« ガンバるな、ニッポン | トップページ | まいった »

2011年3月31日 (木)

絶対なんて

この世に「絶対」などない。絶対とは言わないが。
何だか禅問答のようで恐縮。だけど、原発は絶対安全などと、いったい誰が……と思うとき、「クリーンエネルギー」という服(by ますもとさん)を着せた罪は大きいよね。

あえて、いま「犯人探し」をしようとは思わないが、「共犯者」を無視することはできにくい。「クリーンだ」とか「安価だ」とか宣伝してきた人たちやら、この段階で殊更に危険を煽る人たち、さらには、その正反対の、漏れ出す放射性物質からの安全を求める声。

ある情報バラエティ番組でのこと。汚染されている水や野菜について専門家たちが数値を示しつつ「大丈夫だよ」と解説するのに対し、庶民派・司会者が、しつこく「安全か」と問う。なかには「安全です」と言い切る人もいるのに、この司会者は「絶対に?」と畳み掛ける。「絶対に安心」と太鼓判を押せる学者はそうそういまい。すると、「やっぱり心配ですね~」と、そのコーナーを締め括った。

ぼくは、これこそ「風評被害」だと断じたい。司会者は、いわゆる一般庶民の不安を代弁したつもりだろう。コトがたとえば政治家のスキャンダルならぱ、「法律違反はない。私は潔白です」との主張に「でもね~」と疑問を投げかけるのはアリだろう。

でもね~、今回の件では、「庶民は安心できない」ことを繰り返し口にするのって、どうなんだろう、と、ぼくは苛立つ。愛煙家だった人間が言うのもおかしいが、そんなに絶対的な安心・安全を求めるのであれば、たとえば禁煙法なんぞ即座に施行しなきゃいかんだろ。

人を殺してはいけないとの絶対的規範にも、正当防衛という例外はある。規則やルールにも、もちろん。「絶対に守るべき」ではあるけれど、しかし、法律に縛られ、目の前の命を守れなきゃ、意味ないじゃん。

ぼくは「完璧主義者」だが、一方で、相当にイイカゲンでもある。そうしてバランスをとり生きている……なんて、自分のことを例にしても説得力はないか。でもさ、もう少し、物事には曖昧な部分があっても、いいんじゃないかなあ~。

|

« ガンバるな、ニッポン | トップページ | まいった »

コメント

hiperkさん、こんにちは。「絶対」を求めちゃうのでしょうね。これは私が金融関連の記事を取材するようになって学んだことなんですが、金融工学の登場がそのエポックだったと思いますけど、世の中は「確率」で語る時代になっていたのです、かなり昔から。おそらく「リスク」という本によると大航海時代の保険の発明から。社会の隅々まで確率で考えるようになったのに、リテラシーとして教育面ではあまりそこが浸透していないのです。いま原子力の専門家たちは確率で考えていますが、そのレアな数値を出すと、大多数の人は「安心できない」のです。また教育というものは、「君はある確率で大金持ちになるし、ある確率ですべてを失う」とは言わない性格のもので、「誰でも努力すればなんととかなるよ」というスタンスに立ちたいわけです。だから確率の話を「数学」という教科にだけ閉じ込めてしまっています。実はそうではないんですけどね。「私たちはある確率の上に生きています。努力することは、どんなに歩が悪くても、サイコロを振り続けることです」とは言わないんですよね。

投稿: ますもと | 2011年4月 1日 (金) 08時37分

「確率」で原子力を考えると、どうなんでしょう。飛行機の安全度よりも高いのでしょうね。

問題は「エネルギー」。快適生活の確率を考えるには、原子力は外したほうがベターなのでは。

「エネルギー」の問題は、「思想」の問題と考えるのがいいかと。そう思っていますが、「生活思想」=「生きながらえるには」とすると、宗教的な発想が必要かと。

4月1日には、あまり議論しても仕方ないか。

「米仏日」の連帯は、「四月バカ」ではなく正気の話らしい。困ったものだ。

投稿: seigu | 2011年4月 1日 (金) 17時03分

レスを忘れていました、ご容赦。日本経済復興支援にかまけ、つまり呑み屋で大騒ぎしすぎ、脳細胞がドンヨリと。。。

それと関係あるのかないのか、、、当方、ノーテンキな人間なんですが、どうにも、気分的に落ち込み傾向、如何ともし難く。「神はサイコロを振らない」なんて言葉が、アタマの中を駆け巡っています。

投稿: hiperk | 2011年4月 4日 (月) 01時13分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ガンバるな、ニッポン | トップページ | まいった »