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2008年10月13日 (月)

登りたい山はたったひとつ

ロサンゼルスの衝撃について書きたい気もするけれど、いまや特別の情報も持ち合わせなく。ただの感想なら、いまさらか(以前に触れたことだけど、いわゆる1981年の「ロス銃撃事件」は、ぼくの帰国の直後に発生し、寸前まで勤めていた新聞社の同僚たちが追い掛けた大ニュースで、上司はついに本を書いた、そんな関係で、いろいろと「背景」を知る立場に一時期あった)。結局、真相は墓場へと持っていかれた。まあ、何が「真実」か、あっさりとは断じられないけれど。

新聞記者は憧れの職業と書いた。いまも肩書きはそれである。
だけど、最も希求するのは、小説でメシを食うこと。文字を書くことに変わりはないが、ノンフィクションとフィクションの差は、かなり大きい。というか、そもそも、ぼくは、ストーリーを紡ぎたい。虚構をでっち上げたいのである。誤解を恐れずに言えば、リアルな「事実」には、あまり興味がない。この世界がどうなろうと、そんなことより、たったひとりの女性のほうが大切で、そこさえ満足できれば、いい。だから、「事実」よりも妄想が好きだ。とんでもないウソをつきたい。いまのところ唯一の著作がノンフィクションなのに、おかしなヤツだと、自覚もしているけどね。

ストーリーテラーに関心を持ったのは、いつ、なぜか。
けっこう読書家だから当然だろ、と指摘する声も聞こえてきそうだけど、実のところ、小説ではなく、ある映画が、大袈裟だけど、ぼくの人生を決めた。中2の夏に観た「サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)」である。
何に感動したのか、もはや詳しく思い出すのは難しい。
いまなお現役の、主演のジュリー・アンドリュースに惹かれたのはもちろんだが(たぶん前作「メリー・ポピンズ」で初めて知った)、素晴らしい楽曲の数々と全編を通しての楽しさやワクワク感、初恋の切なさ、大人の恋、時代背景、ハラハラ・ドキドキ、反ナチ=反戦、さまざまな要素に捉まった、つまり、このミュージカルそのものに激しく心を揺さぶられたのである。
ラストシーン、ナチの追及を逃れ、トラップ一家は、「Climb Ev'ry Mountain」(すべての山に登れ)を背に、険しい山々を越えスイスへ向かう。そして、さて、どんな現実が彼らを待っているのか、皆は幸せを手にしたのか、それから、一家を送り出した人たちは、どうなったのか、ナチに捕まらなかったのか……、その答えは示されず、きっとうまくいくのだろうとの予感を、観る者一人ひとりに与え、エンドマーク。

だけどね、ぼくは、猛烈に気になったんだ。かれらのその後を知りたかった。答えを欲した。
後に思えば、マリア・フォン・トラップによる自叙伝を読めばよかったのかもしれない。けれど、その存在を知らず。ぼくは、仕方なく、自ら、「パート2」を、構想した。って、カッコ良すぎ? 要するに、続編を考えたわけですね。こうなるかな、ああなるのかな、そうなるか……てな具合に、想像した。もちろん、右も左もわからない若造の、夢想です。当然、すぐに行き詰りました。

だけど、それ以来、ぼくは、話をつくることに、のめりこんでいった。
13歳の子どもにできることといえば、他愛のない、青臭いラブストーリーもどきの、ただの妄想、言葉の羅列。でも、14、15、16歳と、ぼくは文章らしきものを書きなぐり、不埒にも懸賞に応募し、もちろん落選し、また書き……、気がつくと、理系から文系へと進路が変わっていて、やがて、時代に衝突してしまい……。

そんなわけで、ってムチャクチャですけど、「リアルな現実」とか「時代」とか「社会」とか、その方向では新聞記者を志し、とりあえず夢は叶い、望みの人生を進んできている。
けれども、「そして、それから」とか「だけど、しかし」とか、「もしも」とか、そうした、リアルではない部分、というよりは妄想の面では、アタマの中にたくさんのアイデア、というかネタが詰まったままで、もちろん何回か本格的な「賞」に応募したけれど、見てのとおりの結果で、未だに夢は叶っていない。

半世紀を過ぎ、さすがに、このゴーマン男にも「諦め」という単語が囁かれ始めている。でもね、本当に心から読みたいストーリーを、誰も示してくれないんだ。いつまで待っても。どんな新しい才能が出てこようとも。スゴイ面白い本にたくさん出合ってきたけど、だけど、違うんだ。それじゃないんだ、ぼくが読みたいのは。だから、仕方ないよね、自分で書くしか。それしかない。

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コメント

ある人が「本当に読みたいと思うストーリー」と、「広く読ませたいストーリー」とは一緒になりにくいのでは。「今広く迎えられそうなストーリー」を賞の選考側は望むでしょうし、それでは「本当の・・」というストーリーは選ばれにくいでしょう。
そんなことはとっくに承知の上で書いておられるのでしょうが、「応募」とあって違和感を感じました。
ここはブログででも「本当の・・」の一端を披露したらどうでしょう。
あるいは、他人には読まれない、少なくとも今は読まれない、百年後にか「すごいストーリーがあるな」と言われるのもいいのではないでしょうか。

言葉に責任を持てない者のコメントは禁欲しようかと思っていたのですが、つい。

投稿: seigu | 2008年10月15日 (水) 14時57分

いえいえ、翁、律儀なコメントに深謝。
ご指摘のとおり、賞の選考基準というものは、当方の「読みたいもの」すなわち「書きたいもの」とは異なるでしょうね。ですから、というわけでもないけれど、「応募」はもう、10年くらいかな、していません。いざとなれば「自費出版」かな、とも思います。
「一端の披露」は、そうですね……、なかなかに難しそう。短い言葉にすると、「あんな本」「こんな小説」との反応があるやも。「書きたい」事柄は、おそらく400字詰め原稿用紙で数百枚に。
でも、エッセンスは、ここでも折に触れて、そこはかとなく、示しているつもりです。「パーソナルヒストリーの改竄」とか「記憶の改変」とか、または「恥多き若いころ」とか、もしくは「『三丁目の夕日』的ノスタルジー批判」とかね。
「百年後」、、、いやあ、せめて生きている間に何とか。。。

投稿: hiperk | 2008年10月16日 (木) 00時38分

修羅場を過ぎる頃にまたコメントします。
ご努力を。

投稿: seigu | 2008年10月16日 (木) 08時03分

願わくば、、、修羅場に一服の涼を。
さきほど帰宅しましたが、疲労の身に、翁のコメントが、つまりは「回復剤」かと。
勝手なことを申します。

投稿: hiperk | 2008年10月17日 (金) 00時20分

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