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2008年6月11日 (水)

水に流していいのか

この次あたりの話題にしようかと思っていたら、わがブログのレギュラー・コメンテイター、seig翁がフライングcoldsweats01なさいましたので、スレッドを変えて。

seiguさんが、こういうコメントを、前のスレッドで。
>>水泳選手の水着。あれってドーピングと同様では。世界水連で歯止めをかけないと、選手がかわいそう。もっと自然に闘えるように。こういうように科学技術と企業間の闘いが先に立つから「非道」人が出現しやすくなると思います。

まさに。ぼくも、ドーピングだよなあ、と、ひとりごちていました。
この問題が報道され始めたころ、違和感を覚えました。スポーツについては詳しくないので、どうとは、うまく説明できないのですけど、薬物に関しては、風邪薬ですら引っかかってしまうと言われるほど厳しいのに、と。

ある人に水を向けてみると。いわく「身体に悪いクスリとは一緒にできないのでは」と。うむ。それはそうだけど。でもぉ。あの水着も、なんか身体によくないような気もするけどなあ。

「水着」の「進化」が、いったいどこまで許されるのか、ぼくにはよくわかりません。でも、なんか、おかしいなあ~と思うのです。

翁は、こう言います。「スポーツと道具はそれこそ一蓮托生のことゆえ、問題は世界新記録などの数字競いがスポーツにとって望ましいのかという方向へ流れるといい」と。

曖昧なぼくより、翁の話を聴きましょう。では、後をお任せします。先生、よろしく。

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コメント

いいつなぎをし、いい発言の場を作ってくれました。
ブログの新しい展開か?

老愚生は、スポーツはするのも見るのも苦手でした。ところが近頃、ニュース番組がすさんなこと、内容もどうってないことから、バラエティ番組とスポーツ番組を少し見るようになりました。そうしていたら、例のスピード社の水着問題。対抗して日本の中小企業の某社がいい素材を開発したとかのニュースも見て、それもいいなと思っているうち、しかしスポーツの純粋性が崩れると、ニュース番組と同様の弊に陥ると思うようになりました。

以前、鈴木大地選手が水中滞留時間が長いため反則とされたことを思い出しました。

ルールがないと困るけれども、それほど精緻にできるわけもなし。
水泳なら、素裸で泳ぐ。そんなルールにしたらどうか。すると、社会的風俗問題になるか。
難しいですね。

投稿: seigu | 2008年6月12日 (木) 08時12分

こんにちは またおじゃましてしまいましたhappy01

今回の水着のことは、テニスならラケット。ゴルフならクラブのようなものだと思っていました。みんないい道具を使いたいのは当たり前だと。

でも、先日こんな記事を読みました。
「アメリカの選手が1992年に樹立した200メートル平泳ぎの世界記録を北島選手が破ったのは2002年。世界中のスイマーが挑んで、たった0秒19の更新に実に10年という時間を要した」
と・・・なのに、レーザー・レーサーを着用して泳いだだけで、1秒33も記録を縮まったって・・・
選手達は、そうやって出した世界記録を手放しで喜べるのかしら?
と、ちょっと疑問に思った私です。

素裸で泳ぐのはかなり抵抗があるらしいですよ^^

投稿: vanilla | 2008年6月12日 (木) 17時16分

seiguさん、vanillaさん、早速のコメント、感謝。ブログって、あくまで一人称メディアですが、ニフティのフォーラム育ちの小生、こんなふうな仕掛けも好きで。翁のリアル連絡先は知ってますから「裏」でやってもよかったんですけれど。ま、ひとつの試みとして。擬似双方向ってやつかな。

まずは「素裸」の話。って、オヤヂは、こういう話題にすぐ飛びつくなあ~。ま、古代オリンピアに習えとは言いませんが、水着がなければまたそれなりの問題が発生するでしょうね。
女性は限りなく男性化しそうです。いまでも、胸の豊かな選手は見かけませんし。男性も女性化するでしょうか。心理的「抵抗」は個人次第として、物理的な「抵抗」は男女、どちらに不利なのか、にわかには判断できませんけど。セックス・チェック、必要でしょうね、あぁ、現在でもやっているのかな。
なによりも、見た目の問題は、厄介ですね。モザイク入れるのはヤボだけど、でも、五輪中継がR-15じゃ、笑い話にもならない。背泳なんて、どぉにもならんような気がするし。

脱線ついでに。何年か前、久しぶりに女子マラソンの中継を観たとき、驚きました。露出部分が多くて、ほとんど水着じゃん、って。それが、いまや、逆ですね。水着のほうが隠している。いやはや。

続いて「記録」のこと。vanillaさんの指摘は鋭い。0.19秒に10年、それが、一瞬にして1.33秒も、ですか。なるほど。北島選手は、そりゃ、いまは大喜びでしょう。周囲も、マスコミも、拍手しつつ、大騒ぎ。でもね、って思いますよね。それでいいの、って首をひねりますよね、きっと。なんかヘンだね、って言い出しますよね、そのうち。

ほかに、オリンピック種目でいえば、マラソンの「靴」、これ、相当に進化しているらしいですね。特化とでも言うべきかな。それから、棒高跳びの棒も? いろいろありそう。

「道具」だけでなく、seiguさん指摘の、鈴木大地選手の水中滞留時間の件は、「ルール」も同様に「変化」してきたことを示しています。わが相方は、バレーボールのファンで、ときたまグチっています、なんか、日本人に不利なように変更された、と。バレーといえば「東洋の魔女」の小生、詳しくは知らず。でも、単純に、身長制限しろよ、って思います。バスケットもだけど、180センチと2メートル20センチと、同じ土俵で戦うの? 体重別の種目もあるというのに。なんか、おかしい。

そういえば。パラリンピックでも「道具」のこと、話題になったような。義足(の改良具合)がチョーすごいことになっているとか。これも、記録の向上を素直に喜んでよいのか、迷います。

投稿: hiperk | 2008年6月12日 (木) 23時38分

vanillaさんの参加でいい方向へ。やはり、数字でおさえるのが分かりいいですね。

しかし、今度は柔道着とか。テレビのニュースか何かでチラッと見ました。袖口を狭くしておくとつかみにくいのだそうです。どんな競技にも問題になる部分はありそう。

すると、スポーツマンシップ、フエアプレイなどなど精神論に走りたくなる。それも嫌ながら、しかし、どうも多くのことがらが「原理」を離れて浮き足立つのが問題かと。それでも、すると「原理主義」が台頭する。柔道で前をはだけて試合している光景を多く見ますが、あれは見ぐさいですね。いちいち身だしなみを整えろとまではいわないものの、柔道着を帯にきちんと挟むくらいはしたほうがいい。相撲でも、まわしをゆるく締めていると投げられにくいよう。意図してゆるくしているような例も見かける。

いずれにしても「道具」の問題は、もの作りで育った人間として気がかりです。道具、機械は、使う人間の質に関係する。

投稿: seigu | 2008年6月13日 (金) 09時21分

この週末は、ちょっとドタバタしていて、って目先のことに追われていただけですが。スポーツと道具についてのコメントを、あれやこれやと考えていたのではありますが、東北地方の地震に目を奪われ。
いやはや、関東地方に住む身としては、この数年、いや10年くらいのレンジで語るべきかな、要するに、あたかも「包囲網」のように周辺で、大きな災害が発生しているわけですが、肝心の(という表現は不適切かな)首都を襲うものは、未だ無く。
もちろん、秋葉原での出来事も「災厄」ですけれど。自然現象としての天災と、人為的な犯罪としての人災、違いはあれど、まあ、どのみち、突発的に起こるわけで、いささかの準備というか、警戒は必要だし、多少の用意はできうるとしても、結果的には、いずれも避けられないんだろうなあ。

投稿: hiperk | 2008年6月16日 (月) 04時16分

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