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2012年11月 5日 (月)

そろそろ払うかな

毎週月曜日にはNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」を観る。
それがどうした? だろうけど、2つの意味がある。ひとつは、NHKを見ていると公言していること。受信料、払っていないのに。ま、そろそろ、払う覚悟あり。

もうひとつは、近しい友らもピンとはこないかな、ぼくは、この手の番組が昔から嫌いだったのである。なんだか、わざとらしい、感動の押し売りみたいで、「いいね」「すてきだね」の連発、今風に言えば「家族の絆」かな、そんなもので溢れる空間、反吐が出そうなほど。

それが、いつのころか、1年前あたりかな、ふとチャンネルを合わせ、それ自体、ある種の奇跡なんだが、好奇心で45分間、最後まで観てしまって、そのうえ、ちょっとカンドーしている自分がいて、驚いた。鶴瓶は好きだ。だから、そのトークの妙には、もともと感心していた。けど……。

理由をマジメに分析するのはヤボというもの。そのときのゲストの名前も思い出せないし。来週もと思い、そして、習慣になった。いまや必須アイテムとでも言おうか、楽しみにすらしている。

常套句だが、基本的に、一期一会を実践しているんだよね。訪問するゲストは「また来たい」と口にし、ゲストが会った地元の市井人は「また来てね」と笑顔で。でも、「また」なんて、ほぼないだろうと思う。

その一瞬が、でも、アポなしなんだけど、あたかもシナリオがあるかのように、出会い、偶然を生み出す、不思議さ、面白さ。ドキュメンタリー番組みたいに感じつつ、ぶっつけ本番の楽しさ。偶然が必然のような……。

何でもいいや。とにもかくにも、気に入ってる。それにしても、こんなに好みって変わるのか。このトシになって、いや、このトシになったから? ふむ。トシをとるのは愉快だ。

ちなみに、女性の好みは不変である。まてまて、そう言い切っていいのか……、あやしくなってきたぞ。

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コメント

「トシをとるのは愉快だ。」それはいい。そう思うのが大事。しかし、それに伴って身体の自由が利かなくなる不愉快さもある。共存を図るしかないけれど。
その番組、僕もほぼ見ています。理由の一つは、その時間、見たい番組がないこと。もう一つは丁度、食事の時間。民放よりは騒がしくなくていい。

番組自体は、うまく編集しているなと思います。かなり前に撮影したものを、時間をかけて了解を取りながら編集していく。手間はだいぶかかっているでしょう。同時に、撮影されたけれども使われなかった人や場面が多いはず。故に、不満も現地には残っているのではと。

テレビは最近、音楽番組を多く見ています。その理由は又。

投稿: seigu | 2012年11月 7日 (水) 14時11分

ご承知ではありましょうが、小生、そもそもは還暦前あたりから「老い」を自覚、主には体力的に「こんなはずでは」の日々が増えてきて、加齢に対するネガティブな反応が先ずあり、しかし、翁をはじめとする真正・老師の背中を見て、いや、いかんいかん、「老ける」のではなく「老いる」として、前向きに、と方向転換しての、「愉快」。

投稿: hiperk | 2012年11月 7日 (水) 15時33分

なるほど。大いに「愉快」。教えられた思い。謝

投稿: seigu | 2012年11月 7日 (水) 16時37分

こちらこそ、先達の教えに深謝。
さておき。「乾杯」は、そうでしょうね、編集作業を丁寧に進めていると思います。不満の出ないような配慮も感じられます。過度の賑やかさもさることながら民放は最近、つくりが雑で。好きなお笑い系も飽きました。

投稿: | 2012年11月 7日 (水) 20時06分

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