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2008年12月12日 (金)

「変」な話

今年の漢字は「変」だとか。なるほど、言い得て妙。たった一文字で世相を表現するのは、そもそも難しいわけで、だけど、毎年、うまく選んでいるなあ~と思う。

この「変」の話は、まあ、いまさらなんで、やめとくとして。ぼくなんぞ、つい「変格活用」を思い出してしまった。「カ変」とか「サ変」とかいうやつ、昔、学校で習いましたでしょ? アレです。

「現国」は好きだったけれど「古典」はあまり。でも、担当教師が面白く、そして先生も妙に気に掛けてくれたので、まあ、得意科目ではあった。それなりに頑張ったんだろう、40年経ったいまなお、「ラ変」は「有り 居り 侍り いまそがり」なんて、すぐに思い出す。いや、というより、口につく。
ほかに、「せ ○(マル) き し しか ○(マル)」「未然 連用 終止 連体 已然 命令」なんてのも、ことさら脳内アーカイブにアクセスすることなく、あたかも変換第一候補のように、パッとでてくる。

これ、なんなんでしょうね……。だって、こんな知識、日常生活には無意味。「794(なくよ)ウグイス平安京」なら、まあ、いちお、何かの折りに少しは役立つかも。にしても、当方、記憶力の弱さには些か自信があるので、こうした、アタマの中に40年間も住みついているモノ、我ながら驚く。

要するに、知識を吸収するに最適な10代に、それだけ反復練習を積んだということなのか。そうなんだろうなあ~。当時、「サイン、コサイン、タンジェント」をはじめ円周率やらルートやら、「こんなこと覚えて何の役に立つ?」とうそぶいていたけれど、そして実際、ほとんどそのとおりだったけれど、しかし、スゴイや、半世紀に及び忘れないって。

最近の大学生、国立の理科系ですら、中学生程度の学力しかない者が一定程度存在すると聞く。名の知れていない私立だと、半数を超えることも珍しくないらしい。でもって、大学で「補習」がおこなわれている、と知り、驚愕。いやはやまったく、事態はそこまで進んでいたのか。

となれば、変な話、一国の総理が漢字を読めないことなんて、それほど非難されることではあるまいて。なんてね……。

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コメント

そうです。愚生なぞも、教壇に立ってその程度のことを言っていたかも、と。漢字の書き順については、短大でも学生にうるさいのがいて、「先生、その書き順、間違いです」なんて言われて、「失礼」なんて言ったことが何回もありました。

若い頃に覚えた言葉や知識は、高齢期に脳を病んだ場合、噴出することがあるらしい。鶴見和子さんが集中治療室で短歌を幾つも詠んだとか、多田富雄さんが言葉にはならないものの頭の中で謡曲を諳んじられたとか。吉田茂夫人?が終末期にドイツ語か中国語か、幼い頃に覚えた言葉で話されたとか。逸話はたくさんあります。
つまり、脳の深層に収めるには幼い頃から青年期までということかも。
その頃に下町の隅で遊んでいただけの愚生は、いざという場合、何も噴出しないでしょう。

昨夜のNEWS23で、大江健三郎が加藤周一さんについて語りました。録画して今日見たのですが、さほどのことは言っていません。ただ、9条の会を設立する頃に加藤さんが、闘う基本は、「言葉と人間関係で国際関係を確立する」ということのように言っていたとありました。そのように思います。しかし、難しいですね。その深層には、「絶対的慈悲」が必要、というのが愚生の言いたいこと。それを仏教では、「無縁の慈悲」というそうです。大拙師の遺稿「老人と小児性」の終わりにそうあります。

「変」を書いたのは森清範さん、このコメントを書いているのは森清愚。関係ない? うん、「変」ですね。毎年、この時期にはそう思います。

投稿: seigu | 2008年12月13日 (土) 16時26分

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