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2008年5月10日 (土)

スゴイ時代だ

なにをいまさら、と言われるかもしれないけれど、最近、いわゆる「ネットの時代」を強く実感している。

何年か前に「IT革命」とやらが世間を騒がせ、「ITバブルの崩壊」でまた大騒ぎ。所詮は「ブーム」という名の軽薄な扱われ方。冷ややかに見ていた。話せば長くなるので結論部分だけ。まさに「IT革命」が始まったに過ぎず。つまりは「内燃機関」が発明された段階。産業革命による変化なんて、クルマが生まれ、産業として確立し、道路が整備され、都市が発達し、労働環境が変わり、いろいろなことがあって、ようやく論じることができるわけで。インターネットが普及したくらいで「IT革命」の結果など予測できるはずもなく。まして、株価が、「IT長者」が、どうのこうのなんて、ちゃんちゃらおかしい。

パソコンを20年、通信(メール)18年、ケータイも15年、使ってきて、なお、環境の変化の激しさに戸惑う。ハードの技術革新も凄まじいけれど、とくに「ソフト」的な面では、想像を絶する事態が現出してきている。そのひとつが「ブログ」であり、You Tube。前者は、こうして自分でも手を染めているのだが、「1億総情報発信者」化がどこへ向かうのか、極めて興味深い。
先日、「冬物語」というマイナーな曲の歌詞を探していたら、とある個人のページで発見。どうやら同世代、ネットワーカーとしてはビギナーらしい。全文、掲載されていた。カンドーものである。昔なら、とは言うまい。にしても、音楽関係者でもないのに。「自分の好きな歌だから」という理由で。フツーの主婦が、ぼくのリクエストに応えてくれたのだ。

さらに。こちらのエピソードは披露するにいささか恥ずかしい思いを否めないのだけれど、ま、いいや。同様に、先日、内藤洋子の「白馬のルンナ」の歌詞を求め、ネットを彷徨っていた。さすがに、見つからなかった。ふと思いつき、You Tubeへ。検索したら、あった。いくらなんでも動画ではなかったが、フルコーラスで聴くことができた。なんとも……。
著作権のことについては、いまは触れない。なにはともあれ、あの「名作」に再びめぐり合えたことは奇跡としか言い様がない。たった一人でも、アップしようと思った人物がいたという現実。そして、再生回数500弱の事実。ぼくの夢を叶えてくれたのがどういう人か知らないけれど、素直に感謝したい。

この2つの出来事、冷静に考えれば、高度情報化社会における論理的帰結だろう。さほど驚くにはあたらないかもしれない。でも、これが始まり。こうしたことが今後、もっと日常化していく。当たり前の話になっていく。すでに図書館で調べ物なんて古くさい「努力」になっている? ま、まだしばらくは絶滅しないだろうけど、「伝説」になるかも。ぼくがスゴイと驚嘆しているのも通じなくなるだろうね。そのとき、どんな社会が? うぅむ、長生きしたくなるなあ……。

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コメント

本当に、インターネットはすごい。かなりの調べが家で出来ますもね。それでも、その情報の再確認作業がまた大変で。

結局は、どんな成果を積めるかでしょうね。
とはいえ、たとえば明治の横浜出航の船名確認などは、図書館に行かないとできないでしょう。
そんな特殊な例はといわれるかもしれませんが、意外とその調べを「横浜貿易新聞」などでしているうちにその当時の別の問題が浮かび上がってきたりして。横への広がりはアナログが有利。

情報って何だ、という主題を問う動きが少しずつ出ているようで、どの程度先か分かりませんが、インターネットを問い直す時期が来るやに思います。

投稿: 問題は「成果」? | 2008年5月14日 (水) 18時22分

もちろん、手段よりも目的が大切なのは言うまでもないことです。ですが、先生、その手段が革命的に変化するとき、目的のあり方もまた、いまのわたしたちが考えるものからは想像を絶する変容を遂げるのではないでしょうか。
「内燃機関」が発明されたとき、いずれ、それをもとにクルマができ、そのクルマの中で、ある条件下では、つまり、移動手段が「仮の生活の場」に化けてしまい、その結果、「エコノミー症候群」によって生死に関わる事態が発生するとは、いったい誰が予見しえたでしょうか。

「横への広がり」もまた、いま現在はアナログが優勢なのは確か。しかし、先生もブログをおやりになれば理解しうることですが、あるキーワードでこのブログに辿り着いた「あしあと」を逆に辿っていくと、その言葉による未知の世界が見えてくるのです。
適切な事例が思い浮かばないのですが、たとえば、「横浜貿易新聞」で検索した人物がここを訪れたとします。そのルートを逆走すると「横浜貿易新聞」でヒットした幾つものページへ飛べます。思ってもみない情報に接する機会が増えます。その検索ワードが意外なものであるほど、この「全方位への広がり」も予測を超えます。

投稿: hiperk | 2008年5月15日 (木) 01時45分

いいコメントを有難う。
化石人が何を言うかというところですが、全方位に拡がれば広がるほど、その根源をどうつかむかが課題かと。

西垣通さんが、情報科学の立場から現代哲学へコメントしています。10年ほど前から西垣さんが異見を述べているため少し注目しています。
茂木健一郎は「現在のインターネット社会と文化に対しては、むしろ強烈なアンチテーゼが必要ではないかと思っています」といい、現代人は「ブックキーピング」(「最低限のこの世についての常識を押さえる」)ができなくなりつつある、それが問題とも。ふたりとも岩波の「図書」5月号の座談会「いま、哲学は」で。

現代哲学なんて、わかりませんが・・

投稿: 全方位に広がりながら源が遠ざかる? | 2008年5月15日 (木) 08時10分

先生以上に、現代哲学なんて。。。でも、西垣通氏については『IT革命』(岩波新書)で大いに学ぶ機会を得ました。先生もご推察でしょうが、わたしの「産業革命/IT革命」への理解などは同書に依る面が少なくなく。

ですから、はい、カギは「源」だと、わたしも思いますし、先生の考えに反論するものではありません。おそらく、「裏表」の話をしているのでしょう。

ただ、わたしは、ネットを問い直す時期がいつか来る「べき」だとは思うものの、かなりしばらくは、来ないのではないかなあ、とも。いささか「悲観論者」かも。
21世紀になっても、「クルマ社会」へのアンチテーゼは耳にしません。なにしろ、ほぼ唯一の身分証明が、たかがクルマの免許証ですからね。
「免許」という仕組みがあるだけ、まだマシですが、ネットに関しては何もない。小学生が情報端末であるケータイを無前提に利用する時代が、すでに来てしまいました。

だからこそ、茂木氏の指摘に同感するのですが、しかし、たとえば明治の横浜出航の船名確認は、意図的には誰しもが試みるものではないとしても、ネット社会においては、たまたま、できてしまうかもしれません。この「たまたま」が引き起こすであろう、新たな動機付けは、もはや予測の域を超えていて、「全方位に広がりながら源が遠ざかる」のは不可避、と断じては、あまりにアナーキーでしょうか。

投稿: hiperk | 2008年5月15日 (木) 12時31分

アナーキーすぎますね。もっとも、それがhiperkさんの持ち味でしょうが。

「時流を視る」というテーマの原稿を『公評』誌に書く予定。そこで、その源論を考えてみようかと思っています。hiperkさんの意見を借りるかもしれません。よろしく。

投稿: seigu | 2008年5月16日 (金) 07時54分

追伸、です。

西垣通氏が、『マルチメディア』を書いた七年後に『IT革命』を書き、その六年後に『ウェブ社会をどう生きるか』を書く。その間に同類の本もあるよう。加速度急です。

昨年5月に出た『ウェブ社会・・』でウェブ2.0を問題にしました。しかし、もはや現実はその問題を通り越しているよう。その4章で「生きる意味を検索できるか」と問いかけました。その中に、「いかにして『真の生きる知恵』とよべる集合知を創りあげていくかは、これからわれわれが考えていく大テーマです」とあります。これはこれからも生き残っていくでしょう。現象は移ろうが、源は生きていく。

集合知を作るには、その運動に参加する個の知が問題。そのあたりを考えているのが老愚生です。

これは、「宗教」をほとんど失ったと思われる現代社会、現在の日本の状況を問い詰めなければならないという問題に飛びます。

投稿: seigu | 2008年5月16日 (金) 09時11分

持ち味と仰っていただき、深謝。そんなアナーキーな戯言でも、参考になるのであれば、いかようにも。

西垣氏とは一度だけお会いしたことがありますが(名刺交換ていどですけれど)、鋭い感性をお持ちかと。翁ももちろんですが、真面目で前向きでいらっしゃる。どぉも、小生、その「移ろい」を楽しんでしまうような、ヤクザな感覚が好きで。

投稿: hiperk | 2008年5月17日 (土) 03時44分

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