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2011年9月

2011年9月21日 (水)

台風一考

夕刻、ピークの数時間帯に入ったようだ。
雨よりも風が凄い。ベランダを強風が駆け抜けてゆく。南側の小窓を開けると、北向きのユーティリティの窓も開けているためか、部屋の中も吹き抜ける。雨は吹き込んでこないようだ。

東京につながる鉄道は全面的にストップしている。こんな日に都心で取材があったら最悪だが、仕事はシビアだ。台風の影響を受けている諸氏に、心から同情。当方は、もちろん自宅待機。同様の知友もいると聞く。いわゆる「宮仕え」ではない気楽さ。

それにしても……。こうした状況にもかかわらず、田んぼの様子を見に行き命を落とす老人。なんとも。体力に自信があるからか。いや、過信だよね。ぼくなんか、同じ立場でも絶対に、そんなことはしない。

それから、現場中継のテレビカメラのむこうで、はしゃぎまわるガキたち。こんなアホでも、もし災害に巻き込まれたら助けるわけだ。税金の無駄遣い。万一のときの二次災害を考えたら、いやはや……。

てなことを書いていると、相方から電話。窓のサッシがガタガタと鳴り続け、怖い、と。ふむ。女の子だなあ~。って、あまりにノロケが過ぎる表現か。ご容赦。「あと数時間の辛抱」と、冷静に対応。

まあ、しかし、思えば、若いとき、台風ごときで右往左往しなかった。増水した川を覗きに行ったこともあった。ただの好奇心である。うん、楽しんだ面も否定しない。あえて、そんな日に外出し、同類の友らと、「わぁ~、傘が壊れちゃう」とか、「吹き飛ばされちゃうぞぉ~」なんて、バカなことを言い合ったり、とかね。

そんなムチャをしなくなる。それが、齢を重ねる、ということなのか。そして、ムチャだとの自覚を無くす。それが、老いる、ということか。

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2011年9月11日 (日)

たかが数字

「9.11」。10年という節目ながら、この日のことを書くのは難しい。

テレ朝の「ニュースステーション」での、あの瞬間の映像の衝撃は、そうそう簡単に忘れられるものではない。3000人近くが犠牲になったという事実も、同様。もちろん、「1.17」の6000人、「3.11」の2万人のほうがショッキングではある。

数字の問題ではなかろう。こちらは「大自然」相手。あちらは「人間」、もしくは、その「業」か。比べるべきものではないような気がする。

いや、「べき」論ではない。幸い、と、あえて言わせてもらう、これら合わせて3万人の中に、ぼくの知友は一人も含まれていない。知人の親族に被災した人はいるし、先の先には命を落としたケースもあるだろう。「9.11」の影響で心を病んだ女性は、旧友の妻、よく知る相手だ。このブログの定期読者のなかには、多くを語らないので詳細は不明ながら、かの地に在住する人がいる。さぞかし、と思う。

でもね。こういう言い方は顰蹙を買うかもしれないが、タイトルにあるように、どれだけ悲惨な数字であっても、直接この身に火の粉が掛からない限りにおいては、単なる客観的な事実に過ぎない。

これが、もし仲のよい友が津波にさらわれていたら、それがたった一人だとしても、ぼくにとっては、極めて重い出来事になる。いきなり、主観的事実になる。

あの「9.11」について触れるのが厄介なのは、実は、そういうことで。その2か月前に、ぼくは、一つの身近な命を喪っている。その「マイナス1」が、ぼくにとっては大切で、意味を持つ。

だから、テレビから「あれから10年」という言葉が聞こえてくると、ぼくは「ウチも、あれから10年なんだけどね」と応じてしまう、胸の内で。「忘れない」なんて言われると、「うん、忘れるもんか」と。「この10年、何が変わったか」とか問われると、「そうだね、いろんなことが変わったよね、信じられないほど」。

そんなわけで、矛盾しているかもしれないが、この、まったく種類の異なる2つの出来事は、ぼくの記憶のなかでは、妙にシンクロしてしまう。一方は所詮、他人事なんだけど、どうにも、干渉し合う。情緒的には「風化」しているはずの遠い国の事件は、いまだ、生々しさを保持する。

蛇足。「周年」という呼び方、なんだか楽しい思い出みたいで、違和感がある。「記念日」にも。何か、もっと適切な表現は、ないものか。「メモリアル」だと、やや中庸な気はする。これの大和言葉って……。

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2011年9月 8日 (木)

たかが紙切れ

娘の転出届を出した。それだけのこと。なのに……。

あらためて思うほど大袈裟な問題ではないのは承知。でもね、考えたら、生まれてこの方27年余、娘とは同じ世帯だったわけで。近年はずっと同居していなかったとはいうものの、おおむね子どもが社会に巣立つまでは一緒に住むわけで。

ぼくは、大学生のとき1年ほど、就職したあとも1年弱、育った家を離れた。いずれも「独立」の認識はなかった。そして、24歳でアメリカに渡ったときも。これは結果的に6年にわたるのだが、当初は一時的な別居だと。結局は、滞米中に28歳で結婚したので、まあ、それが巣立ちだったか。

帰国して、30歳直前、新しい戸籍をつくった。おぉ、娘のほうが早いじゃん。ふむ。いずれ、子は去っていく。「去る」は情緒的な表現か。前述のとおり「巣立つ」で、いいのかな。

肩の荷が下りた? うぅむ。20歳(はたち)を過ぎれば独立した人格、との考えから、とっくに、と言いたいが、留学なんぞしていたので、そこんとこは、ちょっと逆に重かった。が、数年前からは当然ながら「保護の対象とはしない存在」に。

だって、もうオトナだものね。いつまでも「パラサイト」されては困るし。母親がいなくなったので、多少は甘く扱った面も否定しない。「けっこう親バカ」てな声が聞こえてきそうだが、いやいや、「気にかけない相手」としてきたつもり。

役所の手続きは本人がすべきことだけど、すでに遠くで新居を構える娘の便を考え、当方が区役所へ足を運んだ。娘だけの転出。書類に理由を書く欄はないが、一般的には「結婚」だろう。係員は何も尋ねない。全所要時間10分弱。紙切れ一枚のこと。あっさりしたものである。

いずれにしても、親子の縁が切れたわけではない。でも、こちとら、60年間ずっと同じ姓である。娘は、もちろんファーストネームに変わりはないが、ファミリーネームに関してはね……。

さて。冒頭の一行の「……」に続くのは、ふと言い様のない思いが一瞬、胸をよぎった、というあたりのことかな。

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2011年9月 6日 (火)

たかが水

「たかが台風」などと言ってはいけないことは、よくわかっているつもり。だけどね……。

いまは21世紀。伊勢湾台風の時代とは、進路予想の精度も格段に向上しているし、対策だって、と思うのよね~。

それでも犠牲者100人のオーダー。なお孤立した状態そこかしこで、数千人がライフラインなし、ケータイ通じず、とか。避難場所すら浸水したと聞く。

何とかならないものか。ならないんだろうなあ……。つまり、自然ってやつは、こういうものなんだろうね。

先の大震災も、プレートとかいうものが、ほんの少し動いただけで、あんな結末に。今回も、ときには「恵みの」と歓迎される雨が、ちょっと長めに降り続いただけで、正反対の事態に。

遺伝子操作やら、ブラックホールやら、地上634メートルの自立塔やら、科学技術の進歩には驚かされる。素人には、とんでもないとの表現でも間に合わない、スゴイことが可能になってきた。

だけど、大雨が4、5日、降り続いた結果が、これ。巨大地震は1000年に一度としても、台風なんて毎年のこと。それでも、対応しきれない。

所詮、人類の英知なんて……。

テレビニュースで、被災地の人が「飲み水がない、(人間は)水がないと生きられない」と嘆いていた。そして、背後の氾濫した川を振り返り、「水は、こんなにあるんですけどね~」とも。

何だか、不条理という言葉が頭を離れない。

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