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2009年11月26日 (木)

巨星墜つ

サラリーマンって辛い面もあるが楽しそうで、社長業は気楽な稼業みたいだと、ぼくは、「社長シリーズ」で感じた。シャバに出て、それが間違いだとわかったけれど、この一連の映画は、けっこう勉強になった。「宴会部長」の存在も知ったしね。「屋根の上のヴァイオリン弾き」は一度も観たことがないが、森繁さんが稀代の役者であることは間違いないと思う。百歳近くまで生きたのだから、大往生と言えるだろう。まさに「巨星墜つ」だ。

でもって、思うのだが、このところ、次々にビッグネームが旅立っている。以下敬称略で、つい先日は、水之江滝子、三遊亭圓楽。南田洋子は名女優であっても「巨星」とは少し異なるか。加藤和彦は間違いないだろう。
今年に限っても、女優・大原麗子、水泳の古橋廣之進、作曲家の三木たかし、それから、忌野清志郎。
海外では、まずは、ニュースキャスターのウォルター・クロンカイト。マイケル・ジャクソンの名前もあげなくては。ぼくより若いけど、伝説的存在だよね、実は、そんなに好きじゃないんだけど。
筑紫哲也は去年。同様に、赤塚不二夫とか緒形拳とか川内康範とか。言語学者の大野晋も大きな存在だと思う。アーサー・C・クラークもリストに加えたい。

産業経済や政治関係も含めれば、さらに数は増えよう。まさに、列挙に暇がない。すべてを「巨星墜つ」と呼ぶかどうか、個人的な思い入れなどもあるから一概には断じられないとしても、「偉大な人物の死」であることは間違いあるまい。

さて。ここからは「それを言っちゃ……」との反応も予想されるのだが。

多くは、70歳80歳というあたりで、惜しまれつつも、志半ばではないだろう。つまり、生物学的に、必然である。その母数が、戦後64年だけを考えても、どんどん増えていくのは、当然なのだ。

奇跡の高度成長を実現していくなかで、昭和でいえば40年代あたりから、社会的に「何かを成し遂げた人」は、ざっくり言って働き盛りの30代から40代、または50代。要するに、いま、天寿なのである。言い換えれば、いかに高齢社会とはいえ、人生という舞台からの退場の時期に差し掛かっていることになる。

日本が豊かになり、食べること以外にも関心を払える余裕ができ、メディアが発達し、こうした大物たちの死を、比較的落ち着いて受けとめるようになったのではないか。少なくとも、まだ「戦後」だった時代には、一瞬、おっと視線を投げても、いつまでも構っていられない。自らのメシこそ重要で、人の生き死にを気にする、そんなヒマはなかった。

いまも昔も「巨星」は墜ちている。そして、これからも、次々に。なにやら、巨星の大安売りみたいで。ちょっぴり、侘しい。仕方ないか、世の中、「デフレ」だし……。

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コメント

将来、「巨星」がいた時代、と「戦後日本」は言われるのかもしれません。

愚生は先のリストに加藤周一を加えてほしい。
超知識人、です。
残るは鶴見俊輔。

高度成長期以後は、こういう人が出にくい時代なんでしょう。「多様化」の時代ですからね。

ご尊父も、「巨星」では?
まぜっかえすのではなく。
巷には「巨星」多し、が愚生の意見です。
永六輔の『大往生』を読み返してそう感じています。

投稿: seigu | 2009年11月26日 (木) 20時15分

加藤周一、あ~忘れていましたm(_ _)m 本年は一応確認したのですが、昨年のは思いつくままで、言葉にこだわる当方、大野晋のほうが。

父は、ん、、、「虚勢」のような、もしくはブラックホールかと、、、って、冗句かしらん。巷には「巨星」多し、には大いに賛同いたしますけど。

「多様化」というか、「統一的価値観崩壊」⇒「拡散」の時代ではありますね。

投稿: hiperk | 2009年11月26日 (木) 23時55分

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