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2008年10月

2008年10月25日 (土)

母親の誕生日、祝っていますか?

私事ながら、きょう10月25日は母の誕生日。「私事」って、わざわざことわることでもないか、どうせ、このブログ、常に「私事」ばかり書き連ねているわけで。

でもって、母親の誕生日、祝います? もちろん同居の場合は別にして(いや、昨今、それでも知らん顔はアリかも)、所帯が別なら、あまりやらないものか。いや、そこは必須か。
それぞれに、大きく異なるのでしょうね。必ず祝うという親孝行な人も多そう。「そう言えば……」といまさらのように考える人も少なくないかも。
年齢にもよるかな。結婚して新たに家庭をもつ時期、そこまで気にしていられないか。でも、子どもが生まれると、孫・祖父母の関係は親子よりも濃いようなので、いきおい話題になる可能性も高まるか。
物理的距離が遠いと、電話やカードで済ませるもの? 近くに住んでいたりすれば、まあ、「メシでも」も当たり前かな。
心理的距離も、大切な要素でしょうね。みんながみんな、仲の良い親子とは限らないし。特に悪いということはないにしても、毎年祝うのは、なんだか「親離れ」(「子離れ」?)できていないような気もする。

さて、当方? ふぅむ。もちろん小学生とか、肉体的に子どものときは、お小遣いを貯めて、何かを買って贈ったりしていた。これ、ふつうですよね。大学生くらいになると、やめてしまったような記憶。こっちも年頃になると、こういうの、ちょっと恥ずかしくてね。社会に出て、最初の給料で、って、ありがちだが、覚えていないなあ~。してないかも。それに、誕生日プレゼントといえば、なにをさておいても、まずは「カノジョ」だしね。

当方、その後は生活拠点をアメリカに移したので、カードか電話はしたかもしれないけれど、特別に祝ったことはない。で、結婚して、とりあえずは、連れ合いのほうに気を遣うので、逆に嫁から姑・舅へ、という感じだったか。
前述のように、子ども生まれると、「孫」としての存在価値が高まり、子として母に父に、というのはなかったと思う。
結局、このあたりからは「疎遠」というのか、我がほうの人生そのものが「働き盛り」というのか、ま、つまりは多忙になっていくわけで。「それでも誕生日くらい」と指摘されれば確かに。でも、まあ、正直、30代から40代、それどころではなかったなあ……。

独り身に戻って、少しだけ、母や父の誕生日を気にかけるようになった。相手が70代80代と、いわゆる老境に入ったことも影響したかな。まあ、それでも、少しだけ。

去年の誕生日には、当日は会えなかったので、メールした。喜んでくれた。その数日前に、ささやかながら食事会を開き、母の喜寿(77歳)を祝った。

残念ながら、78歳の誕生日は、祝うことがかなわなかった。この日は、母の初七日法要の日になった。せめて、もう一回、祝ってあげたかったなあ……。

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2008年10月16日 (木)

3年目の・・・

2年間で、200強の「記事」、ご笑読いただき、深謝。さらには、折々のコメント、なんと300以上、ありがとうございます。
前項のように、ほとんどが、わけのわかんない、独り言っぽい、愚痴とか、自己主張、ん? 違うかな……、なんだろ、まあ、「オレがオレが」みたいな、半径50センチの話が多いっすよね。たまに、地球規模のことにも分不相応に触れますが。

こんなブログに、ほんの僅かでも「定期購読者」が存在することは、奇跡みたいなもので。それが、まあ、以前からの知り合いならともかくも、ネット上だけでの、遭遇者、いやホント、交通事故に遭ったようなもではないかと危惧しますが、どうやら、多少「クセになる」毒を吸い込まれたか、いやいや、ウィルスとは申しませんが。

とにかくも、3年目に入りました。これからも、ご贔屓に。

少々修羅場で、更新サボります。ご容赦。

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2008年10月13日 (月)

登りたい山はたったひとつ

ロサンゼルスの衝撃について書きたい気もするけれど、いまや特別の情報も持ち合わせなく。ただの感想なら、いまさらか(以前に触れたことだけど、いわゆる1981年の「ロス銃撃事件」は、ぼくの帰国の直後に発生し、寸前まで勤めていた新聞社の同僚たちが追い掛けた大ニュースで、上司はついに本を書いた、そんな関係で、いろいろと「背景」を知る立場に一時期あった)。結局、真相は墓場へと持っていかれた。まあ、何が「真実」か、あっさりとは断じられないけれど。

新聞記者は憧れの職業と書いた。いまも肩書きはそれである。
だけど、最も希求するのは、小説でメシを食うこと。文字を書くことに変わりはないが、ノンフィクションとフィクションの差は、かなり大きい。というか、そもそも、ぼくは、ストーリーを紡ぎたい。虚構をでっち上げたいのである。誤解を恐れずに言えば、リアルな「事実」には、あまり興味がない。この世界がどうなろうと、そんなことより、たったひとりの女性のほうが大切で、そこさえ満足できれば、いい。だから、「事実」よりも妄想が好きだ。とんでもないウソをつきたい。いまのところ唯一の著作がノンフィクションなのに、おかしなヤツだと、自覚もしているけどね。

ストーリーテラーに関心を持ったのは、いつ、なぜか。
けっこう読書家だから当然だろ、と指摘する声も聞こえてきそうだけど、実のところ、小説ではなく、ある映画が、大袈裟だけど、ぼくの人生を決めた。中2の夏に観た「サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)」である。
何に感動したのか、もはや詳しく思い出すのは難しい。
いまなお現役の、主演のジュリー・アンドリュースに惹かれたのはもちろんだが(たぶん前作「メリー・ポピンズ」で初めて知った)、素晴らしい楽曲の数々と全編を通しての楽しさやワクワク感、初恋の切なさ、大人の恋、時代背景、ハラハラ・ドキドキ、反ナチ=反戦、さまざまな要素に捉まった、つまり、このミュージカルそのものに激しく心を揺さぶられたのである。
ラストシーン、ナチの追及を逃れ、トラップ一家は、「Climb Ev'ry Mountain」(すべての山に登れ)を背に、険しい山々を越えスイスへ向かう。そして、さて、どんな現実が彼らを待っているのか、皆は幸せを手にしたのか、それから、一家を送り出した人たちは、どうなったのか、ナチに捕まらなかったのか……、その答えは示されず、きっとうまくいくのだろうとの予感を、観る者一人ひとりに与え、エンドマーク。

だけどね、ぼくは、猛烈に気になったんだ。かれらのその後を知りたかった。答えを欲した。
後に思えば、マリア・フォン・トラップによる自叙伝を読めばよかったのかもしれない。けれど、その存在を知らず。ぼくは、仕方なく、自ら、「パート2」を、構想した。って、カッコ良すぎ? 要するに、続編を考えたわけですね。こうなるかな、ああなるのかな、そうなるか……てな具合に、想像した。もちろん、右も左もわからない若造の、夢想です。当然、すぐに行き詰りました。

だけど、それ以来、ぼくは、話をつくることに、のめりこんでいった。
13歳の子どもにできることといえば、他愛のない、青臭いラブストーリーもどきの、ただの妄想、言葉の羅列。でも、14、15、16歳と、ぼくは文章らしきものを書きなぐり、不埒にも懸賞に応募し、もちろん落選し、また書き……、気がつくと、理系から文系へと進路が変わっていて、やがて、時代に衝突してしまい……。

そんなわけで、ってムチャクチャですけど、「リアルな現実」とか「時代」とか「社会」とか、その方向では新聞記者を志し、とりあえず夢は叶い、望みの人生を進んできている。
けれども、「そして、それから」とか「だけど、しかし」とか、「もしも」とか、そうした、リアルではない部分、というよりは妄想の面では、アタマの中にたくさんのアイデア、というかネタが詰まったままで、もちろん何回か本格的な「賞」に応募したけれど、見てのとおりの結果で、未だに夢は叶っていない。

半世紀を過ぎ、さすがに、このゴーマン男にも「諦め」という単語が囁かれ始めている。でもね、本当に心から読みたいストーリーを、誰も示してくれないんだ。いつまで待っても。どんな新しい才能が出てこようとも。スゴイ面白い本にたくさん出合ってきたけど、だけど、違うんだ。それじゃないんだ、ぼくが読みたいのは。だから、仕方ないよね、自分で書くしか。それしかない。

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2008年10月 9日 (木)

最高のビジネスモデル

いやあ~スゴイですね、ノーベル賞ラッシュ。アマノジャンキーとしては、なにか国際的陰謀でもあるのか、と邪推してしまうほど、日本人の受賞1、2、3、そして4人。もしかして5人目は文学賞で?
専門筋に言わせると、しかし、これまでの受賞者数、いわゆるサイエンス関係で、米国の二十分の一、英国の十分の一らしいのだが、彼我の技術差がそんなにあるはずもなく、つまりは欧米重視の結果だとかで、ここらで日本にも少し、恩を売る、というのか、媚びる、というのか、ま、そんな配慮が働いたと見る向きも。

たまたま、とある専門家の話を聞く機会に恵まれた。南部氏が何故いま、50年前ものむか~しの論文で受賞に至ったか(小林、益川の両氏にとっても30年前に発表の論文)というと、これに基づく、欧州で進められている素粒子の研究で、10年以内に新しい「検証」がなされるのが確実らしい。そうなると、ノーベル賞に輝くわけで、となると、それに大きく貢献した、これら日本人の功績はどうなるの? って話が出るのは必定。ならば、いまのうちに、という事情があるとか。大きな声では言えませんが、高齢の方もいらっしゃいますしね。
どうせなら3人まとめて、ということにすれば、果たして大騒ぎ、かなりのニュースバリューがあるわけで、ノーベル賞を出す側(財団のことかな。必ずしもスウェーデン王立アカデミーに限るわけではないようだが)の宣伝にもなる。たしかに、単独受賞だったら、これほどのホットな話題になったかどうか。

いわく、「ノーベル賞は最も成功したビジネスモデルだ」と。なるほど、説明したような、戦略、というのかな、そういう「広報宣伝力」が見事なのは間違いない。世の中には実にさまざまな賞があるが、ノーベル賞ほど「権威」に満ちたものは、ないだろう。賞金額も大きいけれど、なんといっても「名誉」は計り知れない。研究内容はよく知らなくても、いや、たとえまったく理解できなくても、湯川秀樹、朝永振一郎の名前は、多くの人の記憶にあるに違いない。
そして、6年前には、今回のみならず基本的に「博士(ドクター)」が受賞するのが当たり前なのに、一介のサラリーマン研究者(ミスター田中幸一)が受賞した。この人の功績というのか研究課題に対して、アカデミーが手を尽くした探して見つけたというのも、あながち大袈裟な話ではないだろう。そういう、ある種のマーケティング的な努力をしている。「職人」に賞を授与する柔軟な考えは、「権威主義」の陥りやすい罠とは対極でもある。

つまり、ナンバーワンかつオンリーワンであり、確かな「コア」がありながらも、けっこう斬新で、もちろん知名度も。財政的にも極めて優良。寄付を「厳選」しているというし。うん、ビジネスモデルとして最高かもしれない。

受け売りついでに。みなさん、「対称性の自発的破れのしくみの発見」って、わかります? ぼくには、さっぱり。これって、要するに、こういうことらしい。言葉遣いの科学的間違いは見逃してね。
中華料理店の丸いテーブルを想像してください。この円卓に等間隔で6人座っているとします。その6人の間にレンゲを置きます、隣の人のちょうど真ん中に。レンゲも等間隔で6本あるわけです。ひとりの人から見たら、左右に、それぞれ。しっかりシンメトリーになっていますね。
左右どちらのレンゲを使ってもよいとします。まさしく「対称性」です。バランスが取れています。さて、そのとき、ある人が、右側のレンゲを手にしたとしましょう。その瞬間、残りの5人も、それぞれ右側のレンゲを選択するしかなくなりますね。天邪鬼の小生でも、わざと左側を選ぶようなマネはしません。
これが「破れ」ということ、らしい。しかも、それは、自発的に行われた、ってことです。誰かに強制されて右手のレンゲを選んだわけではない、からです。テーブルマナーとか、突っ込まないでね。

まあ、なんとか、かろうじて理解の入り口までは達しえたかな。所詮、シロウト、こんなもんで十分ですよね。

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2008年10月 6日 (月)

秋の夜長に

月例の修羅場ゆえ、予定稿です(つまり、リアルタイムではなく、あらかじめ書いておいた原稿です)。
きょうは、映画の話。テレビドラマよりは、やはり金も手間もかけているから、それなりに見応えはあるけれど、それでも邦画はハリウッドには敵わない。

劇団ひとりの原作による「陰日向に咲く」、ふむ、ま、悪くはないんだが。これといって印象に残らない、少し時間が過ぎると、もう覚えていないんだなあ。もちろん、米国映画でも多くは同様だけどね。雰囲気は、しっとりしていて、うん、そうなんだよね、これ、原作のほうに興味があるなあ。こんな感じの小説を書く、お笑いの感性って……。
「魍魎の匣」、こちらは京極さんの原作だから、そりゃもぉ、アヤシイ雰囲気十分で、スクリーンでも(って実際は24インチ・モニターだけど)、ワクワクドキドキ。だけど、これも、そんなには残らない。堪能したか、というと、合格点ギリギリのラインかな。

この2作品に限らないけれど、役者がね、ちょっと出過ぎ、というのか、テレビでもドラマやらバラエティやらでよく見るし、なかにはコマーシャルでも。もちろん「生活」があるでしょうけれど、あんまり頻繁に露出したり主役を張られたりすると、こちら側としては、ちょっと、シラケル、というのかなあ。虚構世界に没入しずらくて、困っちゃうね。

「クワイエットルームにようこそ」は、芸達者が揃ったためかな、いつもの顔ではあるが、楽しめた。内田有紀は、いい芝居していた。やはり、大竹しのぶは、スゴいなあ。きっちり演じていたもの。あと、大して知らない女優(りょう、平岩紙)もいて、(たぶん)若いのに、なんか、けっこう頑張っていたね。
あぁ、これも、原作があって、その映画化か……。
同様に「震度0」、原作は未読なんだけど、この作家(横山秀夫)のは何作か読んでいるので、うまく映像化したんだろうと予想できる。これも、役者たちは馴染みだが、しっかり演じていたと思う。観ているとき、現実に引き戻されなかったからね。

さて、洋画では、「ヘアスプレー」。久々にカンドーした。どうってことのない平凡なストーリーなのだが、躍動感が伝わってきて、楽しい気分にしてくれた。ミュージカル(だと思うけれど)ってイイなあ、ってね。トラボルタの「仮装」は、ま、ご愛嬌。

「アイ・アム・レジェンド」「AVP2」「28週後...」「ジャンパー」、このあたりは、リーズナブル、というのかな、高い評価はできないし、細かい点で、ちょっとね……という突っ込みどころはあるのだが、80点あたりをつけたいと思わせる。CG処理の質が高く、さすがに「大作」ではある。そうそう、「バンテージ・ポイント」は、面白かった。素直にそう思う。

「クローバーフィールド/HAKAISHA」は、大作なのかな、わかんないけど、有名な俳優は出ていなかったが、制作費は小さくあるまい。心配した「手ブレ映像」は問題なかった。いや、よくもまあ、こんなストーリー展開(いわゆる侵略モノ)なのに「一人称」視点で描ききったものだと、感心。謎がたくさん残ったが、どうやら続編があるらしい。「2」でうまくまとめられたなら、そうね、95点くらい、つけたいなあ。

ここ数か月では、「ミスト」が最も印象的だ。原作はスティーブン・キング、これまた未読(かなり既読しているのだが)。100点満点ではないけれど、いや、もしかしたらB級なんだけど、随分と久しぶりに、衝撃のラストを味わった。原作とは違うらしい。ふむ。よくもキングが認めたものだ。でも、それほど、素晴らしい結末だ。「素晴らしい」は適切ではない表現かな、賛否両論あるだろうし、ぼく自身、必ずしも、あのような終わり方に賛同しないが、でも、完璧に予想を裏切られた。

「再会の街で」は、これこそ、「愛と涙の映画」。良質だ。日本映画では、どうして、こういうレベルの作品がつくれないのだろう。悲しいね。

最後に、ドイツ映画「4分間のピアニスト」、たまにはハリウッドの匂いがしないものもいい。ピアノに対する、ある種の思い入れがあるので、こういう映画は好きだ。

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2008年10月 1日 (水)

さあ、ドラマの秋だ

10月になりました。野球のことは忘れて……、「ドラマの秋」に期待しましょう……。ううっ。
あと3週間で、いよいよ「相棒」シーズン7。わくわく。冬をまたぐ季節は、これだけでいい。相変わらずの「ドラマっ子」だけど、年々歳々、堪能できる番組が減っているような……。

春から夏にかけては、いくつか、まあまあ楽しめた。「相棒」枠の刑事ドラマ「ゴンゾウ」、「相棒」の脚本家が手掛けただけあって、なかなかミステリアスで、ストーリーに破綻もなく、「山本勘助」内野聖陽が好演。我が相方は、都合によりすべて録画で、いま観ているところらしいから、詳しくは触れない。ん? 全部終わった? どぉだった? そかそか、うん、鶴チャン、可愛かったね、ルミちゃん、傑作だったね、池脇千鶴はチト太めだったね。

同じく「相棒」の脚本家による2時間SP「越境捜査」も、やや粗い展開だったが、そこそこ見応えはあった。当方、ミステリー・フリークだから「驚愕の真相」にはあまり関心がない。たいがいの「どんでん返し」を見てきたからね。謎と謎解きの、いわゆる整合性が一定のレベルを実現していれば、いい。つまり、うまく騙されたい。その点、少し物足りなかった。

残念ながら、さらに同じく「相棒」の監督が演出したスペシャル「氷の華」は、その4時間を返せ、だな。犯人をめぐる動きは、こちらのほうが大仕掛けではあったけれど、最初の30分で、直感的に指摘できてしまった。原作が、最初は自費出版だったものを大手が目をつけ、そして映像化、と聞き、期待したんだけど。オリジナル未読につき、フェアな感想ではないだろうが、なんだか下手くそな脚色、つまんない設定変更、役者は人気だが決して上手くなく、わざとらしい演技で犯人がわかってしまったり、etc. やはり、監督の腕だけではどうにもならないんだなあ。

テレ朝ばかりだが、「四つの嘘」は、良かった。数字は大して稼げなかっただろう、でも、良かった。永作博美が出ているから、良かった。寺島しのぶも、高島礼子も、役者してた。話は特段エキサイティングではなく、最終回も静かなままに。原作・脚本が大石静だから? いや、シャレのつもりはなく。とにかく、ドラマらしいドラマ、とでも言おうか。

意外だったのは、「コード・ブルー(ドクターヘリ緊急救命)」。主人公たちは、若手、というか、ま、それなりのタレント。正直に書けば「ジャリタレ」と思っていた。仕事で小さな接点のある新垣結衣を、いちどくらいは観てみるか、と、初回は、何となくチャンネルを合わせた感じ。ところが結局、振り返ればハマっていた。こういうのが、きっと演出の腕なんだろう。演技は程よく抑えられていて、妙な軽さはなく、お涙頂戴シーンもわざとらしくなく。だから、リアリティを感じた。

逆に、貫地谷しほり狙いの「あんどーなつ」は、これといった波乱もなく、あまりに当たり前の展開に、3回目で挫折。あんな役は彼女でなくてもこなせる。脇をステキな役者たちが固めているのに、惜しい。もっと、高いレベルの演技に挑戦してもらいたいなあ。

ところで、「篤姫」。文句なく面白いのだが、高視聴率のせいか、いささか「愛」だの「家族」だの言い過ぎだよ。いかに「ホームドラマ」とはいえね。「歴史もの」という基調がなおいっそう薄まると、通年企画の「大河」としての価値も低くなってしまうのでは。言い換えると、1クールの連ドラを3クール(結果的には4クール)続けざまに流している、というような感覚。

蛇足。深夜枠で(関東だけかも)再放送の「百夜行」、これ、オリジナルでも観たし、原作も読んだが、好き嫌いの分かれそうなストーリー、だけど、切ないね、やるせないね。さらに、音楽が、見事にマッチ。観るのが辛くなる、虚構であることを忘れてしまうほどの、迫力のあるドラマは、滅多にない。この作品の綾瀬はるか、うまいわけではないけれど、イイ。子ども時代を演じた福田麻衣子も、その後の活躍を予感させる。だけど、二人とも、これを、まだ超えていない気がするなあ。

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