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2011年1月18日 (火)

惑いの祝い日

おかげさまで、無事に59歳の誕生日を迎えました。
次回は還暦、そう、60歳ですね、つまり、50代最後の1年ですか……。
何やら、感慨あり。
「どうっていうこともないよ」とseigu翁なら仰るか。

とはいえ、このトシに達してもまだ、オトナになりきれない、というのか、大きな心を持てない己に、些か嫌悪を感じる、きょうこの頃。

比べることではないかもしれないが、ここの常連さんのブログを読むと、一所懸命に生きる姿、伝わってきます。対して当方、口を開けば、何がしかグチっぽい話多く。

年初来、明るいネタをとキーボードに向かうも、思いつくのは、迷走の政治やアホな事件、つまらんドラマなどへの不満やら。クレーマーのような自分の思考、もてあまし気味です。

「おかげさま」を尊重しようと思いつつ、自らの正しさに執着し、もちろん自省もするのですが、長く生きてくると、こだわりというか頑固さにも磨きがかかり。

それでいて、「オレって、けっこうバランス感覚いいよなあ~」などと自負することもあり、惑いの日々。

安寧は、いつのことやら。

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コメント

また愚生が最初のコメントとは失礼か。

バランス感覚あり、と常々思っています。そうでなければ、相方に恵まれないはず。

大人って何だ、と思うこと多いこの頃。自分の長男が48歳になった。でも、大人かな、と疑問。

77歳にして、まだ大人とも言えないか、と。「大人」、「たいじん」でなければ「おとな」って言えない、とすれば、愚生、まだまだ。

60代に入り、70代になると、身体が思うように動かないことあり。59歳ならば、そろそろ、本格的に鍛える必要あり。それができて「たいじん」となる、ということかも。

人には「生きている」と「生きてある」があると小椋佳がテレビで言っていました。これはいい言葉だと、拙HPにも書きました。

投稿: seigu | 2011年1月18日 (火) 21時35分

59年目の誕生日、誠におめでとうございます!!
seigu様のご長男殿とほぼ同年代。自分自身にも子どもはあるが、はっきりと自分も「子供だなぁ」と思える日常。「子どもに子どもと思われないよう見栄をはるような場面も多々。されど然るに我が父母から見ても小生は子どもは子ども。更に、己から見ればお手本、まぶしい限りの「大人」と思える父母もまた、「我、今だに子どもナリ」との心情ありと得心(笑)。恐らく、人は何歳になろうとも「まだまだなんて子どもなんだろう」を感じていくものかも知れませんね。
でも、年下から来るものは先達をお手本とし、(こんな小生でも)過大評価もし(?)、自分があの年になった時には何かしらを達観できる「大人」でありたいと目標になったりもしているものかも知れません。
「まだまだ子ども」と思えるのは人生のノリシロが山ほどまだあるということかも(笑)。悩ましくもありますが、苦しくもありますが、まぁ、「ノリシロ(笑)」。お若く参りましょう!!
今後とも「年下から来る」小生を宜しくお願いいたします。
Happy Birthday!!

ただ、確かに身体だけは20代のようには参りませぬ・・(悩)。こればかりはケア、鍛錬を講じねば・・・ですねぇ(苦笑)。

投稿: 愛の字 | 2011年1月19日 (水) 00時37分

すぐれて私事への、温かなお祝いの言葉、ご両人に深謝。

にしても、一回り下の愛の字さんはともかく、大先輩の翁までもが「まだまだ」と。なんとも……。精進の道、なお険し、ということでしょうか。

鍛錬とは無縁の小生、すでに思うようには身体動かず。ま、精神も思うようには……かも。

蛇足で失礼ながら、『大拙と幾多郎』(現代岩波文庫、森清著)を読み始めましたが、電車の揺れによる睡魔に勝てず。ご容赦。

投稿: hiperk | 2011年1月20日 (木) 21時54分

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