2010年5月25日 (火)

ブログのコメント考

要するに、矛盾しているんだなあ~。

自分のブログについては、一言でもいいから何かコメントしてくれると、うれしい。「おもしろい」だけで、十分だと思う。もちろん、それが反対意見でも、まったくかまわない。「俺のとは違うなあ~」(by「臨場」)と書かれても、不愉快になんかならない。

一方。コメントを書く立場になると、まず、「一言だけではチョット……」なんて躊躇ってしまう。「ぼくも同意見」だけでは不親切だよね、と考え、その理由を少しでも、と思うのだが、けっこう面倒だったりする。逆の場合、「反対です」などと公然と書くのは、もっと尻込みする。なにやら失礼ではないか、相手を怒らせるのでは、なんてビビったりする。

書き手をリアルに知っているとき、こう書いても誤解されないだろう、とは一応、わかっている。あなたのその見解に賛成しないだけで、あなた自身とは、ほらっ、ずっと友人関係を保っているよね、と。
それでも、こんな短い文字数では、もしかしたら誤読されるのではないか、という不安は否定できない。で、ついつい長くなるのだが、そうなると今度は、こんな長文で限られたコメント・スペースを占領してしまい、申し訳ない、なんてね。

だけど、己の心情からすれば、「そのとおり」だけで、いいんだ。もしくは、しつこく持論を論じられても、ノープロブレム。「だから、どーした」「でも、どーした」と、チェーンのように続いても、もちろんOK。議論に相応しい場か、それはわかんないけど、単なる非難の応酬とかでなければ、いわゆる「炎上」ではないだろうし。

で、その内容についてだけど、必ずしも「サラサラっと短文で的確な」(by カミさん)ものである必要はないと思う。そりゃ、読みやすいほうがいいけれど。「グタグタ書いた」(同)って、悪くない。誤解を恐れずに言えば、専門家の討論ではないんだから、冗長だったり、論旨不透明でも、仕方ないよね。

さて。会ったことも直接言葉を交わしたこともないような、ライターの実像を知らないケースでは? コメントする立場でも、される立場でも、これは、難しい。
僅かなコメントでも、それはつまりコミュニケーションの成立を働きかけるわけだから、これが本当に成立するかどうか、正直、心配だ。コワイと言ってもいい。

ここにかぎった場合、たとえばカミさんもzunさんも、自らのブログを展開していて、その文章・文体から、多少は「人となり」が推察できる。みゆみゆさんも、いろいろな場でのコメントを読めるので、少しは。

おそらく、みなさんの「ベクトル」を、それほど間違っては受け止めていないと思う。だけど、自分がコメントするときは、これは、ちょっぴり、不安。伝わっているかなあ~と、いつも気になる。とくに、軽口をたたくとき、どこがリミットか、常に探っている。こんな冗談、通じるかな、と。

そんなわけで、なかなかコメントをしない。なのに、コメントは、欲しい。

勝手なんだよなあ~。反省。

ところで、そもそも、ブログとは、双方向メディアなんだろうか……。

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