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2010年2月25日 (木)

音楽との出合い①

なにやら大層なタイトルだが、前項のコメントを書きながら、振り返ってみた。

この世代の多くと同様だと思うが、GS(グループサウンズ)やフォークソング(当時はまだ洋楽)の流行に影響され、中学2年のときだったか、ギターを買った。小遣いを貯めての予算2000円だったと思うので「マーチン」「グレコ」なんてまさに高嶺の花、安い無銘のクラシックギターしか選べなかった。

で、これも常道、「禁じられた遊び」とか、PPM(ピーター・ポール&マリー)、ブラザーズ・フォア、キングストン・トリオなどにトライ、「パフ」「七つの水仙」「花はどこへ行ったの」「500マイル」「風に吹かれて」といった歌をブンチャカブンチャカ勝手に弾き鳴らし(喚い)ていた。

アルペジオ奏法を会得できず、歌唱力についても才能のなさを痛感。ただの趣味の域を出なかったのだけど、中3で初めて曲を作った。そのころの流行り、加山雄三のマネだった。出だしだけはボンヤリ覚えているが、記憶にしか残っていない。

前述した「創作ノート」(という名称ではないが便宜上そう呼ぶ)のトップページは、高校2年生('68)のときに作った『一人旅』。コード進行が記されていて、いまなお歌える。「彼の荷物は小さなトランク一個と一本のカサ・・・」という、ま、失恋ソング。このころは、失恋なんて日常だから、どんな背景があったのか、特定できない。男子校だったから、友達の友達の女の子を紹介されたけど「グループ交際で」とか言われ、つまりやんわりと断られた、程度だろう。

さて、時代は、あの60年代後半、政治の季節だったから、反戦歌を叫びながら、新宿西口広場に行ったり、べ平連のデモに参加したり。軟弱な(^-^;歌作りは打ち止めにした(みたい)。

記録上の2曲目は、それから約10年後のこと、すでに渡米していた。向こうでも安いギターを購入し、何の気紛れか……。

そこへいくまえに、ふと自問。たしか自宅にはオルガン(のちにピアノ)があったはず。これは、利用しなかったのだろうか。

何故そんなことを考えるかというと、ぼくは小学生の5年から6年までの2年間、ピアノを習っていたからだ。そして、これは以前にも書いたが、中学に入ってから観た『サウンド・オブ・ミュージック』に激しく心を動かされもした。

ついでながら、妹もピアノを習い始め、こちらは永続し、音大を経て、いまや先生であり、音楽スクール経営という立場にもなった。さらにば、わがオフクロは生前、カラオケをこよなく愛した(伝聞)。しつこく言えば、娘は大学で音楽を専攻、母親譲りの絶対音感の持ち主でもある。戦争世代のわが父は「戦友」以外はまともに歌えないけど、でも、ステレオは結構早くに買っていて、よく李香蘭や森繁を聴いていたようだ。

自らのギターとの出合いから話を始めたけれど、思えば、音楽的環境は、そこそこあった、ということなんですね。(いつものごとく長くなってきたので、次回へ)

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