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2012年11月

2012年11月27日 (火)

老後の楽しみ

先日、親族が集まった。小生と、妹、娘、その夫。こう書くと、男女2人ずつの、ただのファミリーである。

が、妹とボクとの親は父のみで、こうした集まりに出席するに能わず。母はすでに亡くなり、我が妻も同様。妹はいわゆるバツ一。

父とぼくら兄妹は、いずれも、この姓を名乗っているが、シングル。娘だけが、伴侶を得て、姓を変え、将来の「増員」が図れる。あぁ、妹に再婚の意思はない。

つまり、当家には、「跡取り」がいない。まあ、旧家とか名家とかではないから、途絶しても、さしたる問題は生じないけれど。

ただ、娘は、国際結婚なので、母国での籍という意味では「旧姓」が温存されるらしい。わかりにくいかな~。娘婿は日本に本籍を持たないので、彼らの結婚における「入籍」は、婿が娘の籍に入るという形なのである。が、見た目、というのも変な表現だが、娘の姓は婿のそれに変わっている。正確には、二つの姓の共存というスタイル。

この先、彼らが子を持つと、その子の名は、たとえば「TAROU YAMADA=SMITH」のような表記になるわけだ。実際には、スミスのようなアメリカンではなく、娘婿はドミニカ共和国籍で、母国語はスペイン語である。

なんだか、面白い。10年後あたり、稀ではないにしても、あまり見かけない、変則的な家族になっているだろう。

ちなみに、亡き妻の家にも将来の跡取りはなく。兄と弟がいるが、ともにシングル。あと2、3回、干支が巡ると、この両家の、唯一の子孫が、外国姓を持つ、我が娘になるわけだ。

さらに。亡妻の大叔母は渡米し、米国人と結婚しているので、いとこのレベルには、アメリカ生まれのアメリカ国籍を持つ、ごく普通のアメリカ人が、ごろごろいる。当方はもちろん、彼らとは「義理」の関係だが、我が娘は、血筋としては繋がっている。

その子は、3つの国が絡む、まさに、国際人である。日系人? 米国系? スペイン系? ドミニカ系? どんなふうに呼ばれるのだろうか。

孫という存在には基本、関心が薄いけれど、楽しみではある。

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2012年11月19日 (月)

赤い緑

妄想です。というか、極論、暴論の類、かな。

今回の総選挙、当方にとって最大のポイントは「原発」です。
細かいことはおいといて、つまり「脱」か「推進」か、そこを考え、投票したいと思います。

でもね。
現政権与党はじめ既成政党は、とにもかくにも「容認」してきたわけで。いまさら「依存しない」とか主張されても、なんだかなあ~。

では、新しい政党? 注目の「第三極」は当初、「脱」の方向だったみたいだけど、「容認派」と合体したいまとなっては、信用できない。

明確に「反対」を標榜するミニ政党もできたようだ。が、現有勢力数人。頑張っても2ケタいくか。となれば、ここに一票を投じても、結果的に「死に票」かも。

いまのところ、任せられる政党が、ない。だったら、いっそ、現行のままで、いいか。難破船から逃げ出すような輩は逃げ出し、けっこうスッキリしてきたようだし。もっともっと離党してもらって、昔の姿に戻れば、それなりに期待もできよう。

でも、たぶん、いや、間違いなく、負ける。野党になってしまう。それでは、困る。

うん、困った。困ったので、晩秋の夜の空想。「公約」を違えない可能性が最も大きいのは、ぼくが支持しない、万年野党。ここなら、「反対」を貫いてくれそう。それに、ここは全選挙区に候補者を立てるという。

全員当選すれば、かなりの勢力になる。比較第一党もユメじゃない? うまくいけば、政権をとれる、かも。そしたら、とりあえず「推進」はあるまい。

とはいえ、まさしく「政権担当能力」には大いに疑問符がつく。当選するつもりの候補者なんて、ほとんどいないだろうし。でも、そんときゃ、経験者をリクルートして、連立でもして、って無理かなあ。

だいたい、党名がよくないし。この際、「みどりの」何とかで、「反原発」勢力を統合して、という手は、ないか。ま、「赤い緑」と揶揄されそうだけど。

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2012年11月13日 (火)

我がアメリカ

米大統領選を、ぼんやり見ていて、ふと思った。ぼくは2回、あの雰囲気を経験しているんだ。あぁ、選挙そのものや党大会とかの取材をしたというわけではなく、単に、一人の在留邦人としてだけど。

76年と80年。前者はカーター、後者はレーガン、それぞれの登場を、彼(か)の地のテレビで見ていた。でも、こんなに騒いでいたかなあ~と、ちょっと首を傾げる。もちろん本場なんだから、あの「お祭り騒ぎ」も知っているが、テレビ報道についての明確な記憶がない。大きなニュースであるのは間違いないし、3大ネットワークは大物アンカーを配置したはずだが、常識的な選挙特番だったから、かな。

比して、日本での扱いは、過熱というのか、本家を超えている、もしくは同じようなレベルだとしても、どうして、そんなに頑張るの? と素直な疑問。いや、そりゃ、日本は属国だから、という理由でもいいんだけれど、たしかに日米関係は重要だけど、でもね、それにしてもね……。

たとえば、フランスの大統領選なんか、基本は結果だけだったんじゃないかな。あんなに、リアルタイムで伝える必要があるのか、と、まあ、そんな正論じみたこと言っても仕方がないか。つまりは、日本は、アメリカが好きなんだ。それが結論。

そんなことより、ぼくの胸に去来したのは、現地で2回も大統領選挙を見たことがあるという、その事実の、なんというか、実感の無さ。言い換えると、あの国にトータル6年間、バカ高い保険料やら所得税やらを払う意味で住んでいた事実のリアリティの薄さ。

思えば、もう30年前。ここまでの人生の半分にあたる昔のことだ。帰国後、幾度か、公私で旅行したが、そう、それは「旅行」に過ぎず。要するに、日本から「行った」のであって、アメリカに「帰った」のではなく。クルマをはじめ多くの所帯道具をガレージセールなどで処分し引き揚げてきた当時は、そのあとも太平洋を行き来する自分を想定していた。

最後に渡米したのは、95年だったか、仕事で。17年が経っている。パスポートは、とっくに切れ、更新もしていない。する必要も、ない。数年前まで娘が留学していたから、多少なりとも「身近な存在」ではあったが、いまは、ただの外国。

でも、ぼくは、あの土地で、英語を学び、仕事をし、恋をし、結婚生活を送り、新聞・雑誌を読み、テレビを観たり、ラジオを聴いたり、フリーウェイを走り、ビーチで遊んだり、でっかいスーパーで買い物したり……、人生を歩んだのだ、24歳から30歳直前まで。

それは、あえて大げさな表現をするならば、我が人生における歴史なのだが、ぼくにとってのアメリカは、相当に遠くなってしまい、ただの「歴史的事実」のように、脳内アーカイブの奥底に、静かに座っている。

ときおり、こうして、米国の話題に触れると、浮遊してくるほどには、鎮座しているわけではないけれど、でも、なんだか、あれは幻だったのか、なんて気障なセリフを吐きたくなるくらい、ひとつの足跡になってしまったようだ。

いろいろな思い出がある。楽しいことも、悲しいことも。笑ったことも、泣いたことも。それらも、夢のまた夢……。かなり強引だが。我がアメリカに 袖は濡らさじ。

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2012年11月 5日 (月)

そろそろ払うかな

毎週月曜日にはNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」を観る。
それがどうした? だろうけど、2つの意味がある。ひとつは、NHKを見ていると公言していること。受信料、払っていないのに。ま、そろそろ、払う覚悟あり。

もうひとつは、近しい友らもピンとはこないかな、ぼくは、この手の番組が昔から嫌いだったのである。なんだか、わざとらしい、感動の押し売りみたいで、「いいね」「すてきだね」の連発、今風に言えば「家族の絆」かな、そんなもので溢れる空間、反吐が出そうなほど。

それが、いつのころか、1年前あたりかな、ふとチャンネルを合わせ、それ自体、ある種の奇跡なんだが、好奇心で45分間、最後まで観てしまって、そのうえ、ちょっとカンドーしている自分がいて、驚いた。鶴瓶は好きだ。だから、そのトークの妙には、もともと感心していた。けど……。

理由をマジメに分析するのはヤボというもの。そのときのゲストの名前も思い出せないし。来週もと思い、そして、習慣になった。いまや必須アイテムとでも言おうか、楽しみにすらしている。

常套句だが、基本的に、一期一会を実践しているんだよね。訪問するゲストは「また来たい」と口にし、ゲストが会った地元の市井人は「また来てね」と笑顔で。でも、「また」なんて、ほぼないだろうと思う。

その一瞬が、でも、アポなしなんだけど、あたかもシナリオがあるかのように、出会い、偶然を生み出す、不思議さ、面白さ。ドキュメンタリー番組みたいに感じつつ、ぶっつけ本番の楽しさ。偶然が必然のような……。

何でもいいや。とにもかくにも、気に入ってる。それにしても、こんなに好みって変わるのか。このトシになって、いや、このトシになったから? ふむ。トシをとるのは愉快だ。

ちなみに、女性の好みは不変である。まてまて、そう言い切っていいのか……、あやしくなってきたぞ。

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