« 秋の夜長に | トップページ | 登りたい山はたったひとつ »

2008年10月 9日 (木)

最高のビジネスモデル

いやあ~スゴイですね、ノーベル賞ラッシュ。アマノジャンキーとしては、なにか国際的陰謀でもあるのか、と邪推してしまうほど、日本人の受賞1、2、3、そして4人。もしかして5人目は文学賞で?
専門筋に言わせると、しかし、これまでの受賞者数、いわゆるサイエンス関係で、米国の二十分の一、英国の十分の一らしいのだが、彼我の技術差がそんなにあるはずもなく、つまりは欧米重視の結果だとかで、ここらで日本にも少し、恩を売る、というのか、媚びる、というのか、ま、そんな配慮が働いたと見る向きも。

たまたま、とある専門家の話を聞く機会に恵まれた。南部氏が何故いま、50年前ものむか~しの論文で受賞に至ったか(小林、益川の両氏にとっても30年前に発表の論文)というと、これに基づく、欧州で進められている素粒子の研究で、10年以内に新しい「検証」がなされるのが確実らしい。そうなると、ノーベル賞に輝くわけで、となると、それに大きく貢献した、これら日本人の功績はどうなるの? って話が出るのは必定。ならば、いまのうちに、という事情があるとか。大きな声では言えませんが、高齢の方もいらっしゃいますしね。
どうせなら3人まとめて、ということにすれば、果たして大騒ぎ、かなりのニュースバリューがあるわけで、ノーベル賞を出す側(財団のことかな。必ずしもスウェーデン王立アカデミーに限るわけではないようだが)の宣伝にもなる。たしかに、単独受賞だったら、これほどのホットな話題になったかどうか。

いわく、「ノーベル賞は最も成功したビジネスモデルだ」と。なるほど、説明したような、戦略、というのかな、そういう「広報宣伝力」が見事なのは間違いない。世の中には実にさまざまな賞があるが、ノーベル賞ほど「権威」に満ちたものは、ないだろう。賞金額も大きいけれど、なんといっても「名誉」は計り知れない。研究内容はよく知らなくても、いや、たとえまったく理解できなくても、湯川秀樹、朝永振一郎の名前は、多くの人の記憶にあるに違いない。
そして、6年前には、今回のみならず基本的に「博士(ドクター)」が受賞するのが当たり前なのに、一介のサラリーマン研究者(ミスター田中幸一)が受賞した。この人の功績というのか研究課題に対して、アカデミーが手を尽くした探して見つけたというのも、あながち大袈裟な話ではないだろう。そういう、ある種のマーケティング的な努力をしている。「職人」に賞を授与する柔軟な考えは、「権威主義」の陥りやすい罠とは対極でもある。

つまり、ナンバーワンかつオンリーワンであり、確かな「コア」がありながらも、けっこう斬新で、もちろん知名度も。財政的にも極めて優良。寄付を「厳選」しているというし。うん、ビジネスモデルとして最高かもしれない。

受け売りついでに。みなさん、「対称性の自発的破れのしくみの発見」って、わかります? ぼくには、さっぱり。これって、要するに、こういうことらしい。言葉遣いの科学的間違いは見逃してね。
中華料理店の丸いテーブルを想像してください。この円卓に等間隔で6人座っているとします。その6人の間にレンゲを置きます、隣の人のちょうど真ん中に。レンゲも等間隔で6本あるわけです。ひとりの人から見たら、左右に、それぞれ。しっかりシンメトリーになっていますね。
左右どちらのレンゲを使ってもよいとします。まさしく「対称性」です。バランスが取れています。さて、そのとき、ある人が、右側のレンゲを手にしたとしましょう。その瞬間、残りの5人も、それぞれ右側のレンゲを選択するしかなくなりますね。天邪鬼の小生でも、わざと左側を選ぶようなマネはしません。
これが「破れ」ということ、らしい。しかも、それは、自発的に行われた、ってことです。誰かに強制されて右手のレンゲを選んだわけではない、からです。テーブルマナーとか、突っ込まないでね。

まあ、なんとか、かろうじて理解の入り口までは達しえたかな。所詮、シロウト、こんなもんで十分ですよね。

|

« 秋の夜長に | トップページ | 登りたい山はたったひとつ »

コメント

こうした素粒子の研究が、いま現在、何かの役に立つかというと、何もないそうだ。実際のぼくらの生活には無関係。だが、かつて、原子核の研究も同様だった。実用性は予測できなかった。けれど、結果、原子力発電、そして原爆を生んだ。アインシュタインですら原爆の悲劇を予想だにしなかった。さて、素粒子によって得られるエネルギーは、原子核の比ではないという。なんか、イヤ~な予感がしますね。

投稿: オフレコっぽい蛇足hiperk | 2008年10月 9日 (木) 01時11分

裏話、面白かったです。
田中幸一氏、浮かれなくてよかったですね。

それはそれとして、緒形拳さんの急逝は驚きでした。そんなにうまく病を知らせずに仕事ができるのかということ。渥美清さんの場合もそうです。あの職場は、それほどに共演者、スタッフが他を見ている余裕がないのか、なと。

玄米食で耐えていたようですね。
すごいことだと、思います。

いつもジャックするようで申しわけありません。

投稿: seigu | 2008年10月 9日 (木) 18時50分

いえいえ、翁、「拡散」もまた楽しいものです。
緒形拳さんについても触れたく、でも、まずは「風のガーデン」を観てから、と。昨夜遅く、ビデオで(および「古畑任三郎」も)。
いやあ~予想を大きく上回る、何と表現すればよいのでしょう、そのタイムリーさ、いや、迫真の演技とするに躊躇いすらあるほどの、凄みとでも。実際には中井貴一演じる息子に「宣告」されるわけですが。
にしても、かつて、これほどの「遺作」があったろうか。
これ、倉本聰の渾身の一作とか、でも、こんなシリアスなドラマは通常、視聴率とれませんね。話題になってすら、やっとの20%超えですから。
さて、どれほどうまく誤魔化せるのか、当方は知る立場にありませんが、カット割りの多いドラマの現場では一瞬の集中力が大切で、何とか耐えられたのか。ただ、監督/撮影監督の目は、たぶん事実を見抜いていたのでは。
出世作かな、「太閤記」で主君信長の死を知らされ号泣するシーンが脳裏に焼きついていて、どぉも「秀吉謀略説」には組みできないんですよね、情緒的に。

投稿: hiperk | 2008年10月11日 (土) 13時30分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 秋の夜長に | トップページ | 登りたい山はたったひとつ »