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2011年10月17日 (月)

「老ける」のではなく

後ろ向きの人生だったのに、たまさか前を向いてみたら「老い」に気づいた、そんなことを10月16日付で書いた、と思う、たぶん。
いきなり脱線だが、自分の文章をまとめるのは苦手だ。このブログ、論文を著しているわけではなく、ただの随想だから、それにしちゃ理屈っぽいけど、理論的に破綻していないとも限らない。論の進め方におかしな部分があるのは否定しない。日本語としてのわかりやすさ、的確さには留意しているけどね。

これからの生き様を注視するようになったのは、残り時間が短くなってきたと自覚したからではあるが、身近な「喪失」も大きく関係する。
ひとつは、言うまでもなく伴侶の他界。小生49歳。きちんとした将来計画をそれまでに立てていたわけではないけれど、ざっくり、こんな感じというものはあった。それが崩れた。幸い、過分な相方と出会えたが、先の見通しについては不透明。少しはクリアにしたいと、視線が前を向く。

もうひとつは、母のお迎え。父よりも早かったのは完全に想定外だったが、何よりも、「あぁ、親をみおくるトシになったんだ」と認識した。ちょうど3年前。小生56歳。当時、周囲で同様の事例が幾つか。なおさら、痛感した。
そして、「老い」という言葉が、ぼくのアタマにすみついた。

祖父は60歳前に亡くなったが、祖母は長生きし、92歳での大往生。このとき、当方、50の大台に乗って間がない。知友の話では、じいさんばあさんをみおくるのは30代とか、もう少し若いときが多いようだ。その意味でも、老人の葬式に出る機会として、やや遅かったか。平均寿命が延びて「老老介護」などという言葉が生まれたが、これからは「老老葬」か。

ここまで書いて、seigu翁からの「老いをプラスイメージで」とのコメントに接する。慧眼である。これまで「老い」を、身体が弱る、知識が役に立たなくなる、いろいろなことができなくなる……そうした負の意味合い強く使っていました。でも、たしかに、「新しい体験で智慧を重ねることをも言う」との翁の指摘、ごもっとも。

老ける、のではなく、老いる。
齢(トシ)をとる、のではなく、齢(よわい)を重ねる、これは、ぼく流。

ポジティブ・シンキングってことですかね。英語、というかカタカナにすると、わかったつもりになるのは良くないクセですが。

そんなわけで、生来の楽天気質のままに、「老い」を楽しむつもりで、並んで歩いてみよう。

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コメント

お宿を借ります。
愚生、パソコンが不調で拙HPの改訂ができない。

「老いる」と「老ける」。いま、パソコンはしっかり変換してくれました。「老ける」を「ふける」と読めるのは、それなりの年齢の人か。新しいパソコン、アプリケーション、超高齢社会適応なのか。

老いを楽しむ、その心意気で行きましょう。

前向きに生きていこうと呼びかけるその恥ずかしさ思う老いわれ
ポジティブに生きると思うわれなれど痛みいくつかありてたじろぐ
このあたりが本音。

では、では。

投稿: seigu | 2011年10月18日 (火) 12時01分

seigu翁、パソコン入れ換えと聞き、貴サイトの更新を楽しみにするも、なるほど、電脳の宿命ですか。調子が戻るまで、どうぞどうぞ、ここを第2の我が家と思っていただき、ご利用の程を。

投稿: hiperk | 2011年10月19日 (水) 22時32分

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