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2011年10月16日 (日)

「老い」を意識するということ

前稿で「老い」という言葉を気軽に使ったら、レギュラー・コメンテーター2氏から、気が早いとの指摘。はい、もちろん、自らを「老人」とは認識していません。若いときの予想からすれば、まったく逆、還暦間近の実感、ほとんどありません。

その「ズレ」、つまりは、ますもとさんの言うように「老いは逃げる」ようで。いや、「老い」に限らず、「齢」とは手が届かない陽炎かも。40歳になったときも、50歳を越えたときも、似たような感覚でした。

いまも、「アラ還」を多用していますが、正直、「もうじき還暦なんだよ」と自分に言い聞かせているような、要するに、「還暦」は逃げている、といったイメージですね。

ただ、一方で。ここからは、いささか文学的考察みたいなものになるでしょうか、かなり以前から、時代認識とか、自分にとっての1960年代とは、同じく70年代とは、とか、そして、年齢とか、さらには、その両者の関係とか、そうしたものに関心が高かった。たとえば、「主観的な60年代は1975年まで続いていたかも」とか、そういう、まあ、一種の妄想ですけれど。

同様に、トシについても、たとえば「19の秋」とか「28の春」とか、そういう記憶を大切にしてきたこともあり、実年齢と「情緒的な年齢」との、差異みたいなものを意識する傾向が強いのかもしれません。

当然ですが、老いは未経験です。いや、還暦も何もかもが同じ。「未来」は文字通り「未だ来ない」のだから、すべての1秒先が初めての経験です。でも、実際には、明日は(基本的に)きょうの繰り返し。別に、毎日毎日、新しい刺激を得ているわけではありません。

もっと言えば、このところ、1か月単位でみれば、上旬に修羅場、脱出して溜まった録画を消化する、とか、1年単位なら1月はあれ、2月はこれ、といった感じで、多くの出来事は、ほぼリピートしています。

そんな日々の積み重ねを、あるとき振り返ると、数年単位の「何か」に気づいたり、もしくは、数年単位で見通すと、「あぁ、もうじき還暦か」とか、人生の尺度に触れます。「生涯」でもいいですが、寿命80歳と仮定し、冒頭の10年は無意識ですから省き、人生70年、45歳くらいが折り返し地点だとか、55-56歳で三分の二だったなあ~残りは三分の一か~、とか。

これは、あくまでも、数字の上でのこと。とても長く感じる1日もあれば、その1日程度の速さで1週間が過ぎていったり、感覚と理屈とは違う。もしくは、積み重ねた1年と白紙の1年とでは、もちろん重みが異なるわけです。

顧みれば、たしかに、人生には「節目」があります。この先にも、いくつか、あるでしょう。数少ないであろうその節目のひとつに、どうやら、ぼくは「還暦」を想定しているようです。そうなんです、ぼくは、「予測」しているのです。

「60歳で定年、年金生活に」というような計算が立たない生き方をしてきたせいか、計画や見込みを立てたりはもちろんしますが、将来不安とはもしかしたら無縁だったのかもしれません。いま初めて、残り20年を「計算」してみて、リアルに「老い」を意識するようになってきた、そう言えるのかも。

そんなふうに考えると、「早すぎ」どころか「遅すぎ」かな。「常に後ろを振り向かずに前だけを向いて」ではなく、常に先のことなど気にせず後ろを振り返りながら歩いてきた、そんなぼくの目の前に、いや足許から、「老い」が広がり横たわっているのです。

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コメント

月曜日午後一時過ぎ。新しいパソコン、入力していてタイピングの反応がいま一つ遅く、慣らし運転の感じでコメントさせていただきます。恐縮。

「老い」に焦点を当てた今回の稿、すっと理解できました。

過去を振り返りながら考えると、過去にある事実と現在との違いに日々を感じます。
昨年10月16日?に、ツイッターについて感想を聞いたのに対し、以前のチャットを思い出しながら答えられました。愚性はその後、かなりツイッターを使ってきました。その体験から、現在のSNSは、「公衆性」が強いのが特徴と感じています。古語?に「言挙げ」がありますが、その語感を感じさせるようです。
「老いる」とは、年を重ね、体が弱まることのように受け取りがちですが、新しい体験で智慧を重ねることをも言うと考えたい。「老ける」はマイナスイメージですが、「老いる」はプラスイメージで使われるようになるといいなと思っています。そのように、高齢化社会にあって、「老い」を新鮮に受け止めることが大事だと思います。

永六輔さんがテレビで「あと数年」かというように言っていました。パーキンソン病と前立腺がんを患っていて、のこと。78歳、愚生と同年。愚生も同じかもしれませんが、あまり意識はしていません。還暦を節目と考えるほどには、80歳を節目とは考えない。人それぞれではあるのでしょうが。

もう30分ほど経ちました。これまでにしておきます。合掌

投稿: seigu | 2011年10月17日 (月) 13時40分

貴サイト更新より拙ブログへのコメント先んじられ、こちらこそ恐縮。
たしかに、「老い」を「老ける」との否定的な意味合いで使っています。プラスイメージで「老いる」と。なるほど。もはや「超」のつく高齢社会。いろいろと既成概念を改める必要がありますね。
まだまだ教えを乞うこと多く、翁、末永く、よしなに。

投稿: hiperk | 2011年10月17日 (月) 15時49分

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