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2010年2月27日 (土)

音楽との出合い③

男女3人の6人全員入賞こそ快挙で団体戦があったら間違いなく金(メダルのことね、キムヨナではない)だと相方はコーフンするが、ぼくはフィギュアに興味がなく、淡々と話を続けよう。

1977年の、たぶんクリスマス・イブの夜。ぼくのアパートで仲間たちと盛り上がっていた。ちょっとだけ脱線するが、貧乏留学生ではあったけど、ロサンゼルスでは広い部屋を格安で借りられる。前にも書いたかな、室内でフリスビーができた。幹線道路沿いでもあり、けっこう騒いでも苦情はこない。

そんな、パーティの最中、友達の友達が日本からやって来た。これがBくん。正直、第一印象はよくなかったんだが、以来、33年か、つきあいを続けているのだから、人生って面白い。(えっとぉ、何人かの定期読者氏、最近紹介したKくんのことですよ)

さておき。かれは、ある有名なフォーク・シンガーの付き人みたいなことをしていた経験があり、実は「ゴースト」みたいなこと、つまり本当はかれの作った曲なんだが、世にはそのシンガーの名前で、というやつね、そう、ギター弾きだったのである。その夜、かれは腕前を披露したはずで、ぼくも、隠れた名曲を聴かせたに違いない。

おまけに関西人だった。関係ないか、いや、否めないと思うなあ~。たちまち意気投合し、その後の3か月間、一緒に曲作りした。正確には、ぼくが作ったものを聴かせながら感想を求め、かれのアドバイスにより整えていった、という感じかな。

かの「創作ノート」にしたがえば、15曲目の『悲しみのジェットプレーン』には、ついに作詞としてかれの名前が記されている。共作と呼ぶほどの共同作業ではないかもしれない。けれど、かれの存在にインスパイアされて、ぼくの作曲衝動が噴き出したことは間違いない。

そして、16曲目が『3月22日水曜日』。かれが帰国した夜に作った。タイトルそのまんまのその日の朝、観光ビザだったかれは90日間の滞在を終え、日本へと戻っていった。もちろん詞はデフォルメされているけど、短期間だが濃密な時間を共有した友への、惜別の歌である。

これは、ぼくの全作品(ざっと30曲かな、メロディを覚えていないものも含めれば40曲強)のなかでもトップクラスの出来だと自負する。ちなみに、作詞は、そのころは友達でしかなかった女性、2年後にはカミさんになる。この3人でよく遊んでいた。

怪我の治療(リハビリ)がロサンゼルスにやってきた理由だったBくんは、かの地の温暖な気候に魅了され、1年2か月後、金を貯めて、再渡米する。それまでの間に、ぼくは、英語の勉強を一区切りさせ、アルバイトを経て、新聞記者として就職するのだが、さらに多くの曲を作っていた。

もはや時間的流れは曖昧だが、その年('79)、またまた友達の友達に出会う。便宜的にCくんとしよう、プロの歌い手志望だった。ボイス・トレーニングといっていいのかな、とにかく歌の勉強で渡米、Bくんも含め、よくセッションした。

このブログ「旧友再会」で登場の関西人、Dくんとする、かれとも職場で知り合っていて、当時のカノジョが歌のうまい女の子だったから、音楽の輪は、なおいっそう広がっていく。

とはいえ、すでに、ぼくは、憧れの新聞記者として、活字の世界で生きることを決めていた。

音楽との出合いは、それなりに違った未来を描き出す可能性を秘めたものではあったかもしれないけれど、ここまでの結果としては、趣味の域を出なかった。

でも、これからは? ふむ、どうなんだろう……。(次回で完結の予定、たぶん)

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