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2012年4月18日 (水)

全ては記録できない

「愛の字」さんに脅かされたので、もとい、唆されたので、もとい、要求されたので、もとい、諭されたので、ん? 何が的確な表現か、わからなくなってきた、けど、ま、いいか、何にせよ、更新が滞っているのはカッコよくないので。まあ、それに、翁との約束もあるので、先日のNHKのクローズアップ現代「ライフログ」について、一言ふたこと三言……。

日々の行動の何もかもを記録にとっていく行為、というか生き方、いや、それは大袈裟か、つまりは習慣とかクセだろうが、丸ごと記録という次元になると、意識も変わる、とか、そういう内容。「背景に迫る」と番組は謳うのだから、けっこうな広がりをもつ「現象」と捉えることになるわけだ。実際、そう簡単には看過しにくい「症状」だと感じた。

カタカナで表現されると「聞いたことないよ」と驚くが、つまりは「日記」だ。それ自体、とくに珍しくも新しくもない。たしかに、記録する「媒体」がデジカメやらケータイ・スマートフォンやら、近年急速に進化し、さらにはネットと繋がり、そう、デジタル化したことで、いささか様相が異なってきたかもしれない。が、番組では、アナログでの「人生記録」にも触れている。それは、まさに「日々の記録」=「日記」なのだが、これもまた、かなり詳細に記録を残そうとすると、従来の随想的な日記の曖昧さを凌駕してしまい、何やら、記録することが目的のようにみえてくるわけで、番組を見終わって、「強迫観念」で日記を残そうという試みなのか、と、そんなふうに受け止めてみた。

まあ、本人たちが楽しんでいるのなら、それでもいい。歩数なんて、ぼくには不要な情報だけど、必要だというなら異論を挟まない。毎日の食べたものの記録も要らない。でも、「自分だけのカタログ」で、それを見ることで笑顔になれるのなら、ゴチャゴチャ言うまい。栄養バランスを考える、健康管理だと言い張るのなら、うん、立派だ。一日の行動をグラフ化して「自分が何をしていたか意識するように」なるのが自己管理だと、思うなら思えばいい。相手との絆の状態をモニターしてもらい「関係が疎遠になっているよ」と警告してもらいたい? うんうん、構わないよ。

ナレーションによると、そういうことで「自分を見つめなおしたい」らしい。言葉のアヤではあるが、ぼくに言わせれば、そもそも、「見ていない」んじゃないのかな。「なおす」もなにも、己と語り合って生きていないから、そうした「日々の記録」を求めることになるのでは? 多忙を言い訳にしたら卑怯だ。何がそんなに忙しいんだろうか。もう一人の自分と話す余裕もない? それは異常だ。ライフログの前に、そんな日々を変えなくてはマズイだろう。生きるってことは、もともとイイカゲンなもんだから、そんなに真摯に向き合う必要なんて、ないじゃん。

究極の人生の効率化をめざすという事例も紹介されたが、しかし……。別に、全人生を記録しなくても、たとえば歯ブラシ交換のタイミングなんてわかるだろう、と思うんだけどね。仮に、忘れたとしても、それが何なの? 非効率だと? そりゃまあ、忘れないほうがいいだろうけど、それだけのことじゃん。いちいち、コンピューターに「足の爪を切る時期ですよ」と言われないと、ダメなのか。多い日には1日100件の指示だと……、もはや、言葉がない。そんなにまで管理されたいのか、だったら、仕方ないけどさ。雑事に煩わされることなく生きるのが楽だとまで明言するのなら、他人がどうこう言う筋合いて゜はないさ。

だけど。なんか違和感。いや、「なんか」どころではない。強烈な違和感である。人生なんてものは、忘れることもあり、忘れられないこともあり、いろいろな積み重ねで、ときには思い出したり、思い出すことで、遠い昔の記憶を追体験できたり、それがまた楽しかったり、悲しかったり、一生思い出さないよう封印した記憶があったり、それでもその封印が解けたり、それで慌てたり、戸惑ったり、そして、それこそ、そういうことによって自分を見つめなおす機会に恵まれたり、そんなこんなを懐かしがったり、悔やんだり、そうしたアホみたいなことの連続だと、ぼくは強く思う。

実は、ぼくも、そこそこ「記録魔」だ。いろいろとメモしたり、写真に撮ったりする。どんなに印象的な出来事でも、いつまでも、そして全ては覚えていられない、と思うからだ。でも、必死にはならない。後に思い出す際の補助になれば、その程度だ。だから、かな、記録し忘れることもあるし、曖昧な表現をしてしまい後日、「どういう意味だっけ?」と自問したり、間抜けなことも。でも、繰り返しだが、そんなものだろう、生きるってことは。

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コメント

「ライフログ」。どう判断するかはそれぞれでしょう。僕は、手帳の日記にその日のあれこれをメモしています。ことに、昼食。妻の工夫を確認するため。朝食と夕食のメニューは記録していません。孫たちの出入りはメモ。自分での行動も覚えふうに。
これらは、老化防止が主眼。数日前のことが思い出せないことがある。少しのメモをしておくことで思い出すきっかけとなるよう。
ツイッターは、思いのメモです。フェイスブックに連携していなかった頃は、かなり八方破れだったようです。連動させてからは、特定の読者が想定できるのである程度緊張感を持ってつぶやいています。
ツイッターでのツイートがいまは生活の一部となっているため、「ツイログ」だと自称。
これから、SNSを使っての「対話」のありようを考えてみたいと思っています。『動員の革命』という本も出ていますが、SNSを基盤にした「対話」で生き方が少し変わるのではないかと思うからです。『対話の革命』? 
舌足らずですが、今日はこれで。

投稿: seigu | 2012年4月18日 (水) 15時35分

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