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2008年6月29日 (日)

ボク沈みました

『日本沈没第2部』を、やっと、読了。「やっと」というのは、シンドかったという意味で、恐れていたような出来栄えで。。。と断じては、いささか厳しすぎるか。でもね……。33年も待たされて、この内容では、褒める気にはなれない。いやはや、我が敬愛する小松左京氏をもってしても、「2」が「1」を超えるのは難しいんだね……。
以下は、1973年刊の第1部に熱狂し、その続編を待望しつつ、第3部か4部かは知らねど『果てしなき流れの果てに』も堪能し、これは左京さんの長編では最高傑作です、さらには最近なぜかリメイクされた映画をまったく評価せず、CG以前のオリジナルのほうが良かったとの思いを募らせる立場で、勝手に。ですから、ネタバレ気にせず。

今回は文庫本化されたものを読んだので、正確には35年ぶり。導入部分にはワクワクした。アレから25年、ふむふむ。おぉ、中田が総理になったのか。ワタリって、桜って、あぁ、渡老人の孫なのね、うんうん。えっ!? 阿部玲子は生きてたのか。うんうん。ぢや、小野寺も生存してるのかな。ジュネーブで再会するの? だったら、いいなあ~。
世界中に散らばったはずの日本人のいまを、まずアジア方面で描き出す。共同執筆者(たぶん事実上のメインで左京さんは「監修」的な立場だろうが)谷甲州の得意分野とかで、「難民」としての有り様など、たしかにビビットだ。
だが、いくつかの「点」の描写は詳しいものの、それらをつなぐ「線」が曖昧で、なかなか「面」が現れない。こちらの読解力が乏しいのかも、と読み進めても、存続する「日本国政府」の実態は、よくわからない。
上下刊の半分まできても、たとえば「政治的状況」が描かれないことに、不満が増してくる。有名無実化しているのなら、それはそれでいい。が、なにやら画策している様子で、国土を失ってもなお「権力」を保持しているらしい。だが、そこがボンヤリとしている。国家が、どのように機能しているのか、ピンとこない。
「経済的状況」も、示してくれないので、「地球シミュレーター」とやらを展開する「財政的背景」が不明。「国家」たるべく、いかなる「歳入」を得ているのか、とかね。トヨタ、SONY、そうした世界に冠たる企業が、どうなってしまったのか、興味あるところなのに、触れられていない。自衛隊らしき組織も登場するのだが、指揮命令系統は描かれない。
いつまでたっても全体像が掴めないのである。苛立つ。

こうなってくると、ページをめくるのが辛くなる。繰り返すが、部分的には極めて深く書き込まれているのだが、それはそれとして、国土喪失後の我が祖国の25年間の苦悩なり軌跡なり、そして「いま」が浮かび上がってこないのである。もちろん、すべては無理だとしても、日本を沈没させるのに、あれだけ荒唐無稽な「ウソ」を、いかにもありそうに見せてくれたではないか、だったら、そもそものこの小説のテーマである、流浪の民となった民族についての、左京さんらしい壮大な虚構を、と期待するのは当然。
なのに、ドラマがない。俗っぽいエンターテインメントらしさは求めない。でも、登場人物が、あまりにも「らしく」ない。というのか、キャラクターとして成立していない。たとえば、国連難民高等弁務官事務所に勤める阿部玲子、扱いは脇役でも構わないけれど、あの日、真鶴道路で富士山大噴火により消息を絶った(と思う、たぶん)以降の、この25年をどうやって生きてきたのか、もうちょっと説明してよ。説明っていうか、「キャラ」として描いてほしい。でなければ、のめり込めないじゃん。果たして小野寺も生きていたが、喜ぶよりも、なぜ死なずにすんだ? なんて思ってしまうし、かれもまた25年間を、どのようにしのいできたのか、知りたいのに、ヒントすらない。
最悪は、かの二人は再会を果たすのだが、そこに何の感動も沸かない。それはないよぉ。

悲しいことに、「失敗作ではないか」との冷ややかな目が強くなっていく。誤解を恐れずに言えば、シュミレーション小説だから人間が描かれていなくても、仕方がない。左京さんはあまり得意じゃないし。ガマンしよう。にしても、無惨だ。そして、そのシミュレーション自体が、あまりにも脆弱である。アメリカとの同盟関係がどう変化していったのか、その概要だけでも読ませてもらいたかった。
結局、「ウソ」をつけなかったわけだ。「あとがき」などを読んで、さらにガッカリした。プロジェクトチームをつくって、さまざまな議論の末に書かれたという。いったい、なにを話し合ったのか。
そもそも、続編が頓挫したのも、70年代後半以降の世界がすさまじく変貌していったからだろう。バカバカしいような「もしも」よりも、現実のほうがドラスティックに進んだ。だから、第2部は幻だと覚悟したのだ。
しかし、諦めた夢に、あえて挑んだのではないか。ならば、思い切った「ホラ」を吹いてもらいたかった。中国の描き方など、実際の雰囲気に近く、つまらなすぎる。東西冷戦の只中に、対共産主義の防波堤たる「日本」が消えたのだから、とんでもない「未来」があったかもしれないのに。
かつて、敗戦から25年ほどで「戦争はなかった」ことにしたではないか、「首都消失」させて政治の中心が京都に戻ったらどうなるかを示そうとしたではないか、第3次大戦は水割り一杯を飲む間に完結すると予見したではないか。あの、圧倒的な想像力・創造力は、どこに?

リアリティの前に、フィクションが敗れ去った。残念である。

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コメント

『日本沈没第2部』
地球がガラス片のように砕かれている表紙の
本ですよね?
小野寺さん生きていたのですか?
あの深い深い海の底からどうやって・・・sweat02


日本沈没は2年前に映画のリメイク版を観ました。
もちろん主役は草ナギ剛くんheart01

投稿: みゆみゆ | 2008年6月30日 (月) 19時05分

みゆみゆさん、そうです、その表紙の本です。
ええ、生きてたんですよ、奇跡的に。って、原作、お読みじゃないっすね。で、リメイク版の映画を観ただけ。
それでも、どうやって? という疑問は当然でしょうね。実のところ、ストーリーもキャラ設定も原作とは、かなり異なっているんです。
阿部玲子は、地主の一人娘の「お嬢様」で、小野寺の見合い相手。機密事項だった「沈没」の対策本部に関わっていた小野寺と、ともに外国(スイス・ジュネーブ)へ逃げる予定だったんだけど、前述のごとく、羽田に向かう寸前の玲子は富士山大噴火に巻き込まれ、真鶴道路あたりで死んだはず。
で、小野寺は自棄になって、救出作戦に全力を傾け、そうこうしているうちに戸隠連峰の噴火によって命を落とす、という設定。
まるで違うでしょ? だいたい、原作では日本は完全に沈没してしまうのですわ、なす術もなく。
草彅剛や柴咲コウらのことを語る以前に(だって小野寺は大混乱の中、神出鬼没に各地を渡り歩き、玲子と会ったりするでしょ? ありえないっす)、リメイク版の制作意図に違和感を持つ身として評価できないんです。
「渡老人」って誰? ですよね。原作においては、政界の黒幕という役で、ま、ちょっとマンガチックだけど、相当に重要な役回りだと思うんです。なんで消しちゃったんだろうなあ。そのくせ、救出方法として「何もしないという選択もある」なんて言葉だけ残して。。。

投稿: hiperk | 2008年6月30日 (月) 21時54分

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