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2012年11月13日 (火)

我がアメリカ

米大統領選を、ぼんやり見ていて、ふと思った。ぼくは2回、あの雰囲気を経験しているんだ。あぁ、選挙そのものや党大会とかの取材をしたというわけではなく、単に、一人の在留邦人としてだけど。

76年と80年。前者はカーター、後者はレーガン、それぞれの登場を、彼(か)の地のテレビで見ていた。でも、こんなに騒いでいたかなあ~と、ちょっと首を傾げる。もちろん本場なんだから、あの「お祭り騒ぎ」も知っているが、テレビ報道についての明確な記憶がない。大きなニュースであるのは間違いないし、3大ネットワークは大物アンカーを配置したはずだが、常識的な選挙特番だったから、かな。

比して、日本での扱いは、過熱というのか、本家を超えている、もしくは同じようなレベルだとしても、どうして、そんなに頑張るの? と素直な疑問。いや、そりゃ、日本は属国だから、という理由でもいいんだけれど、たしかに日米関係は重要だけど、でもね、それにしてもね……。

たとえば、フランスの大統領選なんか、基本は結果だけだったんじゃないかな。あんなに、リアルタイムで伝える必要があるのか、と、まあ、そんな正論じみたこと言っても仕方がないか。つまりは、日本は、アメリカが好きなんだ。それが結論。

そんなことより、ぼくの胸に去来したのは、現地で2回も大統領選挙を見たことがあるという、その事実の、なんというか、実感の無さ。言い換えると、あの国にトータル6年間、バカ高い保険料やら所得税やらを払う意味で住んでいた事実のリアリティの薄さ。

思えば、もう30年前。ここまでの人生の半分にあたる昔のことだ。帰国後、幾度か、公私で旅行したが、そう、それは「旅行」に過ぎず。要するに、日本から「行った」のであって、アメリカに「帰った」のではなく。クルマをはじめ多くの所帯道具をガレージセールなどで処分し引き揚げてきた当時は、そのあとも太平洋を行き来する自分を想定していた。

最後に渡米したのは、95年だったか、仕事で。17年が経っている。パスポートは、とっくに切れ、更新もしていない。する必要も、ない。数年前まで娘が留学していたから、多少なりとも「身近な存在」ではあったが、いまは、ただの外国。

でも、ぼくは、あの土地で、英語を学び、仕事をし、恋をし、結婚生活を送り、新聞・雑誌を読み、テレビを観たり、ラジオを聴いたり、フリーウェイを走り、ビーチで遊んだり、でっかいスーパーで買い物したり……、人生を歩んだのだ、24歳から30歳直前まで。

それは、あえて大げさな表現をするならば、我が人生における歴史なのだが、ぼくにとってのアメリカは、相当に遠くなってしまい、ただの「歴史的事実」のように、脳内アーカイブの奥底に、静かに座っている。

ときおり、こうして、米国の話題に触れると、浮遊してくるほどには、鎮座しているわけではないけれど、でも、なんだか、あれは幻だったのか、なんて気障なセリフを吐きたくなるくらい、ひとつの足跡になってしまったようだ。

いろいろな思い出がある。楽しいことも、悲しいことも。笑ったことも、泣いたことも。それらも、夢のまた夢……。かなり強引だが。我がアメリカに 袖は濡らさじ。

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コメント

しばらく寄っていなかったです。

その6年ほど、一つの「人生」だったのでは。
人生は旅だっていうけれど、そういう区切りのいい人生っていいなと思います。

僕の場合、町工場と短大と二つの人生を体験できたのが幸い。
その上に、いくつかの精神的、宗教的、変遷があって今がある。そのことを有難いことと思っています。

なにやら「人生論」風になってしまった。失笑

投稿: seigu | 2012年11月19日 (月) 21時06分

seigu翁、なるほど、そう言えるかもしれませんね。
するってぇと、当方も、幾つかの「人生」を経験していることになりそう。

投稿: hiperk | 2012年11月19日 (月) 23時06分

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