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2009年8月

2009年8月29日 (土)

ぼくたちの夏ver.2

At_4

画像のとおり、相方とぼくは先日、千葉のマリン球場に行った。
今季は第1回目、夏も終わりだというのにね。で、たぶん最後。何故? それは、訊かないで。って、まあ、つまり、期待は来シーズンに、ということで。

二人の仕事などの都合をいろいろ調整して、楽天戦になった。
座席は、2階の中央、やや3塁寄り。seiguさんやzunさんに気を遣ったわけではないけれど、最下位争いのロッテを応援するにはモチベーション低く。ここは、やっぱり野村監督をクライマックスに、でしょ。

幸い……の結果。相方は、ちょっと複雑だったようだけど、ぼくは特段、地元チームの熱烈ファンではないし。みゆみゆさん、ゴメンね。

だけどさ、ノーアウト満塁で1点も取れないなんて。

名物の花火を観た。ぼくは初めて。思わず見とれて、あまり良い写真ではないね。ご容赦。

さて。明日は、70年代半ばだったか、それ以来の、楽しみを持てる、歴史的といわれる総選挙の投票日。

意外に短かったような、もちろん暑い日もそこそこ多かったとは思うけれど、電気料金は前年比3割減だから、やはり酷暑とは評しにくい、今年の夏は、どのような終わり方をするのだろう。

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2009年8月23日 (日)

官僚たちの夏

そもそもは、夏ドラマのなかでは最も注目の「官僚たちの夏」の初回で少し感じるものがあったので、そのあたりのことを書こうと思ったのだが、とりあえず2、3回は観ないと一方的になるかな、と、「夏」にちなんでのネタを挟んでいたら、なんとなく、時機を逸した、かも。

低視聴率(10%前後とか)が表すように、やはり、期待外れだと思うのは当方だけではないようだ。暑い夏に相応しくないのは承知の、熱いドラマ。いや、あまりにアツすぎる。そこに、どうしても違和感が拭えない。さらには、近過去ものの難しさ。「結果」を知る立場の評は当然、厳しくなるはずだが、そのハードルの高さを越えるだけの驚きがない。残念。

構造的には幕末もの、戦国時代ものも同様なのだけれども、その時代に生きていた視聴者はもういない。明治ももはや完全に歴史の彼方であり、だから史実を多少逸脱しても許される。いや、戦国武将など、どうあがいても言葉遣いをはじめ正しくは再現できないのだから、想像の羽を思い切って広げるほうが、楽しい。
蛇足ながら「天地人」はあまりにも現代的「愛」に拘りすぎて、逆につまらない。山本勘助のときもそうだったのだが、主人公の「人間性」やら「偉業」についての自由度が低すぎる。織田信長が果たしてどれほどの「革命家」だったのか、いささか疑ってしまうこともあるけれど、常に魅力的に描かれるのは、つまりはスゴイやつだったのだろう、そう思い込める。実際、兼続に比べ謙信やら秀吉のほうが、よほどアピール度が高い。俳優の力? それを言っちゃ……。

さて。「官僚たちの夏」の舞台は戦後であり、記憶に新しい。ある種のドキュメンタリーでもある。さほど脚色できないのは、理解できる。が、そこをうまく処理するのがドラマ制作に関わる人間の腕の見せ所ではないのか。せっかく役者が揃っているのに、ドラマチックではない。非常に優れた「再現ドラマ」とでも言おうか。
ただただ熱く天下国家を論じられても、それが原作どおりだとしても、感情移入できない。なぜなら、ぼくらは今、「国内派」の保護政策のツケを支払っているからだ。同時に、「国際派」の言い分にも素直に頷けない。昭和30年代に市場開放していたら、その後の奇跡の高度成長がありえなかったかもしれないと知っているからである。

そのうえに、たしかに、無私の官僚が存在したし、あのころの志は高かったと回顧することはできるけれど、それらがすでに単なるノスタルジアであることも、高級官僚の汚職・天下りが珍しくなくなった今日、認めざるを得ない。俗っぽくいえば、「三丁目の夕日」に代表される、センチメンタルな「ないものねだり」だ。

城山三郎は1970年代前半にこれを書いている。昭和40年代。私見ながら、かろうじて「戦後」だった時期である。しかし、もはや21世紀、平成の世も21年が過ぎ、そう、平成生まれの有権者がでてきているのだ。政権交代前夜の、こんな時代に、エリート官僚たちの熱い姿を描かれても、ついていけまい。

ドラマ化の時機を逸した。

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2009年8月15日 (土)

戦争を知らない子どもたちの夏

本日は、予定外稿とでも言おうか、ふと書いてみたく。

「戦争を知らない子供たち」という歌は、言わずもがなだろうけれど、北山修氏が作詞し、杉田二郎氏が作曲した、反戦歌の名曲。1970年の発表だから、ぼくは18歳、間違いなく「子ども」だった。

当時の個人的な心象は、「戦争が終わった平和な時代に生きる」子どもとしての誇りみたいなものを感じていた。言い換えると、世の中の大半は戦争を知っていて、つまり「加担した」世代、対してボクらは、という理屈である。

それから40年。極めて幸いなことに、ボクらは未だ(限定的な意味において)戦争を知らない。そして、その子どもたちが子を持ち、さらに孫を持つ年恰好になり、世の中の大半が「戦後生まれ」に。幸か不幸か、高齢社会でもあり、戦前・戦中世代も、それほどマイナーではないけれど。

それでも、かつて我が祖国がアメリカやイギリスや中国などと戦ったことすら知らない世代が増え続けており、玉音放送が「ナマ」だったかどうかがクイズになる時代。「日本のいちばん長い日」は、もはや歴史の彼方なのか。かのレコードをめぐって軍部の一部が「クーデター」まがいの行動をとり、仮に成功していたら「敗戦」はなお先送りになり、3発目の原爆が落ちていたかもしれないなんてIFは、すっかり絵空事なのかな。

そんななか、テレビで「最後の赤紙配達人」を観た。事実に基づいた話で、脚色されたドラマ部分では不覚にも、いや昨今では当然か、滂沱の涙。
さておき。赤紙を配達する「兵事係」が戦死広報も届けていたことは、知らなかった。それどころか、徴兵者に付き添ったりと世話をする担当者でもあったとは……。そんな、ごく当たり前の事実が伝えられていない。

靖国神社に参拝するのもいいけどさ、もっとやらなきゃいかんことがあるんじゃなかろうか、政治家センセイ。

戦後派は「戦無派」になり、やがて「新人類」だの「ゲーム世代」だの、「戦争」を冠して呼ばれることも絶えて久しい。
願わくば、「新・戦前派」にならぬよう。合掌。

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2009年8月12日 (水)

候補者たちの夏

以下は予定稿、つまり以前に書いておいたもの。いかに当方、現実逃避モードとはいえ、こんなに遊んでいるほどヒマではありません。たぶん。
先週のうちにアップするつもりだったんですが、ミーハーなヤツに見逃せないネタができちゃったんでね。でも、来週まで持ち越すと選挙が公示されてしまうから、ちとメンドーになるかと恐れて。

マニフェスト。う~ん。なんだか、違和感を禁じえませんね。旧いヤツなんでしょうか、ぼくは。どうにも、この種の「約束」を信用できないんですよ。

少し前に、「この程度の公約は守れなくても仕方がない」といった趣旨のことを口走った総理大臣がいましたよね。たしかに、「それを言っちゃおしめぇよ」なんだけれども、てゆか、「あんたには言われたくない」なんだけど、まあ、しかし、所詮、そのていどのことだと、一方で諦観しているぼくがいて。

なんたって、さらに少し前、万年野党が与党入りしたとたん、党是ともいえる「約束」を反故にしたもんなあ。それに比べれば、政権獲得を目の前にした民主党が「現実的に」なってきたのなんか、些細なことのようにも思えるし。実際に内閣を立ち上げたら、たぶん、いやきっと、もっともっと変貌するよね。

どこの政党も同じだろう。共産党だって、仮に政権を執ったら(って、かなりの「もしも」だけど)、やれないことばかりのはず。逆に、「道路をもっと作ります」みたいな約束は、実現しないほうがベターな気がするし。

内容的にも、おかしなところがあると指摘(というより非難)されているけれど、そりゃ野党だもの、よくわからないことがあるのは当然でしょう。矛盾箇所や、ゆるい部分は、仕方ないのでは。そんな目くじら立てなくても、と思う。政権党に関しては、まずいけどね。

甘いかなあ……。だけど、有権者の前で土下座する候補者の光景、その酷さに比べたら。
滑稽だと笑ってはいけない。そういう輩が当選して、大臣にでもなったら、とたんにエラソーにするんだもの。これは、マニフェストとか公約とは違うけれど、ある種の「約束」に「違反」しているともいえるのではないかしらん。

とにかく、ぼくは、ことさらにマニフェストを読むことはしないし、検討するつもりもない。日頃から新聞やテレビなどメディアでの政党あるいは議員たちの言動をみていれば、たいていのことは推察できる。

ところが、まあまあ真面目な討論番組の視聴率やお堅い言論雑誌の発行部数は、お笑いのそれらより低い。それが実情だろう。だから、にわかに巻き起こる「マニフェスト・ブーム」を信用できないのである。

それにしても、この暑さのなかでの「事前活動」と選挙運動、大変だね。なんてノーテンキな話でもないんだけれど。だって、解散から1か月と少し、政治的に空白が続くわけで。リーマン・ショックやらトヨタ・ショックやらで、日本経済はキリモミ状態なのですよ。
それでも、しかし、政治的には困っているわけでもないようで。あぁ、永田町は機能しなくても霞ヶ関があるから? ふむ。官僚たちの夏は、いかに……続きは次回(8/18以降かな)。

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2009年8月 8日 (土)

犯罪者たちの夏

現在進行形の事件については触れないほうが賢明だろう。が、どうしても一言、書きたくて。

ほぼ全国的に梅雨明けし夏本番となったとたんの、イケメン俳優による第1弾は、まあ、芸能界のみの「衝撃」だろう。ミセスを含め、よく知らない人物。あまり関心もない。だから、「またか」程度だった。が、続け様の第2弾には驚いた。世間も同様にショックを受けているようだ。

その2の前段は、それでも、「さもありなん」という感じで、相方の、「見るからに、ちゃらんぽらんな旦那」と、女性の「審美眼」を疑う発言に、「そういうキミは大丈夫か」と茶化すと、「わたしは信じている」と言うので、思わず小生、ニヤける、ってな具合で、はい、ノーテンキに惚気ていたわけ。

そしたら、愛称で呼ばれていたのに、いきなり「容疑者」だもん。そりゃ、腑に落ちない部分もあるにはあったが、このパート2は些か予想外。たぶん、トップアイドルだった女優に、ぼくが少しだけ感情移入していたせいかな。

去年の2月に再放送されたときにも告白したけれど、「星の金貨」、なぜか、好きなんだよなあ。40代、つまり人生の折り返し地点を過ぎ、ある意味お約束の「悲恋」物語に初めて心を動かされ、涙が出そうになった。実は、もういちど観たら、ホントに泣いた。主人公の、アイドル時代に覚えはないけれど、手話を交えての主題歌は、うん、たしかに耳に残った。

それにしても、どうして「逃亡」なのだろうか。誤解を恐れずに言い放てば、ちゃんと反省すれば執行猶予がつくであろう、微罪。同様の事案で再犯に手を染めず改心した芸能界の大御所、数え切れず。逃げて得なことは何もないはず。第1弾の事件のほうが、少なくとも「死者」を出している分、悪質に感じる。

パート3もあるのかな。警察が公式のコメントを発表していないのも、引っかかる。ほかにも「登場人物」がいるらしいことが、気になる。

当方、いまは、そうしたことにアタマを使っている余裕なく。ただ、無事の「出頭」を願う。

蛇足ながら、大きな事件連チャンのかげで、名女優の「孤独死」が際立ってしまった。

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