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2008年12月

2008年12月29日 (月)

大掃除

年末なので、怠惰な小生も、さすがに大掃除をする。いろいろなモノが出てくる。

何年も前の、近所の日用品スーパーのレシートをはじめとする「ゴミ」の山。すでに経費計上するには遅すぎるタクシー領収書も、捨てるしかない。仕事関係の資料、これが難しい、が、3年も経過していれば、ま、必要あるまい。
おぉ、こんなところに、と見つけた、3年前だったかに相方と一緒に訪れた、江戸博物館の入場券は、うむ、どうしようか。メモリアルとして、もう少しキープしておくか。いずれ、ただの不用品と化すとしても、いまはまだ……。
ネガ! もはや貴重品、というか、希少価値がある。が、取材時に撮影したもので、対象に保持の必要性はまったくない。破棄するか……。ん? 相方が写っているではないか。ふむ。デジカメを持っていなかったころ、フィルムに余りがあると、こうして、何気ないショットを撮ったものだ。紙焼きに記憶がない。ま、特別どうってことのない写真だけど。

衣類関係。くたびれはてたシャツとか肌着とか、処分しなくちゃ。ハンカチ、これはまだ使えそう、取っておこう。2枚3枚4枚……おやおや、けっこうあるもんだな。穴の開いた靴下、もう片方に問題はないけど、要らないや。
あれま~、このボタンダウンのシャツは、たしか、去年の夏、相方が「最近見てないけれど……」と言っていたヤツだ、そかそか、やはり間違って捨てたわけではなかった、よかった、「わたしが選んで買ってあげたのにぃ~」と叱られたが、疑惑が晴れる、でも、なんでこんなとこに……。

ミニスピーカ用のアダプタを発見。小躍りする。アダプタというシロモノ、無くてはならない存在にもかかわらず、当該製品が壊れたりすると無用の長物。なのに、つい処分を忘れる。ついでに、何のためだったのかも。結果、使途不明のそれらが幾つも、廃棄の時機を逸して残る。このミニスピーカ、引越し時に、だから6年近く前! 専用アダプタが見つからず、それら残留物で代替しようにも微妙にサイズが異なり、使えないままだったのだ。ラッキー!!

要するに、相方から散々指摘されるように、整理が悪いのだが、年に一度の大掃除の効用は、まあ、こんなところにもあるわけで。もちろん、新たに整頓された品々が、どこに、どう、収まっているか、という記憶は、いまや、なかなか定着しないので、当分、「アレはどこだっけ」とか「えっとぉ、仕舞った場所は……?」なんて大騒ぎするに違いないのだが。
それにしても、脳内アーカイブも大掃除できるといいのだけれど……。

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2008年12月25日 (木)

最終回

あっ、このブログが終わるって意味ではありません。辺境の地で細々と続けているので、まあ、無くなっても何の問題もないでしょうが、1人でも読者がいる限り続けるぞ、なんていう悲壮な覚悟もありませんが、たまさか定期的に閲覧いただけるのであれば、それなりに。

今回は、前述のドラマたちの最終話についての感想、相方とのやりとりの一部。
「チームバチスタの栄光」は、原作とは設定を変更しての展開ながら、うまくまとまったと思う。相方いわく「殺人者を3人も出して、あの病院、これからどぉなるんだろぉ」と心配するが、うん、たしかに、それは言える。でも、「結構いい結末」は、両者とも同意見。
相方「伊藤淳史・仲村トオルのコンビで続編が観たい」「うん、ただ、田口=伊藤の、感情的シーンがチトしつこかったかな」「たしかに(^^;)」。相方「鳴海役の宮川大輔が、お笑い芸人らしからぬ良い雰囲気を醸し出していたなあ」「よくは知らないが俳優志望だったとか」「なるほど」。

「スキャンダル」は、お互い、ラストにやや不満。「4人が招待されたのはアリバイ工作のためってことだけど、なぜその4人だったのか」と相方は首を傾げる。うん、それに、「そうだとしても、アリバイ工作としては、ちょっと弱すぎるよね」「うん、そうだね」。
相方「4人に対して結構複雑な感情を抱いていたような気がするんだけど、そのあたりの掘り下げが、もう少し欲しかったなあ」。そう、ありきたりのストーリーにしなかったのは、脚本家の力量だと褒めた小生だが、結末は無難にまとめてしまった感がする。「あと1回分くらいあっても、よかったのに」「同感」。

「風のガーデン」は、相方が観ていないので、論評ごっこはナシ。当方のみだが、自然に涙がこぼれてしまう、素晴らしいエンディングだった、と一言。

さて、「相棒」。もちろん、シーズン7はまだ続くが、事実上、ぼくらが愛した「相棒」は、終わった。文字通りの相棒・亀山薫を演じていた寺脇康文が降板したのだ。ここ数年で間違いなくマイベスト1、こんなに惚れこんだミステリーはない。なのに、なんという幕切れ。憤懣やるかたない。
詳細は書きたくない。ただ、基本コンセプトの変更は、断じて許容できない。杉下右京(水谷豊)と亀山というコンビの存在は、このドラマの必須である。寺脇のスケジュールが調節できなくなったのだろうが、ならば、亀山の「卒業」などという小賢しい手段を講じるのではなく、正直に終焉とすべきだった。いっそ、殉職させてもらいたかった。
刑事ドラマとしては秀逸なので、たぶん、このあともチャンネルは合わせるだろうけれど、もはや違うモノとして観ることになる。たとえば「杉下右京の華麗な事件簿」とか。たとえ、「日替わり」で新しい相棒が登場するとしても、それは断じて「相棒」ではない。

相棒、相方の変更は、心せよ。ねっ。

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2008年12月20日 (土)

この1年

何とか年末仕事にも目鼻がついてきて(耳と口もかな)、もうひとつふたつ作業は残っているが、ようやく「師走気分」。とは、なかなかいかない。毎日のように「新春の~」とか「本年=2009年は」などという原稿に向き合っていると、感覚的にはすっかり「年明け」。これから、「まだ2008年だぞ」と心を入れ替えなければならない。まあ、ゴミ回収の「30日が最後」なんて告知を見ると、おぉおぉそうか、とはなるけれど。つまりは大掃除が控えているという意味でもあって、ふぅむ、素直に喜べないなあ。

それにしても、落ち着かない1年だった。昨年末に、まず、相方が突然入院、これは、3日ほどで体調が改善され、原因不明ではあったが、ひと安心。その数時間後、今度は父親が、この2年で4回目の入院。病室で年を越す。帰宅のメドもつき、何だかスゴイ正月だなあ~なんてノーテンキに思っていたら、相方、年末と同様の症状で再度入院の報。
年明けの取材始めのラッシュで、明後日には見舞いに、なんてノンビリしたこと言っていたら、翌日には「緊急手術した」と。おっとり刀で駆けつけると「あと数時間遅かったら」なんてゾッとする言葉を耳に。幸い、月末までには退院できたのだが、しばらくは気が気でなかった。

この間、仲間の一人がくも膜下で倒れ、こちらも大事にはならず、春には相方共々「快復祝い」できたのは、うれしいことだったが。

一方で、癌宣告の母は、懸命に生き抜いていた。初夏、祖母の七回忌で、親族が全員集まった。実の姉妹との会話、てゆか、関西弁丸出しのシャベクリ。イキイキとしていた。
まだ残暑の9月、その母が体調を崩す。「ずっと暑かったからね~」と大袈裟に受け止めなかったのだが、結果的に、二度と自宅には戻れなかった。

夏の終わりに知り合いの父親が他界、続けて、友人の母親、そして仲間の父親と。前後して、世間では名を知る何人かが鬼籍に。大トリは、我が母。

北京は熱く燃えたが、あっという間に遠い過去の話になってしまった気がする。景況感も、年初はゆるかったが、一気に厳しさを増した。円は(対ドル)90円すら割りっぱなしで、年頭に「当社は100円で設定しているから」と強気の某トップ、いまごろは……。就職戦線も、売り手市場は買い手市場に大転換。こうした変化の激しさに煽られたか、総理の任期が1年に縮まったような……。

個人レベルでは、すでに「低空飛行」の身、さしたる影響もなかりせば、と、言っておこうかな。

さて、今冬は、どれだけ暖房なしでやっていけるかなあ~なんて、きょうは、明日も? 大片付けの最中にセーターを脱ぐ始末、年の瀬とは思えない。

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2008年12月16日 (火)

「晴耕雨読」はムリかなあ

今年後半のテレビドラマでは、我が「相棒」は別格として、「風のガーデン」が秀逸。いやはや、脚本の力を思い知らされた。倉本總は、スゴイ。
もちろん、演出も、そして役者も素晴らしい。なんといっても緒形拳の遺作であり、その演技は、まさに渋く光り輝いている。いぶし銀とは、こういうものなのか。中井貴一が、またいいんだなあ~。個人的には、石田えりも。
こういう、きちんとした芝居をやられると、ジャリタレによる学芸会もどきには、もはやまったく価値を見出せない。どれほどストーリーに興味が湧いても、ひいきのタレント・俳優がでていても、である。

「チームバチスタの栄光」は、映画に比べ、はるかに出来が良い。女優としての竹内結子は決して嫌いではないのだけど、演技に幅が無いから、この複雑な原作の「行間」を演じられない。伊藤淳史も上手いわけではないが、ストーリー的に、やはり、この役は男でいい。ただし、このドラマの難点は、提供CMに主役級の俳優が登場していること。せっかく寡黙な男を演じているのに、コマーシャルでは、なんだか浮かれていて、興醒めだ。

意外、といっては失礼だろうが「スキャンダル」が面白い。これまた、脚本家・井上由美子の力量というものか。この時間帯は、ここ数年、TBSに裏切られ続け、すっかり日テレ党になってしまっている。今回も、予告編では女優4人が前面にいて、実は期待していなかった。人妻たちのノーテンキな恋愛ドラマかと思いきや、昨今、これほど先の読めない展開は珍しく、ハマってしまっている。

さて「篤姫」だが、宮崎あおいは見事に演じきった。そのことには拍手したい。でも、以前にも触れたように、回を追うごとに「家族」だとか「愛」だとか言い過ぎで、ちょっと興ざめしてしまった。歴史的な動きをあまりに軽視した結果、たとえば西郷と大久保との訣別なぞ唐突で、西南戦争での西郷の最期のシーンなど、まったく意味不明になってしまった。ホームドラマにするのなら、「大河ドラマ」の枠の外でやるべきだったのではないかな。

こうして毎年、何作か記憶に残る作品があり、ざっと30年余で100本か~、一つひとつ詳しく覚えているわけではないけれど、ドラマって、ホントに、イイ。後期高齢者になったとき(なれたとして)、清愚先生ほどの器でない小生、マジメに文字を追い掛けるのは辛そう。「晴耕雨読」は理想形なのだが、難しいか。でも、映像なら比較的、集中しないでも観られるだろうから、老後の楽しみに。

なんてこと、ほざいてる場合ではないのだ、あぁ~いまはまだ、パソコンのモニターが「友」なのよねぃ……。さあ、仕事仕事。

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2008年12月12日 (金)

「変」な話

今年の漢字は「変」だとか。なるほど、言い得て妙。たった一文字で世相を表現するのは、そもそも難しいわけで、だけど、毎年、うまく選んでいるなあ~と思う。

この「変」の話は、まあ、いまさらなんで、やめとくとして。ぼくなんぞ、つい「変格活用」を思い出してしまった。「カ変」とか「サ変」とかいうやつ、昔、学校で習いましたでしょ? アレです。

「現国」は好きだったけれど「古典」はあまり。でも、担当教師が面白く、そして先生も妙に気に掛けてくれたので、まあ、得意科目ではあった。それなりに頑張ったんだろう、40年経ったいまなお、「ラ変」は「有り 居り 侍り いまそがり」なんて、すぐに思い出す。いや、というより、口につく。
ほかに、「せ ○(マル) き し しか ○(マル)」「未然 連用 終止 連体 已然 命令」なんてのも、ことさら脳内アーカイブにアクセスすることなく、あたかも変換第一候補のように、パッとでてくる。

これ、なんなんでしょうね……。だって、こんな知識、日常生活には無意味。「794(なくよ)ウグイス平安京」なら、まあ、いちお、何かの折りに少しは役立つかも。にしても、当方、記憶力の弱さには些か自信があるので、こうした、アタマの中に40年間も住みついているモノ、我ながら驚く。

要するに、知識を吸収するに最適な10代に、それだけ反復練習を積んだということなのか。そうなんだろうなあ~。当時、「サイン、コサイン、タンジェント」をはじめ円周率やらルートやら、「こんなこと覚えて何の役に立つ?」とうそぶいていたけれど、そして実際、ほとんどそのとおりだったけれど、しかし、スゴイや、半世紀に及び忘れないって。

最近の大学生、国立の理科系ですら、中学生程度の学力しかない者が一定程度存在すると聞く。名の知れていない私立だと、半数を超えることも珍しくないらしい。でもって、大学で「補習」がおこなわれている、と知り、驚愕。いやはやまったく、事態はそこまで進んでいたのか。

となれば、変な話、一国の総理が漢字を読めないことなんて、それほど非難されることではあるまいて。なんてね……。

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2008年12月 8日 (月)

寒いですね、熱いですね

去年も、そして一昨年も、おそらく同じようなことを書いたと思うが、この時期、月刊タームの編集業を営む当方は「年末進行」という、年に一度の修羅場の只中にいます。要するに、新年号を今月中に制作するため、12月号と合わせ2回分をひと月で仕上げなくてはならないわけで、そのうえ、今年はカレンダーの都合により26日の金曜日がデッドライン、ゆえに、かなりバタバタしています。

この瞬間、作業の狭間なので、まさに「忙中閑あり」。先週の土曜日には、気の合った仲間たちとの、相方も参加しての忘年会。なかなかにユニークな店での飲み会でしたが、それはまたの機会に。感慨深かったのは、隣席のグループたちの、熱気というかノリ。コミュニティビジネスの支援に携わるという方々、老いも若きも取り混ぜての男女15人くらいだったかな、宴の途中で自己紹介をされていて、聞くともなしに。

何に感じ入ったかといえば、そう、ちょうど10年前、当方、そして同席者の何人かも、そんな波の真っ只中にいて、「思い出すね、あのころを」と。とある団体を立ち上げ、スタート時は30人くらいの規模だったか、まずは3桁を目指し、さあ、ガンバろぉっ! と、怪気炎。その組織を「メジャー」にすべく、それぞれに熱き思いをたぎらせていたのですね。

40代半ば、若かったなあ、ホント。「時代を変えるぜ」ってな情熱で、最初の2年ほどは、ただひたすら全速力で駆け抜けた。以前にも少し触れたけれど、マスメディアにも取り上げられ、このむさくるしい顔がデカデカと紙面に載ったり、滑舌(かつぜつ)の悪い声が電波に流れたり、大臣を含む何人もの国会議員センセイと面談したり、自身、「センセイ」と呼ばれたり……。ほんのちょっと、いや、けっこう舞い上がった。

結果的には、自らの環境変化もあって、失速。「懐かしい思い出」になってしまったわけだが、でも、あの世紀末は、まさしく燃えていた。そのころの熱気を、宴席で感じた次第。もっとも、我がグループ7人も、平均年齢50歳にしては、負けず劣らず大騒ぎ。最年少、といっても44歳のメンバー、ついこのあいだまで某セブンティーン天才ゴルファーの「お世話係」とかで、いろいろと裏話を聴取。どんなエピソード? いや、それは書けない。

と、開戦記念日にノーテンキな、思わせぶりなことを言いつつ、さあて、あと3週間、駆け抜けようっと。

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