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2010年1月

2010年1月28日 (木)

猥雑な楽しさ

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1年前の「ライブ・ウイーク」以来、宿題をひとつ残したままである。そのイベント、久しぶりに堪能という言葉が相応しいほどエキサイティングだったのだけど、どう楽しんだのか、どうにもうまく表現できず、「次」の機会が来てしまった。

その『築地Jazz寄席』を継ぐ『横濱Jazz寄席2010』には、知る人ぞ知る、一部には「おぉ、この人が~」という名のあるアーチストも含め、さまざまな芸達者が集まった。1月22日から24日までの4公演、そのラストを観た。

さて、また、悩んでいる。体験したこの楽しさを、どう伝えようか……。

つまりは、コンセンサスの未だない試みなのである。きちんと定義できない催しなので、実は、主催者側からの発信も、多くの言葉が並ぶのだが、イマイチわかりづらい。それゆえか、残念ながら、ベストポジションの席でも空いていた。

仲間の誼であえて辛口に言えば、「コレとコレとをコラボしたら何かが生まれる」というアイデアは買うけれど、それが練られておらず、こちらに届いていないのだろう。実際に観に行けば「あぁ、なるほど」と思うが、それでは、客席を埋められない。

儲からなくてもいいさ、みんなボランティア精神で、趣味でやっているんだから……それなら、かまわない。でも、赤字なんて怖くないぞの「ハコモノ行政」ではあるまいし、入場料を取り、出演者にギャラを支払い、ビジネスとして進めるのであれば、まずいよね。

ぼくだけの感想では「いろいろな屋台が混然と交わりあっている猥雑な縁日のワクワクドキドキ」がポイントだと思う。

その面白さに触れた本人すら、その面白さを語りきれない、そんなユニークなイベント、次もあるなら、「満員御礼」の札を見たいものだ。ガンバってね~。

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2010年1月19日 (火)

ジャズ寄席の 音色怪しき 来てみれば 妖しき風情 しばし堪能

今週末、横浜で『横濱Jazz寄席2010』なるものが催されます。
ジャズ寄席? なに、それ……でしょうね、ふつう。当方もそうでした。主催者が知り合いでなければ怪しんだままだったかも。
行ってみて、びっくり。ジャズと寄席との、これが本当のコラボレーション。見事なまでの「競演」というか「共演」いや「協演」か。
表現者の端くれなのに、うまく説明できません。とにかく、一度、リアルに体験を。

昨年のダイジェストは、ここ。
http://www.youtube.com/watch?v=-k824me6oeY

詳しくは、こちらへ。
http://jazzyose.com

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2010年1月18日 (月)

アラ還として

さて、また齢を重ねた。58歳ともなれば、いよいよ正しく「アラ還」である。数字の持つ重みに実感ないまま、しかし、たしかに、肉体的にはトシだなあ~。

ダイレクトメールは「この1年を素晴らしい年に」というが、何度も触れたように、それは若いときに当てはまる言葉で、これくらいの年恰好になれば、誕生日を無事に迎えられたことを祝うもの。

少し前倒しで相方と食事を共にし、バースデーケーキにはロウソクを1本飾った。来年もまた、一緒に、と願う。

このブログのタイトル、いつまでも「半世紀」でもないとは思うけれど、なに、物心ついたころを起点にすれば、なお半世紀だろうし、いまさら変更するのもナンダカナア。

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2010年1月17日 (日)

神戸にて

前述のとおり、『生きていくための短歌』をseigu翁に贈られたのが11月末、短歌か~気軽には読めないなあ、と3週間ほどツンドク状態。
ところが、読み始めると何かが心に迫ってきて目頭が熱くなり、とりあえずの印象だけをアップ、たちまち著者の南悟先生ご本人からコメントをいただき、恐縮しつつ、年越し。
やっと読了、感想文に悩んでいると、今度はテレビ放送があると聞き、これは気を重くすることなく鑑賞、でも再び何かに揺り動かされ、南先生に会いたくなり、2日後、大阪出張を機に神戸まで足を延ばした。

Photo_2 折りから、定時制神戸工業高校では、阪神淡路大震災15周年で「震災に克つ全校激励集会」が開かれ、当方も飛び入り参加。教頭先生の「震災体験を風化してはいけない」との言葉を耳にし、あ~そうか、これは戦争体験・被爆体験と同じなんだなあ、と、いまさらながらに。

テレビでも紹介された、還暦を迎え今いちど勉強をと決意した豊永文一さんも登壇、「俺の死に場所」神戸への思いを語り、これまた番組に登場した松尾綾香さんら女生徒4人が、それぞれに震災にまつわる短歌を披露した。

思えば、職場に出向き、仕事の邪魔をしたにもかかわらず、さらに当日はNHKのカメラも入っていて、そうした多忙きわまるなか、南先生からは丁寧なる応対。言葉を交わした時間は短かったが、温かで実直な人柄に接することができた。

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震災体験を歌にしようという南先生の言に、親きょうだいを喪った生徒が反発したのは当然だ。しかし、なるほど、凍りついた心を溶かすような笑顔のこの先生に求められたら、辛い出来事を「再体験」する歌詠みにトライするのも理解できる。

帰途に、生徒のHくんに声を掛け、最寄り駅まで小生を案内するよう配慮してくれた。南先生ならではの親切心であり、その生徒があっさり承諾したのも、先生が慕われている証左だろう。

定時制高校と生徒たちへの激励と応援をするには力不足だが、南先生へのエールで、代えさせていただく。

最後に。南先生は男女の機微にも優しい。集会直後、会場を離れる松尾さんを呼びとめ、当方に紹介してくれた。小生が彼女のファンであることを察してくれたのである。ツーショット写真まで撮っていただいた。

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2010年1月16日 (土)

意地悪な神

『生きていくための短歌』にまつわる幾つかのエピソードを書こうとは思うものの、この本の存在を知った昨年11月末からの1か月余りのうちに、既述のごとく予期せぬ感銘を受けたり、前項で紹介のテレビ放送を観て、また心を動かされたり、そして、著者の南悟先生に神戸で相まみえたり、さらには、番組に登場した高校生ともリアルに言葉を交わしたり、と、我が胸のうち、相当に目まぐるしく。

地震との関わりについて、ふと記憶を辿ってみた。

ここでも触れてきたように、当方、大阪出身で、関西には親戚はじめ知り合いも少なくない。15年前の1月17日の朝、まだサラリーマンしていたから出勤前の慌しさのなか、近畿地方で大きな地震が起きたようだ、それくらいの認識だった。
オフィスに到着したころには、たしか犠牲者の数が3桁に達していた。その日は一日、仕事にならなかった。
電話は当然通じない。友人の何人かとはメールで連絡が取れた。最終的に、安否確認に2、3日を要した。被災はしたものの、幸い、命を落とした者はいなかった。
1週間か2週間後、現地に行った。電車の窓から見たブルーシートの多さが、いまも目に焼きついている。

自身、被害を受けたことはない。

1971年のロサンゼルス大地震(サンフェルナンド地震/マグニチュード6.6)は、渡米5年前のこと。かの地で知り合った人のなかに体験者はたくさんいた。74年に公開の映画「大地震」は日本で観た。

1989年のサンフランシスコ大地震(ロマ・プリータ地震/M6.9)の際は、すでに帰国済み。知り合いに被災者はいなかったが、崩壊した高速道路を走った経験はある。

そして、ロサンゼルス北方のノースリッジ地震(M6.7)は1994年の現地時間1月17日早朝の出来事。日本のテレビに映し出される惨状、その幾つもの街角に、知人が住み、ぼくが歩き、馴染みがあった。でも、悲しい知らせは届かなかった。

この3つの人的被害は、いずれも2桁にとどまった。「阪神淡路」は文字通りの桁違い。

ぼくの心にトラウマはない。それでも、つくづくと思う、神は意地悪だ。

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2010年1月 9日 (土)

アリバイ的に

前項コメントにも書きましたが、正月休みは、ふつうに3連休、新年恒例の取材が続き、松の内も、特には七草粥もせず、あっさり過ぎてしまいました。

暮れのほうが、大掃除やら片づけで、年末ならではの雰囲気があったように感じられる。溜まりに溜まった不燃物系のゴミ、おかげで、かなりスッキリ。って、何年越しだよ~。ま、でも、相方には褒められたので、はい。

年越しは相方と3人で(コブ付きです)。3回目かな、さしたることもなく、仕方ないので「紅白」観つつ、これまた、いつのまにかの2010年、という、非日常らしくない日々。

『生きていくための短歌』は読み終わったのですけど、感想は、なかなかに難しく。南先生、もうしばらくの猶予を。

そんななかで、新年の抱負、考えてはみたのですが、そもそも怠惰な性格、ま、なるようにしかなるまい、と。

ふむ、こんな内容でアップ(公開)する必要ないみたい。でもね、この1週間、けっこうなアクセス数がありましてね。きっと皆さん、そろそろ更新しているかな、と。そんな期待に応える、それだけの意味しかないかも。

あ~来週は大阪に仕事で行ってきますので、何かネタ、仕入れてきます。

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2010年1月 2日 (土)

迎春

迎春

今年も、この辺境にて、「独り言ブログときどき会話」を続けます。
よしなに。

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