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2008年11月 8日 (土)

黙祷

筑紫哲也氏が亡くなった。そぉか~、癌にはやはり勝てなかったか……。

2度ほど、お会いしたことがある。
共通の知人が主催するパーティでは、ニュース番組をやっていたころで、「本番前なのに大変ですね」と声を掛けると、「○○さん(その共通の知人)の呼びかけだからね、来ないわけにはいかないよ」と。さすがに、早退された。

最初にお目にかかったのは、その1、2年前だったか、筑紫さんの講演会で。終わったあと、控え室にお邪魔し、その知人の名前を出しつつ、名刺交換した。ちょうど当方が本を出したころで、直接、献本した。読んでくれたかどうか、知らない。

さらにその数年前、朝日新聞社に知り合いを訪ねたとき、立ち話をしていると、目の隅に、あのロマンスグレーが。もしかして? 「うん、そうだよ」と、かつて筑紫さんの部下だった知人。紹介してもらうタイミングは逸したが、面白いエピソードを耳にした。

この話、うまく説明する自信がないのだが、要するに、氏は、ある夜に聴いた、ひとの意見を翌朝には、自らの考えのように披露する「名人」だとか。一歩間違うと「ずるい」というか、フェアではないような気もするが、ぼくとしては、「異見」でも消化してしまう、貪欲さみたいなものと受け止めた。

実は当方にも似たような傾向がある。明らかに自分の見解と異なるものでも、とりあえず否定せず、いったん引出しに収め、折りをみて、誰か他人にぶつけてみる。「それはおかしい」という評価だと、やっぱりね、と、×マークを付けるが、「ほぉ、そういう考えもアリだな」との反応であれば、いまいちど、己の思考と擦り合わせてみる。

世の中には、全否定できるものなど、それほど多くないと、ぼくは思う。政治家なんかは、対立政党の政策に理解を示すマネはなかなかできないのだろうが、市井の人間には、そんなツッパリは無用。そもそも「論争」に勝ち負けを言い過ぎる。9割は賛成できなくても、1割でも「いいな」と思えるなら、そこだけ取り入れれば、いいのでは? 採用した「異見」を自らの「意見」にしたって、いいじゃないか、とね。

もちろん、それも程度問題で、あんまりやりすぎると、「いいかげんなやつ」と思われてしまうかも。

いやいや、それよりも、このブログの書き手は一貫して自説を曲げないやつだと言われるかな。

どっちでもいいけれど。それにしても、このところ、ぼくのまわりでは、鬼籍に入る人が多い。瞑すべし。

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コメント

少し前、6月2日のNEWS23で、鶴見俊輔氏を大学へ迎えて授業をしてもらったとのテレビ番組を録画して見ました。辛いところなのだろうと思いながらも、今直ぐに亡くなるとは少しも思えなかったので、驚き、ある衝撃を受けました。当然ながら人は逝くものと。

筑紫氏には会ったことはないのですが、その番組にビデオコメントしたことがあり、今になると懐かしさを感じます。『ハイテク社会と労働』が出てしばらくしてのことでした。1990年ころ。ロボット工場に全体の仕組みを知りたいという労働者がいるということを短くコメントせよと言われ、何回もビデオの前で言わされた事を思い出しました。友人が偶然、その場面を見て、「おい見たぞ」と言ってきました。
その頃、テレビ出演も少しはしていたため、さほどのことには思わず、自分は見ていませんでした。友人にその短いコメントのシーンを教えてもらったのでした。
そのビデオを撮りに来た人に、筑紫さんも番組を担当するための金銭的努力が大変なのだと聞かされたのが印象に残っています。
筑紫さんで老愚生が強く思わされたのは、やはり「朝日ジャーナル」の編集長時代ですね。いい特集を組まれていたと思います。
文章と映像の境界線で仕事をした人、というのが小生の筑紫観です。
黙祷。

投稿: seigu | 2008年11月 9日 (日) 13時42分

このブログを借ります。筑紫哲也氏に関して、前コメントを補足して。
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筑紫哲也氏が11月7日に亡くなった。73歳。
 今朝、以前に録画していたNEWS23の、筑紫哲也氏と鶴見俊輔氏との対話授業?を改めて観た。私なりの追悼の営みである。
 ビデオ撮りは今年の5月17日とのこと。立命館大学での筑紫の授業枠で行われたという。学校へ向かう自動車の車中で筑紫は、「このとしになると、次の世代に何が残せるかが大事だと思うようになった」と話していた。それで授業は、今年から「明日への伝言」として続けられていたようだ。その日は、ゲストに鶴見俊輔氏を迎えた。85歳の鶴見は、杖をつきながら現れた。
 授業で鶴見は、「かるた」を柱に聴衆に話し続け、その脇に筑紫が座って聞いている。その情景を見ていて私は、筑紫は、自説を主張するよりも、誰かを、何かを通して人々に何かを伝えることを大切にしていたのだと思った。それはまさにジャーナリストの仕事である。
 テレビでもそう。「多事争論」を主張の場にしてはいたけれども、人々の話を聞いて考え、その上で自分の思いを短い言葉で伝える。
 だから彼の文章は、語る言葉よりも緩やかに、甘く感じる。テレビであろうとラジオであろうと、言葉を紡ぐことが彼の仕事だったのだと思う。文字を紡ぐのではない。
 鶴見は、その授業の中で、ビデオに編集された最後で「自分の中のつぶやきに耳をかさないといけない」と言った。おそらくその言葉が番組の終わりに採られたのは、筑紫の思いがあってのことだろう。
 授業を終えて帰る鶴見を車まで見送った筑紫は、ほっとした顔をついてきた学生にも見せながら、それでも杖をひくではなく、それなりに元気そうだった。よもや11月に亡くなるとは思っていなかったのではないか。
 あらためて、大事な人を失ったという思いがする。
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投稿: seigu | 2008年11月10日 (月) 10時36分

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