは、いかに井筒監督でも不可能に近い。たとえば「1」が75点くらいなら「2」が85点でも相当の満足度なのだが、そんなケースだと期待度も低いから、カンドーのレベルは高くないわけで。なんか、論理矛盾でもあって。
たしかに、「ダイハード」の最新作は、堪能できた。1に匹敵する面白さだ。言い換えると、2と3は1を超えられず。12年を経て、やっとオリジナルと肩を並べられるレベルに。ただ、それにしても、あの1の衝撃には及ばない。レンタルビデオでだったが、初めて、エンドマークのあと即、巻き戻しして、観直した。「4.0」には、そこまでコーフンしなかった。4への評価には、齢を重ねた主人公のすさまじいアクションシーンへの「おつかれさん」が加味されている。
「ロッキー」の、6作目にして「ファイナル」は、その点で最高度のカンドーを与えてくれた。出来は、大したことない、正直な話。30年の歳月を感じさせない、つまり、何も進歩していない、よーするに、1の焼き直し。しかし、だからこそ、良かった。もともと、単純なサクセスストーリーで、ゆえに、1976年当時のアメリカの(ベトナム戦争敗退などの)疲れた時代背景に、見事にマッチした。いまの世界もシンドイ状態だ。癒しが必要で、過去に浸りたくなるメンタリティを、還暦のロッキーは、あの名テーマ曲とともに、実にうまくすくった。そう、これは「三丁目の夕日」なのである。まあ、主人公の南部訛りがまったく聴き取れず苦闘した思い出(ロサンゼルスで鑑賞)や、第1作は結婚前・最新作は女房亡き後という符合など、個人的事情もあるが。
イヤな予感は「ランボー」の最新作、いま撮影中らしいけれど。これも1は、別な意味での「ポスト・ベトナム戦争」を描いて秀逸だったのだが。2以下は、やや「乱暴」な展開で、またまたチョー・ヒーローなのか、と。ま、当方もトシをとり、ただの活劇にはついていけなくなった。そのうえ、「大どんでん返し」や「見たこともない映像」にも慣れてしまった。
それでも、ぼくは、今宵もまた映画を観る。新たなカンドーを求めて。畢竟、人生は「ドラマ」。素晴らしき疑似体験が欲しい。ゼータクかなあ~。でも、ブランドもののバッグは、ぼくの人生に、ほとんど何の影響も及ぼさないが、「ドラマ」は、ぼくの人生を変えてしまう力をもつ。そんなゼータクが、ぼくは好きだ。

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