2014年2月18日 (火)

「アップサイクル」

昨秋、初めて出合った言葉。「リサイクルのひとつ上」? 面白そうなので、調べて、記事にしてみた。
本日の夕刊フジ(2/19付け)に掲載。

写真・左下の、バッグの中から顔を見せているタブレットは私物。はい、iPadminiです。まったく使いこなしていません。ほとんどオモチャ。ちなみに、娘からの還暦祝い。

Up

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2014年2月 3日 (月)

62歳

62yo

バースデイケーキの代わり。

どういうわけか、メガネを忘れている。。。

・・・

唐突なアップ。2月の、とある深夜、というか未明の「乱心」か。。。

ま、ただの気まぐれ。

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2013年3月17日 (日)

おつかれさん

東横線の渋谷駅が地下に移った。メトロ副都心線と直結したため、ということで、それは、だいぶ前に耳にしていたが、うかつにも前日まで、その意味を認識していなかった。あの、かまぼこ型の屋根が特徴的な地上駅が無くなるわけだ。感慨深い。

で、慌てて、当日3月15日、現場に向かった。ジャーナリストは現場が大切・・・なんてね。でも、ライター系の知友が数人、やはり、あの雑踏にいたようだ。やはり、この目で見ておきたいんだね。さすがに、最終電車を見届けることはしなかったけれど。

すでに、渋谷駅周辺は変わりつつある。「マークシティ」ができたころかな、だから21世紀に入ってからということになるが、街の風景が、オシャレになりはじめた。1年前の「ヒカリエ」出現で、というよりは「東急文化会館」が消え、顕著になった。この瞬間は工事中で、ちょいとザワザワしてるけど。

このあと、東急百貨店東横店が建て替えられるのかな、15年後には、かなりの変貌だろうね。まあ、そもそもは、1973年にパルコが登場したあたりから、ファッショナブルな街になってきたんだが、1979年の東急109が決定的だったか、若者の街ってなことになってしまった。

80年代から90年代は、こちとら神田界隈で生きていたので、どんどん渋谷から遠ざかってしまい、気がついたら、もう「我が街」ではなくなっていた。猥雑感ゼロだもんなあ~。

いまも、渋谷区に本籍があるし、2歳で五本木、最寄駅は「学芸大学」、そのあと小学校に入ったころは「祐天寺」、と東横線ヘビーユーザー。そして、恵比寿に引っ越し、東横線自体の利用は減ったが、中高大と渋谷駅が中継地点だった。JRにも地下鉄にも、何千回? 乗った。

東横線渋谷駅南口の脇にある、いまは「カフェ・ミラノ」(ここも駅と運命を共にし閉店してしまったが)は、「アートコーヒー」だった。普通の喫茶店より少し安く、待ち合わせに便利だった。個人的な思い出もある。

文字通り、渋谷は庭だった。なのに、齢を重ね「おやじ」に近づくほどに神田や新橋に出没する機会が増えた。そして、ついには銀座界隈へ進出。ぼくにとって、渋谷は「外国」になった。この再開発は「おとなの街」をめざしてのことと聞く。どうなんだろ……うまくいくかな。

あの、東横線渋谷駅は、3月15日、86年の生涯を終えた。おつかれさん。

ほぼ同時に、我が父も、87年の生涯を終えた。おつかれさん。

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2013年3月 9日 (土)

未練の話

本日、妹の誕生日。ただの年女。「ただの」というのは、還暦+1の小生だから、彼女は還暦かな、と勘違いされるのを避けたくて。本人、ここを読んでないから、どうでもいいんだけど。つまり、歳の差13。その間に誰もいない。あぁ、おふくろから、本当は2、3人いたらしいと聞いた記憶。生を受けることはなかった。

「東京大空襲」の明日は、相方の。明後日は、seigu翁の傘寿、言わずと知れた「3.11」。ぼくのは何の記念日でもないけれど、「1.17」の翌日ということで、あの年は、ちょっと祝い気分が削がれた。いや、ちょっとどころではなかったなあ~。関西圏には親族が多かったし、なかなか連絡つかなかったし。

2年前のときは、直接の知り合いがいなかったので、少しだけ気楽……。違うなあ~、こちらも「被災県」、当事者だった。もちろん、かの3県とは比べるべくもないが。うん、とくに「福島」とは比較することすら、おこがましい。あそこの時間は、止まったまま。

時の解凍は、難しい。あの日を回顧できるのは、時計の針がほぼ従来通りに進んでいるから。凍結したままでは、昔は昔になりえない。それは「いま」だ。物理的には2年の歳月が経っても、心理的な時間が動いていなければ、まさに、昨日のことのようだろう。振り返ってみたら、すぐ後ろに「あの日」がある。辛かろう。

男は一般に、誕生日やら結婚記念日やらに弱いとされる。それは、たぶん、過去を引きずるからだろう。未練がましさゆえに、「あの日」を「過去」にしない。メモリアルとして封じ込めない、できない。だから、何年も過ぎると、かえって記憶が曖昧になってしまう。ホントかな~、ま、勝手な理屈だけどさ。

もっとも、当方は、「男脳・女脳」テストとかいうもので、両方の要素を持つ結果、シロウト診断だけどね、それゆえか、記念日が好きだ。かなりの未練たらたら人間なのに。不思議だ。いや、あまりの未練がましさゆえに、「あの日」を忘れないのかも……。これも、あはははっ、独断というか何というか、ただの妄論。

さあて。過去ばかり見ているけど、振り返れば、つまり、前を向いたら、ほぉら、締め切りがすぐそこに。げっ。

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2013年2月28日 (木)

出あいの如月

明日から3月。ということは、きょうで2月はおわり、ということは、今月の更新ゼロの危機。
その回避のため、アリバイ的に「月報」を。

某日。取材で横浜へ。昼食を中華街で。馴染みの店がない。その手の情報、いまやネットで検索できるのだが、それほどには信用していない。知り合いの口コミが、いい。その日は、うまくアクセスできず、結局、行き当たりばったりで。大袈裟な表現をすれば、全五感をフル活用し、つまり、直感に頼る。勘をバカにしてはいけない。こちとら60年、生きている。感覚的に、と言いつつ、明文化されていない「経験」による、ある種の合理的な判断でもある。結果、それなりに、満足。

某日。ふらりと寄った「ブックオフ」で、とある本を買おうと思いつく。ご存じのように、この店では作家別の陳列。題名しか覚えていない。作家の名前、どうしても思い出せず。店員に聞くのも面倒で。諦めかかった、そのとき、書棚から「ここだよ」という声が聞こえる(蛇足ですが、本当に聞こえたわけではありません)。くだんの文庫本の背が光り輝いていた(蛇足・同様に、本当に光っていたわけではありません)。ぼくは、これを「奇跡」と呼ぶ。

某日。知友の知友と初顔合わせ。FBで少しの交流。行間から、なんとなく気が合いそうと。で、リアルに会った。娘の産まれた産院のすぐ近くに居住しており、同じライター稼業ということだけでなく、予想以上に「共通点」あり。50代前半の彼との酒宴を、終電ギリギリまで堪能。相手が女性ならば、恋に落ちている。一つひとつ詳らかにはしないけれど、共有できる価値観があるのは、楽しい。直感過たず。間違えるのは判断である。

なるほど。振り返れば、出あいの如月だったか。

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2013年1月26日 (土)

プラス1

あれから2週間近く、未だ、残雪が散見される、ここ千葉でも、東京でも。その間に、ひとつ歳を重ねた。当夜は、近しい友に祝ってもらった。うれしい。些細な、本当に些細な、幸せ感。

でも、政権が「インフレ・ターゲット」を導入で、この小さな幸福にも影がさす。幾度となく繰り返しているが、すでに物価は上がり始めている。そこに、「どんどん値上げするから、いまのうちに買えよ」と、公権力の脅し。たまったもんじゃない。

たしかに、円安に動けば、輸出企業は助かる。歓迎する声も生で聴いた。半面、言わずもがなだが、輸入にはマイナス。小麦をはじめ食料品関連への悪影響は、設定の「2%」ですむのか、疑わしい。一例だが、当方の好きな銘柄の食パン、いまや実勢で180円前後、かつては150円あたりで買えたのに。この段階で20%の負担増だ。

物価の優等生とか言われる牛乳、ストアブランドで1リットル178円から下がらなくなった。2、3年前には158円の値札も珍しくなく。ここも、1割強の高騰。同様に、卵も、10個入り198円が下限になって久しい。セールで178円だったころに比べれば、2ケタのアップ。

エライ政治家さんや高級官僚さんたちは自らスーパーで買い物なんかしないから、現場のことがわからない。統計データの数字しか見ない。そりゃ、物価指数は上昇していないだろうさ、全体としては。

年齢は、ありがたいことに、1つひとつしか増えない。気分的には、あっという間に4~5年と感じることはあっても、1年365日で1歳という原則を踏み外すことはない。しかし、インフレ率は、そうもいくまい。期待だけで株価も為替も動く。

情緒と理性と、そのバランスは極めて難しい技である。

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2013年1月14日 (月)

ホワイト成人式

初雪が大雪の首都圏は、相変わらず、この程度で大混乱。祝日ということもあり、成人式に集う晴れ着姿のお嬢さんは悲鳴を上げていますが、全体に絵的には静かです。けど、間違いなく道路は凍結、明朝の出勤風景は、滑った転んだ、のあのパターンでしょう。

もとより大雨の予報、晩飯の食材などは事前に手当てしていたので、のんびり、まったり、コーヒーを飲みながら、雪景色を楽しんでいます。出掛ける予定もなし。完全オフです。よかった、ホッ。

「日ごろの行いの良さ」などとseigu翁におだてられましたが、なに、ただの偶然。これが明日ならば、大阪への出張、午後からなので、気が気でないところ。たしかに、ラッキーではある。でも、逆のケースも、もちろん。人生の帳尻は、それなりに、だろう。

前向きに考えれば「ホワイト成人式」、いずれ、良き思い出に。

さて、自他ともに認める天邪鬼、必要もないのに、買い物に出ようかと。雪の街を歩いてみたい、それだけの理由。寒いけれど、すでに入浴済み。暖房なし生活も5季目となれば、慣れた。独居シニアの特権、いつでも風呂・メシ・睡眠。身体が冷えたら、また風呂に入り温まればいい。

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2013年1月 6日 (日)

なるようになる

明日1月7日が当方の仕事始め。何度も触れているが、月‐金・9‐5時のワークスタイルではないので、スタートのあらたまった感覚、さしたることはない。まるまる1週間の休みだった、という程度。

正月、これもいまさらながら、ほとんど実感なく。賀状は何通か、いただいた。この場を借りて、深謝。今年もよろしく。

初詣でも含め年始の行事に縁遠く。スキーやら旅行やらにも無縁。実家への帰省も、娘との団らんなども、同様に。まさしく、ふだんの休み、少し長めなだけ。あぁ、おせちは、ささやかに。雑煮も、食べた、もちろん白味噌仕立て。この点では、相方に最敬礼。

何より、テレビっ子の小生、年末年始特番に落胆。というより、観たいモノ、ほとんどなし。「紅白」、案の定。ただ、「ヨイトマケ」のみ、価値あり。正月気分、限りなくゼロ。そして、2日から、いつものように近所のスーパーへ。朝食はもちろんトースト・卵などの定番。

1年の計、ついに定まらず。ならぬものはならぬ、って今年の流行りかな、さておき、成さぬものは成らず、成そうとすればいつか成るかも、つまり、なるようになる……これ、我が常套句。まあ、だから、未だ成していないこと、成したいとは。決意ほどの確信なく。

でも、新年なのだから、信念ほどではないにしても、夢にすぎないとしても、初夢かもしれないけれど、成したいものを成したいと、言い続けてみん。

相変わらず、こういう戯言、好きな還暦オヤヂ(あと2週間足らずで加齢)ですが、おつきあいのほどを。

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2012年12月30日 (日)

たかが年の暮

ほぼ予定通りに年末仕事を終え、いくつかの事務作業も何とかこなし、年越し準備、万端~と言いたいところではあるが、大掃除・片付け、サボってます。例年になく、安堵からくる一息が長くて。気がつきゃ、早、大みそか直前。まあ、そんななかでも忘年会は粛々と。

修羅場を脱したら、と画策していたこと、放置したまま。すっかり、気が抜けてしまって。多忙時にかぎってのゲームプレイも、やはり現実逃避行動だったのか、暇になったら、とたんに興味薄れ。まあ、そんななかでも、溜まった録画の鑑賞は粛々と。

2012年を振り返ってみようと、思ってはみたものの、なんだか、かったるく。還暦イヤーではあったが、だからといって特筆すべき事柄、そうはなく。身の回りでは、ひとつふたつ大きな変化もあるにはあるのが、これまた、いまさら書いてもね、という感じで。社会的な面では、総選挙に触れるのは必定かもしれないながら、おもしろくなく。

年末年始といってもね、少し長めの休み。独居シニアには、感慨弱く。『紅白』には知らない名前がどんどん増えていき感情移入できなくなり。初詣では10年ほど前から休止。おせちは、ささやかに。ま、居住まいをちょっと正すくらいかな。一応、この国に生きているわけで、1年の計は元旦に、あるとは思う。

うむ。なんか、投げやり。

でも、たとえば忘年会では、しこたま酒を飲み、歌い、騒ぐ。決して、ウツではないはず。ん? 強引か。単なる「躁」かも。老人性躁鬱、かな。こうしてすぐにレッテル貼りしたくなるのは悪い癖。ただの「老い」なんだろうなあ、このけだるさは。

肉体的な老いは、否定のしようもなく、でも、精神的なやつは、さすがに、どこかで拒絶したいのかもね。だから、折り合いをつけられず、グダグダしている。

結局のところ、どうでもいいような事柄について、いつもダラダラと書いてきたのであって、年の瀬だからマジメなことをと殊勝なフリしてみても、無駄だわな。

わずかな読者が存在することに感謝しつつ、来年も、この独り言をもう少し続けていこう。

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2012年12月18日 (火)

他愛ない話

ドツボにハマっています。そんなときに更新しなくても、とは思うのですが、「超多忙なときこそ他愛ない話題を」と長老に諭されたので。って、ずいぶん他力本願的言い訳ですなあ~。ただの現実逃避行動なのにね。

ま、そんなわけで、どうでもいい話。

政治に目覚めた最初は、いつだっただろうか。そんなことを、ふと、思った。おそらく、思春期だろうね。小学校高学年から中学生あたりにかけて、いわゆる社会性がでてくるんじゃないかな。詳しく語るほどの知見はないけれど、幼子というものは、親きょうだいと親戚、隣のおばちゃん、学校の先生、そのへんまでしか理解が届かないはず。

そこに、同級生とか、その親とか、隣近所の子どもたちとか、その親もね、いろいろ加わって、少し世界が広がるものの、社会を認識するには至らない。中学に進むと、場合によっては電車やバスに乗って通学、という経験から、さらに「おとな」の背中を見る機会が増える。教師も、優しいの一点張りではなくなり、「試験」とか「受験」とか、何やら「評価」という社会的規範が、ミーイズムの心に入り込んでくる。

でもって、自分の進路とか将来とか、なりたい職業とか、そうしたものへのイメージが濃さを増してくる。社会的構造やら仕事の仕組みやら、身近な話になる。自分のオヤジは毎日、会社とやらに行くのに、だから日曜日しか遊んでくれないのに、友人の父親は住まいと兼用の店で商売をやっていて、いつも子どもと接している、日曜だからって休みではないんだ、何かヘンだなあ~と感じたり。働く母親と専業主婦と、ここも違うぞ、とか。

だいたい、そんなもんだろう。あぁ、これは、昔の子ども。現代では、もっと入手情報が多いから、そんな牧歌的な時期は、幼稚園までかも。そのうえ、インターネットなども絡んでくるから、社会性は、かなり小さいときから身につく。あくまでも理屈では。

さて、小生の場合。小4と小5で2度も立て続けに転校を経験したので、目の前の世間は結構広がりを持った。3種類の同級生の「層」を知ったことで、激しく「他者」を意識するようになった。ゆえに、自我にも目覚めた、と振り返る。が、「世界」という感覚は、まだよくわからない。同級生の転校は「親の転勤」のためと説明されても、具体的なイメージは持てなかった。

中学は私立で、さらにもう1つ「層」が増え、電車・バス通学だったので、乗換駅が「渋谷」だったせいもあるが、「街」というか「大人の世界」みたいなものを覗く機会が増える。その結果、「社会」を認識するように。もちろん、ぼんやりとだったが、学ぶ対象も高度化し、その認識が急速に高まる。

そこに、時代的背景が加味されるか。60年代後半、世間が騒々しい。テレビを観ると、映像情報により、理由は不明でも、とにかく現象が強烈に突き刺さってくる。疑問が湧く。本も読む。情報が多層化される。よけいに「?」が増す。否応なく、「社会」への関心が深まる。猛烈に。そして、「政治」へと。

中学生までは、いわゆる成績から「理科系」だったのだが、高校生になったころには(同様の理由により)「文科系」になっていて、就きたい職業に「新聞記者」という希望が明確に。中2あたりで、小説に魅せられた。「作家」にも、憧れた。らしきモノも書き始めていた。

高校2年生で、初めて「デモ」を体験した。希望職種に「政治家」も加わった。

最後の夢は、大学を経て社会人になったころには、すでに諦めていた。新聞記者は、叶えた。もうひとつの夢は、還暦のいまでも、追っている。

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