2009年10月13日 (火)

楽天家返上

なにやら大袈裟なタイトル。いや、べつにね、「物事を楽観的に考える」ことをやめよう、とか、「すぐに悲観したり、世をはかなんだり」しようという、決意表明ではなく。
わかるひとにはわかるでしょうが、来季は隠れ楽天ファンではなくなるってことで。seigu先生やzunさんには申し訳ないけれど、ぼくは、成績不振を理由にしても「ミスター」こと長嶋監督を解任した読売巨人軍が許せなかったヤツ、だからミキタニ某を弾劾したく。
もちろん、当方、正統なファンではないから、負け犬の遠吠えにすらならない、ただのぼやきだけどさ。

さて。我がロッテマリーンズは、というと、これもなあ~、とは思いつつ、とりあえずリーダーが変わり、新任者は、相方いわく前任者とは違うらしいので、少しだけ期待。いささかペシミスティックかな。でも、向こう3年はガマンしなきゃ。基本ができていないからね、このチーム。こんなこと言ってると、熱心な支持者・みゆみゆさんには怒られるかな。

てなわけで。
先日の「誰だろう?」とのみゆみゆさんに応えて。

Hiperk_5

わかるかなあ~。写真左手に数人いるうちの、緑色のワンピースの女性。向かって右隣は、渋い俳優で、ぼく好きです、さらに右手は元アスリート、褒めたい女性。

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2009年10月 1日 (木)

衣替え

10月1日は、4月起点の年度では下半期のスタート。仕事絡みでは、とある企業の創立記念日。

いろいろな記念日なんですね。日本酒の日やらコーヒーの日、補助犬の日、ほぉ~法の日(すみません、下手なシャレで)、メガネの日でもあったり、ピンクリボンの日でもあるそうだ。

ぼくにとっては、「都民の日」だなあ。都民でなくなってから、もう30年近く経つけれど、やっぱ人生のほぼ半分だもの、それも前半の。いまだに「県民の日」は馴染まない。でも、東京にも、少しずつ、「我が街」的な気分が薄らいできて、遠さも感じ始めている。

だからというわけでもないけれど、21世紀版「東京オリンピック」には、ノれないなあ。たたでさえ超過密都市なのに、さらに混雑するのは間違いないし、警備なんかのせいで、不便を強いられそう。

揃いのユニフォーム姿でコペンハーゲンを歩く都知事たち、その絵を見て違和感を覚えたのは、ぼくだけ? 思いが伝わらないと嘆いているらしいが、そもそも「思い」なんか、あるのかなあ。ある種のナショナリズム、45年前なら成立したし、当方も興奮したものだが、いまどき東京で何故? 福岡という話があったと聞くが、それなら、頷ける。

時代は、仙台ではないのか。まず、札幌・福岡を撃破し、そして東京を完膚なきまでに叩きのめしてもらいたい。って、ナンの話だか……。

そういや、「楽天」の名前に「ゴールデン」が付いているのも、「ゴールド」鳩山政権にマッチするよね。

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2009年9月28日 (月)

サンデーもマガジンも好きだった

今年は『少年サンデー』『少年マガジン』創刊50年ということで、昨年から今春までの1年間、いろいろなイベントが行われたらしい。らしい? そう、すべては事後、というか、夏に放映されたNHKでの特番で知った次第、それも、録画を観たのは、つい先日。

たぶん、同世代の多くと同様、両誌を愛した当方だが、いつのころからか、読むこともなくなった。『ジャンプ』または『チャンピオン』に乗り換えたということではなく、たしかに一時「1・2のアッホ!!」やら「マカロニほうれん荘」などは好きだったけれど、正直に言えば、やがてマンガそのものに見向きもしなくなった。

「大学生がマンガを~」と批判されても我関せずではあったけれど、いかに子ども相手の漫画が「青年向け」になったとはいえ、やはり、家庭を持ち仕事も忙しくなってきた30代の中年には縁遠い。コミック誌『ビッグコミック』や『漫画アクション』なども含め、漫画雑誌という存在を、すっかり忘れていたのだ。

今回あらためて、「サンマガ」の歴史を紐解く番組を観て、思わず過去を振り返った。ドラマ部分とインタビューとのミックス形式で、どうやら最近の流行りのスタイルみたいだけど、うまく融合しておらず、感想としてはイマイチではあったが、懐古趣味には合った。

「紫電改のタカ」のラストシーンには涙した。「巨人の星」の大リーグボールの謎解きはクラスでの中心話題だった。「あしたのジョー」で力石徹が死んだときは、リアルな葬式にこそ行かなかったものの、ぼくらの気分は黙祷だった。「アシュラ」には衝撃を受けた。もちろん、赤塚ギャグには心底笑い転げた。いちいち挙げていたらキリがない。

番組では、両誌の「競い合い」が詳しく語られていて、うん、ライバル誌だったのは理解する。編集者は、本気で争ったのだろう。でも、そうした戦いとか、それぞれの持ち味、キャッチフレーズ、差異化とか、そういうことに、ぼくらは関心がなかった。面白いかどうか、それだけだった。連載誌がどちらか、そんなことはどうでもよかった。そう思う。

読者には、「サンデー派」「マガジン派」なんて、なかったのではないか。前述したものは、たまたま「マガジン」に連載されていたものが多い。ストーリー性の強さは影響したかもしれない。高校生あたりの年頃では、そこはポイントだろう。でも、だからといって「サンデーは嫌い」という奴もいなかったように記憶する。「サンデーvsマガジン」てな図式は、ぼくらには関係なかった。

かれこれ30年以上も昔のことだから、法廷で証言できるほどの自信はないけれど、作り手の思いは、空回りというか、無駄だったんじゃないかなあ~。もっとも、その対抗心によって、ぼくらは、結果的に、良質のマンガに触れることができた、と考えれば、いいか。

小・中・高そして大学生くらいまでの、懐かしい思い出の、新たな1頁にはなった。

そうそう、マンガは若き日の思い出と言ったが、唯一の例外は『じゃりン子チエ』(作・はるき悦巳)。これは、なんていうか、本になってもシリーズ全67巻を購入したほど、ハマった。生まれ故郷に比較的近い、大阪の下町を舞台にしていたから、かもしれないが、とにかく40代になっても、つまり「いいトシをして」読み続けた。

ところで。
漫画の話をするなら避けては通れない、神様・手塚治虫。というか、初期の『サンデー』で連載された「キャプテンKEN」。この、タイムパラドックスを描いた作品は、ぼくの「原点」である。読んだのは、8歳から9歳にかけてだ。『輪廻の蛇』(by ロバート・A・ハインライン)を知るずっと以前である。以来半世紀、ぼくは、このテーマの「呪縛」から解き放されていない。

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2009年9月17日 (木)

官僚たちの秋

「鳩」よりも「うさぎ」が気になるきょうこのごろですが、新政権もスタートしたことだし、「政権交代論者」として何か一言。と思いつつ、そもそも自他共に認めるアナーキーな輩、新総理が「国民の皆さん」と呼び掛ける姿、ちょいと違和感あったり。

どうして、「わたしたち国民にとって未知との遭遇……」といった表現をしないのか、太い首を傾げている。政権奪取にチャレンジしていた野党代表が与党となり政権を担うにあたっての決意表明のように聞こえる「見守ってね」では、物足りない。一国のリーダーとなったのだから、我が祖国の柄に言及してほしかったなあ~。ま、施政方針演説ではないから、いいか。

8月30日の夜、久しぶりに興奮を覚えたのは事実である。ぼく個人の歴史では、田中角栄の登場以来かな。明治維新に匹敵する事態としたコメンテーターがいた。客観的にみたら、そうなのかもしれない。が、これは、人の血で彩られた「革命」だから、比較していいのかな。この130年あまりの尺度で考えるのなら「敗戦」も、非常に大きな変化だったろうが、これは「選択した」とは言いにくい。

理由は何であれ、与野党の立場は逆転したのであり、それもオーバー300議席となれば、有権者が民主党に多くのことを真剣に期待したのは、紛れもない。「脱官僚依存」の実質はよくわからないながら、有権者は「ミスター年金」へ拍手を送った。これも動かし難い事実だ。気分的な「風」のせいにしてはいけないだろう。「地殻変動」との評は、的を得ていると思う。

ただ、有権者は、「政権って替えられるんだ」と知ってしまった。この「変化」は何も、民主党にのみ有利に働くわけではない。次回は、「やっぱり自民党に」となるかもしれない。だから、鳩山内閣は、最大4年のうちに、相当の実をあげなくてはならない。寛容なんぞ、国民に求めるな。100日間の蜜月なんて甘いぞ。

そう思っている。だが、しかし。自民党の負け方が、半端なんだなあ~。ちまたでは、「大惨敗」と。いや、違う。ただの「大敗北」に過ぎない。落選すべき20~30人が生き残っている。この人たちは「民主的一党独裁時代の根っこ」みたいな存在で、その根があるかぎり、この党は再生できまい。結果として、二大政党制の時代にはならない。

別な言い方をすれば、民主党は勝ち過ぎではない。70%に達しなかった投票率が、あと5%伸び、ざっと500万票をさらに獲得していたら、自民党は2桁に転落し、生まれ変われたのに。つまり、ぼくにしてみれば、そこに風は吹いていなかったのである。

嫌な予感。大したこともできないのに、少しだけ喝采を浴び、一方で多くの人を悲しませながら、ダラダラと政権を維持させる。それも10年とか。

まあ、しかし、ぼくは、自他共に認める楽観論者でもあり。健全な野党がムリで、今後10年も政権党でいられるなら、この国の膿やら垢やら、けっこう浄化できるかも。

いずれにしても、2009年、やっと「戦後」が終わったのかもしれない。

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2009年9月11日 (金)

食欲の秋のその前に

新政権については、正式な首班指名のあとにでも触れることにします、たぶん。というのも、世間で騒がれているような、いわゆる期待も不安も、そして注文なども、当方、いまのところ特段には無く。政権交代のハードルをやっと越えたいま、しばらくは静かに傍観したいのですね、ほんとは。

永田町・霞が関界隈より、当面の課題は、ぼくの好きなファストフード店のこと。匿名にしようかと思ったが、ま、いいや、実名でいこう。「なか卯」での出来事。ふだん、あまり外食はしないのですが、ここには少なくとも月に1度は通っています。味とサービスとの両面で、ひいきにしている。なのに、落ちた。それが、がっかりで。

味については、人それぞれでもあるので、グルメ評論家のように明言できないけれど、でも、ちょっと、美味しくなくなったような気がする。低価格競争の余波かな。

なにより、少し前に食券制度が導入され、入店してまず自販機で購入するシステムになったのだが、これが、まことに使いにくい。注文するものをあらかじめ決めておいても、その品が、どこに提示されているのか、すぐには判別できない。
ご他聞にもれず、メニューは多彩、というのか、セットの方法によって多種に。基本的なカテゴリーは3つ4つしかないだろうに、品数はかなり増えている。
しかし、前面パネルでの並べ方に、いわゆる統一性が無いと言うか、いや、ある程度のまとまりはあるのだけど、それは供給者側の理屈、とケチをつけたくなるくらい、客側からすればバラバラに感じる。もちろん、当方だけの感想ではない。観察していると、何人もの客が自販機の前で右往左往している姿、珍しくもなく。
さすがに、クレームをつけた。本部の意向だろうから、現場に文句を言っても始まらないのは承知。でも、希望メニューをなかなか見つけられない人が少なくないのを見て、いくばくか普遍性はあるだろうと考えた。従業員、多少は心当たりがあるのか、「何のことだが、まったくわかりません」というような反応ではなかった。顧客満足度を斟酌するなら、早期に改善されるのを期待する。

もうひとつは、限定的なことかもしれない。従業員の質の低下。もちろん、全員ではない。でも、うん、これにも普遍性があるのかな。というか、これまた安値競争の影響か、人件費、いささかムリしている? 要するに、バイト店員に対する教育の不徹底は、サービス産業にとっては要ゆえ、命取りにもなりかねないわけで。一人ひとりの資質のせいにしてはいけないだろう。
直近の例では、食べ終わった直後に、「お下げしていいですか」と若い女性。忙しない気はしたけれど、了解した。すると、盆の上の食器とは別にしておいた湯飲みまで持っていってしまったのだ。もう一口飲んで席を立つつもりだった。呼び止めるほどのことはない。だけど、「なんぢゃぁ~」と内心。食後のお茶くらい、ゆっくり飲みたいぞ。店内に客は我一人。混雑しているから、さっさと帰れ、という意味ではない。それだったら、まだ理解する。納得しないけどね。だいいち、彼女は「どうぞ、ごゆっくり」と口にした。
察するに、彼女は何も考えていない。マニュアルどおりなのか。湯飲みまで取り上げて「ゆっくり」もないだろうが、その矛盾には気づいていないふう。

「なか卯」は、10年以上前になるが、オフィスの近くにオープンした店に行ってから、けっこう気に入っている。牛丼だけなら「吉野家」のほうが上かもしれないけれど、ぼくの好きなうどんがメインメニューで、全体的な雰囲気もどことなく親しみが持てて、それらは同一グループの、丼メニューではバラエティに富む「すき家」よりも満足度が高い。

なのに。
外食産業全体の、とくに従業員の質的低下は、このブロクでも何回か指摘したと思う。国際化し、豊かになった日本のこと、ガマンしなければならない面も認める。それにしても、接客技術は、大切な要素であろう。「早い、安い、うまい」だけでは、リアルなモノが介在する商売、やってはいけないはずだ。
人間によって成り立つ社会において、「ヒト」というファクターを軽んじてはいけないことは、いまさら言うまでもない。

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2009年8月29日 (土)

ぼくたちの夏ver.2

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画像のとおり、相方とぼくは先日、千葉のマリン球場に行った。
今季は第1回目、夏も終わりだというのにね。で、たぶん最後。何故? それは、訊かないで。って、まあ、つまり、期待は来シーズンに、ということで。

二人の仕事などの都合をいろいろ調整して、楽天戦になった。
座席は、2階の中央、やや3塁寄り。seiguさんやzunさんに気を遣ったわけではないけれど、最下位争いのロッテを応援するにはモチベーション低く。ここは、やっぱり野村監督をクライマックスに、でしょ。

幸い……の結果。相方は、ちょっと複雑だったようだけど、ぼくは特段、地元チームの熱烈ファンではないし。みゆみゆさん、ゴメンね。

だけどさ、ノーアウト満塁で1点も取れないなんて。

名物の花火を観た。ぼくは初めて。思わず見とれて、あまり良い写真ではないね。ご容赦。

さて。明日は、70年代半ばだったか、それ以来の、楽しみを持てる、歴史的といわれる総選挙の投票日。

意外に短かったような、もちろん暑い日もそこそこ多かったとは思うけれど、電気料金は前年比3割減だから、やはり酷暑とは評しにくい、今年の夏は、どのような終わり方をするのだろう。

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2009年8月23日 (日)

官僚たちの夏

そもそもは、夏ドラマのなかでは最も注目の「官僚たちの夏」の初回で少し感じるものがあったので、そのあたりのことを書こうと思ったのだが、とりあえず2、3回は観ないと一方的になるかな、と、「夏」にちなんでのネタを挟んでいたら、なんとなく、時機を逸した、かも。

低視聴率(10%前後とか)が表すように、やはり、期待外れだと思うのは当方だけではないようだ。暑い夏に相応しくないのは承知の、熱いドラマ。いや、あまりにアツすぎる。そこに、どうしても違和感が拭えない。さらには、近過去ものの難しさ。「結果」を知る立場の評は当然、厳しくなるはずだが、そのハードルの高さを越えるだけの驚きがない。残念。

構造的には幕末もの、戦国時代ものも同様なのだけれども、その時代に生きていた視聴者はもういない。明治ももはや完全に歴史の彼方であり、だから史実を多少逸脱しても許される。いや、戦国武将など、どうあがいても言葉遣いをはじめ正しくは再現できないのだから、想像の羽を思い切って広げるほうが、楽しい。
蛇足ながら「天地人」はあまりにも現代的「愛」に拘りすぎて、逆につまらない。山本勘助のときもそうだったのだが、主人公の「人間性」やら「偉業」についての自由度が低すぎる。織田信長が果たしてどれほどの「革命家」だったのか、いささか疑ってしまうこともあるけれど、常に魅力的に描かれるのは、つまりはスゴイやつだったのだろう、そう思い込める。実際、兼続に比べ謙信やら秀吉のほうが、よほどアピール度が高い。俳優の力? それを言っちゃ……。

さて。「官僚たちの夏」の舞台は戦後であり、記憶に新しい。ある種のドキュメンタリーでもある。さほど脚色できないのは、理解できる。が、そこをうまく処理するのがドラマ制作に関わる人間の腕の見せ所ではないのか。せっかく役者が揃っているのに、ドラマチックではない。非常に優れた「再現ドラマ」とでも言おうか。
ただただ熱く天下国家を論じられても、それが原作どおりだとしても、感情移入できない。なぜなら、ぼくらは今、「国内派」の保護政策のツケを支払っているからだ。同時に、「国際派」の言い分にも素直に頷けない。昭和30年代に市場開放していたら、その後の奇跡の高度成長がありえなかったかもしれないと知っているからである。

そのうえに、たしかに、無私の官僚が存在したし、あのころの志は高かったと回顧することはできるけれど、それらがすでに単なるノスタルジアであることも、高級官僚の汚職・天下りが珍しくなくなった今日、認めざるを得ない。俗っぽくいえば、「三丁目の夕日」に代表される、センチメンタルな「ないものねだり」だ。

城山三郎は1970年代前半にこれを書いている。昭和40年代。私見ながら、かろうじて「戦後」だった時期である。しかし、もはや21世紀、平成の世も21年が過ぎ、そう、平成生まれの有権者がでてきているのだ。政権交代前夜の、こんな時代に、エリート官僚たちの熱い姿を描かれても、ついていけまい。

ドラマ化の時機を逸した。

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2009年8月15日 (土)

戦争を知らない子どもたちの夏

本日は、予定外稿とでも言おうか、ふと書いてみたく。

「戦争を知らない子供たち」という歌は、言わずもがなだろうけれど、北山修氏が作詞し、杉田二郎氏が作曲した、反戦歌の名曲。1970年の発表だから、ぼくは18歳、間違いなく「子ども」だった。

当時の個人的な心象は、「戦争が終わった平和な時代に生きる」子どもとしての誇りみたいなものを感じていた。言い換えると、世の中の大半は戦争を知っていて、つまり「加担した」世代、対してボクらは、という理屈である。

それから40年。極めて幸いなことに、ボクらは未だ(限定的な意味において)戦争を知らない。そして、その子どもたちが子を持ち、さらに孫を持つ年恰好になり、世の中の大半が「戦後生まれ」に。幸か不幸か、高齢社会でもあり、戦前・戦中世代も、それほどマイナーではないけれど。

それでも、かつて我が祖国がアメリカやイギリスや中国などと戦ったことすら知らない世代が増え続けており、玉音放送が「ナマ」だったかどうかがクイズになる時代。「日本のいちばん長い日」は、もはや歴史の彼方なのか。かのレコードをめぐって軍部の一部が「クーデター」まがいの行動をとり、仮に成功していたら「敗戦」はなお先送りになり、3発目の原爆が落ちていたかもしれないなんてIFは、すっかり絵空事なのかな。

そんななか、テレビで「最後の赤紙配達人」を観た。事実に基づいた話で、脚色されたドラマ部分では不覚にも、いや昨今では当然か、滂沱の涙。
さておき。赤紙を配達する「兵事係」が戦死広報も届けていたことは、知らなかった。それどころか、徴兵者に付き添ったりと世話をする担当者でもあったとは……。そんな、ごく当たり前の事実が伝えられていない。

靖国神社に参拝するのもいいけどさ、もっとやらなきゃいかんことがあるんじゃなかろうか、政治家センセイ。

戦後派は「戦無派」になり、やがて「新人類」だの「ゲーム世代」だの、「戦争」を冠して呼ばれることも絶えて久しい。
願わくば、「新・戦前派」にならぬよう。合掌。

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2009年8月12日 (水)

候補者たちの夏

以下は予定稿、つまり以前に書いておいたもの。いかに当方、現実逃避モードとはいえ、こんなに遊んでいるほどヒマではありません。たぶん。
先週のうちにアップするつもりだったんですが、ミーハーなヤツに見逃せないネタができちゃったんでね。でも、来週まで持ち越すと選挙が公示されてしまうから、ちとメンドーになるかと恐れて。

マニフェスト。う~ん。なんだか、違和感を禁じえませんね。旧いヤツなんでしょうか、ぼくは。どうにも、この種の「約束」を信用できないんですよ。

少し前に、「この程度の公約は守れなくても仕方がない」といった趣旨のことを口走った総理大臣がいましたよね。たしかに、「それを言っちゃおしめぇよ」なんだけれども、てゆか、「あんたには言われたくない」なんだけど、まあ、しかし、所詮、そのていどのことだと、一方で諦観しているぼくがいて。

なんたって、さらに少し前、万年野党が与党入りしたとたん、党是ともいえる「約束」を反故にしたもんなあ。それに比べれば、政権獲得を目の前にした民主党が「現実的に」なってきたのなんか、些細なことのようにも思えるし。実際に内閣を立ち上げたら、たぶん、いやきっと、もっともっと変貌するよね。

どこの政党も同じだろう。共産党だって、仮に政権を執ったら(って、かなりの「もしも」だけど)、やれないことばかりのはず。逆に、「道路をもっと作ります」みたいな約束は、実現しないほうがベターな気がするし。

内容的にも、おかしなところがあると指摘(というより非難)されているけれど、そりゃ野党だもの、よくわからないことがあるのは当然でしょう。矛盾箇所や、ゆるい部分は、仕方ないのでは。そんな目くじら立てなくても、と思う。政権党に関しては、まずいけどね。

甘いかなあ……。だけど、有権者の前で土下座する候補者の光景、その酷さに比べたら。
滑稽だと笑ってはいけない。そういう輩が当選して、大臣にでもなったら、とたんにエラソーにするんだもの。これは、マニフェストとか公約とは違うけれど、ある種の「約束」に「違反」しているともいえるのではないかしらん。

とにかく、ぼくは、ことさらにマニフェストを読むことはしないし、検討するつもりもない。日頃から新聞やテレビなどメディアでの政党あるいは議員たちの言動をみていれば、たいていのことは推察できる。

ところが、まあまあ真面目な討論番組の視聴率やお堅い言論雑誌の発行部数は、お笑いのそれらより低い。それが実情だろう。だから、にわかに巻き起こる「マニフェスト・ブーム」を信用できないのである。

それにしても、この暑さのなかでの「事前活動」と選挙運動、大変だね。なんてノーテンキな話でもないんだけれど。だって、解散から1か月と少し、政治的に空白が続くわけで。リーマン・ショックやらトヨタ・ショックやらで、日本経済はキリモミ状態なのですよ。
それでも、しかし、政治的には困っているわけでもないようで。あぁ、永田町は機能しなくても霞ヶ関があるから? ふむ。官僚たちの夏は、いかに……続きは次回(8/18以降かな)。

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2009年8月 8日 (土)

犯罪者たちの夏

現在進行形の事件については触れないほうが賢明だろう。が、どうしても一言、書きたくて。

ほぼ全国的に梅雨明けし夏本番となったとたんの、イケメン俳優による第1弾は、まあ、芸能界のみの「衝撃」だろう。ミセスを含め、よく知らない人物。あまり関心もない。だから、「またか」程度だった。が、続け様の第2弾には驚いた。世間も同様にショックを受けているようだ。

その2の前段は、それでも、「さもありなん」という感じで、相方の、「見るからに、ちゃらんぽらんな旦那」と、女性の「審美眼」を疑う発言に、「そういうキミは大丈夫か」と茶化すと、「わたしは信じている」と言うので、思わず小生、ニヤける、ってな具合で、はい、ノーテンキに惚気ていたわけ。

そしたら、愛称で呼ばれていたのに、いきなり「容疑者」だもん。そりゃ、腑に落ちない部分もあるにはあったが、このパート2は些か予想外。たぶん、トップアイドルだった女優に、ぼくが少しだけ感情移入していたせいかな。

去年の2月に再放送されたときにも告白したけれど、「星の金貨」、なぜか、好きなんだよなあ。40代、つまり人生の折り返し地点を過ぎ、ある意味お約束の「悲恋」物語に初めて心を動かされ、涙が出そうになった。実は、もういちど観たら、ホントに泣いた。主人公の、アイドル時代に覚えはないけれど、手話を交えての主題歌は、うん、たしかに耳に残った。

それにしても、どうして「逃亡」なのだろうか。誤解を恐れずに言い放てば、ちゃんと反省すれば執行猶予がつくであろう、微罪。同様の事案で再犯に手を染めず改心した芸能界の大御所、数え切れず。逃げて得なことは何もないはず。第1弾の事件のほうが、少なくとも「死者」を出している分、悪質に感じる。

パート3もあるのかな。警察が公式のコメントを発表していないのも、引っかかる。ほかにも「登場人物」がいるらしいことが、気になる。

当方、いまは、そうしたことにアタマを使っている余裕なく。ただ、無事の「出頭」を願う。

蛇足ながら、大きな事件連チャンのかげで、名女優の「孤独死」が際立ってしまった。

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