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2009年9月

2009年9月28日 (月)

サンデーもマガジンも好きだった

今年は『少年サンデー』『少年マガジン』創刊50年ということで、昨年から今春までの1年間、いろいろなイベントが行われたらしい。らしい? そう、すべては事後、というか、夏に放映されたNHKでの特番で知った次第、それも、録画を観たのは、つい先日。

たぶん、同世代の多くと同様、両誌を愛した当方だが、いつのころからか、読むこともなくなった。『ジャンプ』または『チャンピオン』に乗り換えたということではなく、たしかに一時「1・2のアッホ!!」やら「マカロニほうれん荘」などは好きだったけれど、正直に言えば、やがてマンガそのものに見向きもしなくなった。

「大学生がマンガを~」と批判されても我関せずではあったけれど、いかに子ども相手の漫画が「青年向け」になったとはいえ、やはり、家庭を持ち仕事も忙しくなってきた30代の中年には縁遠い。コミック誌『ビッグコミック』や『漫画アクション』なども含め、漫画雑誌という存在を、すっかり忘れていたのだ。

今回あらためて、「サンマガ」の歴史を紐解く番組を観て、思わず過去を振り返った。ドラマ部分とインタビューとのミックス形式で、どうやら最近の流行りのスタイルみたいだけど、うまく融合しておらず、感想としてはイマイチではあったが、懐古趣味には合った。

「紫電改のタカ」のラストシーンには涙した。「巨人の星」の大リーグボールの謎解きはクラスでの中心話題だった。「あしたのジョー」で力石徹が死んだときは、リアルな葬式にこそ行かなかったものの、ぼくらの気分は黙祷だった。「アシュラ」には衝撃を受けた。もちろん、赤塚ギャグには心底笑い転げた。いちいち挙げていたらキリがない。

番組では、両誌の「競い合い」が詳しく語られていて、うん、ライバル誌だったのは理解する。編集者は、本気で争ったのだろう。でも、そうした戦いとか、それぞれの持ち味、キャッチフレーズ、差異化とか、そういうことに、ぼくらは関心がなかった。面白いかどうか、それだけだった。連載誌がどちらか、そんなことはどうでもよかった。そう思う。

読者には、「サンデー派」「マガジン派」なんて、なかったのではないか。前述したものは、たまたま「マガジン」に連載されていたものが多い。ストーリー性の強さは影響したかもしれない。高校生あたりの年頃では、そこはポイントだろう。でも、だからといって「サンデーは嫌い」という奴もいなかったように記憶する。「サンデーvsマガジン」てな図式は、ぼくらには関係なかった。

かれこれ30年以上も昔のことだから、法廷で証言できるほどの自信はないけれど、作り手の思いは、空回りというか、無駄だったんじゃないかなあ~。もっとも、その対抗心によって、ぼくらは、結果的に、良質のマンガに触れることができた、と考えれば、いいか。

小・中・高そして大学生くらいまでの、懐かしい思い出の、新たな1頁にはなった。

そうそう、マンガは若き日の思い出と言ったが、唯一の例外は『じゃりン子チエ』(作・はるき悦巳)。これは、なんていうか、本になってもシリーズ全67巻を購入したほど、ハマった。生まれ故郷に比較的近い、大阪の下町を舞台にしていたから、かもしれないが、とにかく40代になっても、つまり「いいトシをして」読み続けた。

ところで。
漫画の話をするなら避けては通れない、神様・手塚治虫。というか、初期の『サンデー』で連載された「キャプテンKEN」。この、タイムパラドックスを描いた作品は、ぼくの「原点」である。読んだのは、8歳から9歳にかけてだ。『輪廻の蛇』(by ロバート・A・ハインライン)を知るずっと以前である。以来半世紀、ぼくは、このテーマの「呪縛」から解き放されていない。

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2009年9月17日 (木)

官僚たちの秋

「鳩」よりも「うさぎ」が気になるきょうこのごろですが、新政権もスタートしたことだし、「政権交代論者」として何か一言。と思いつつ、そもそも自他共に認めるアナーキーな輩、新総理が「国民の皆さん」と呼び掛ける姿、ちょいと違和感あったり。

どうして、「わたしたち国民にとって未知との遭遇……」といった表現をしないのか、太い首を傾げている。政権奪取にチャレンジしていた野党代表が与党となり政権を担うにあたっての決意表明のように聞こえる「見守ってね」では、物足りない。一国のリーダーとなったのだから、我が祖国の柄に言及してほしかったなあ~。ま、施政方針演説ではないから、いいか。

8月30日の夜、久しぶりに興奮を覚えたのは事実である。ぼく個人の歴史では、田中角栄の登場以来かな。明治維新に匹敵する事態としたコメンテーターがいた。客観的にみたら、そうなのかもしれない。が、これは、人の血で彩られた「革命」だから、比較していいのかな。この130年あまりの尺度で考えるのなら「敗戦」も、非常に大きな変化だったろうが、これは「選択した」とは言いにくい。

理由は何であれ、与野党の立場は逆転したのであり、それもオーバー300議席となれば、有権者が民主党に多くのことを真剣に期待したのは、紛れもない。「脱官僚依存」の実質はよくわからないながら、有権者は「ミスター年金」へ拍手を送った。これも動かし難い事実だ。気分的な「風」のせいにしてはいけないだろう。「地殻変動」との評は、的を得ていると思う。

ただ、有権者は、「政権って替えられるんだ」と知ってしまった。この「変化」は何も、民主党にのみ有利に働くわけではない。次回は、「やっぱり自民党に」となるかもしれない。だから、鳩山内閣は、最大4年のうちに、相当の実をあげなくてはならない。寛容なんぞ、国民に求めるな。100日間の蜜月なんて甘いぞ。

そう思っている。だが、しかし。自民党の負け方が、半端なんだなあ~。ちまたでは、「大惨敗」と。いや、違う。ただの「大敗北」に過ぎない。落選すべき20~30人が生き残っている。この人たちは「民主的一党独裁時代の根っこ」みたいな存在で、その根があるかぎり、この党は再生できまい。結果として、二大政党制の時代にはならない。

別な言い方をすれば、民主党は勝ち過ぎではない。70%に達しなかった投票率が、あと5%伸び、ざっと500万票をさらに獲得していたら、自民党は2桁に転落し、生まれ変われたのに。つまり、ぼくにしてみれば、そこに風は吹いていなかったのである。

嫌な予感。大したこともできないのに、少しだけ喝采を浴び、一方で多くの人を悲しませながら、ダラダラと政権を維持させる。それも10年とか。

まあ、しかし、ぼくは、自他共に認める楽観論者でもあり。健全な野党がムリで、今後10年も政権党でいられるなら、この国の膿やら垢やら、けっこう浄化できるかも。

いずれにしても、2009年、やっと「戦後」が終わったのかもしれない。

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2009年9月11日 (金)

食欲の秋のその前に

新政権については、正式な首班指名のあとにでも触れることにします、たぶん。というのも、世間で騒がれているような、いわゆる期待も不安も、そして注文なども、当方、いまのところ特段には無く。政権交代のハードルをやっと越えたいま、しばらくは静かに傍観したいのですね、ほんとは。

永田町・霞が関界隈より、当面の課題は、ぼくの好きなファストフード店のこと。匿名にしようかと思ったが、ま、いいや、実名でいこう。「なか卯」での出来事。ふだん、あまり外食はしないのですが、ここには少なくとも月に1度は通っています。味とサービスとの両面で、ひいきにしている。なのに、落ちた。それが、がっかりで。

味については、人それぞれでもあるので、グルメ評論家のように明言できないけれど、でも、ちょっと、美味しくなくなったような気がする。低価格競争の余波かな。

なにより、少し前に食券制度が導入され、入店してまず自販機で購入するシステムになったのだが、これが、まことに使いにくい。注文するものをあらかじめ決めておいても、その品が、どこに提示されているのか、すぐには判別できない。
ご他聞にもれず、メニューは多彩、というのか、セットの方法によって多種に。基本的なカテゴリーは3つ4つしかないだろうに、品数はかなり増えている。
しかし、前面パネルでの並べ方に、いわゆる統一性が無いと言うか、いや、ある程度のまとまりはあるのだけど、それは供給者側の理屈、とケチをつけたくなるくらい、客側からすればバラバラに感じる。もちろん、当方だけの感想ではない。観察していると、何人もの客が自販機の前で右往左往している姿、珍しくもなく。
さすがに、クレームをつけた。本部の意向だろうから、現場に文句を言っても始まらないのは承知。でも、希望メニューをなかなか見つけられない人が少なくないのを見て、いくばくか普遍性はあるだろうと考えた。従業員、多少は心当たりがあるのか、「何のことだが、まったくわかりません」というような反応ではなかった。顧客満足度を斟酌するなら、早期に改善されるのを期待する。

もうひとつは、限定的なことかもしれない。従業員の質の低下。もちろん、全員ではない。でも、うん、これにも普遍性があるのかな。というか、これまた安値競争の影響か、人件費、いささかムリしている? 要するに、バイト店員に対する教育の不徹底は、サービス産業にとっては要ゆえ、命取りにもなりかねないわけで。一人ひとりの資質のせいにしてはいけないだろう。
直近の例では、食べ終わった直後に、「お下げしていいですか」と若い女性。忙しない気はしたけれど、了解した。すると、盆の上の食器とは別にしておいた湯飲みまで持っていってしまったのだ。もう一口飲んで席を立つつもりだった。呼び止めるほどのことはない。だけど、「なんぢゃぁ~」と内心。食後のお茶くらい、ゆっくり飲みたいぞ。店内に客は我一人。混雑しているから、さっさと帰れ、という意味ではない。それだったら、まだ理解する。納得しないけどね。だいいち、彼女は「どうぞ、ごゆっくり」と口にした。
察するに、彼女は何も考えていない。マニュアルどおりなのか。湯飲みまで取り上げて「ゆっくり」もないだろうが、その矛盾には気づいていないふう。

「なか卯」は、10年以上前になるが、オフィスの近くにオープンした店に行ってから、けっこう気に入っている。牛丼だけなら「吉野家」のほうが上かもしれないけれど、ぼくの好きなうどんがメインメニューで、全体的な雰囲気もどことなく親しみが持てて、それらは同一グループの、丼メニューではバラエティに富む「すき家」よりも満足度が高い。

なのに。
外食産業全体の、とくに従業員の質的低下は、このブロクでも何回か指摘したと思う。国際化し、豊かになった日本のこと、ガマンしなければならない面も認める。それにしても、接客技術は、大切な要素であろう。「早い、安い、うまい」だけでは、リアルなモノが介在する商売、やってはいけないはずだ。
人間によって成り立つ社会において、「ヒト」というファクターを軽んじてはいけないことは、いまさら言うまでもない。

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