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2007年12月16日 (日)

「もったいない」話

前回の続きみたいな話かな。東京ビッグサイトで先週開催の「エコプロダクツ展」に行った。仕事であるが、それはさておき。「エコ」を、要するに「もったいない」的な発想でみると、世代間ギャップがあるように思える。
昭和20年代生まれの当方、親は戦争をモロに体験しているから、小さいころからモノを大切にする教えを受けた。食事の前には、両親への感謝とともに「お百姓さん、ありがとう」と言って箸を取った。弁当箱の蓋の裏に付いたゴハン粒はもちろん食べた。残すことなど罰当たりである。おかげで太った、わけではないけれど。
家の何かを壊したり皿を割ったりしたら、厳しく叱られた。反省を求められ、最後は「形あるものはいつか壊れる」と温かく諭されて解放される。「捨てる」なんて不埒な言葉はない。おかげで使わなくなった日用品が捨てられない、ま、言い訳だけど。
そんなぼくより10歳くらい年下では、親も戦中世代、飢えの記憶薄く、そして本人は高度成長の恩恵を一身に受けて育ったためだろうか、あまりケチ臭いことは言わなくなるが、それでも、まだ豊かさへの道半ば、使い捨て文化が馴染まないように見受けられる。
さらに下の世代、70年代生まれになると、このあたりのメンタリティが変わってくる。団塊ジュニアとしての「個人主義」的風潮も手伝ってか、「消費は美徳」の波に乗る。親は団塊、貧しさからの脱却をなまじ経験しているため、子どもにモノを無前提に与える傾向を強める。そのうえ、自身、バブル期に青春を謳歌、使い捨てに抵抗がなくなる。
この層のシッポ、いまの20歳代には、しかし、社会に出ると、世はバブル崩壊で、ゼータクを享受できなくなってしまったせいか、揺れ戻しが起きているようだ。親もポスト団塊、つまりぼくの世代で、前述のとおりギリギリ「節約」の精神が息づいている。
そして、10代。かれらは、いま、授業の一環として「エコ展」を訪れ、地球環境の大切さなどを学ぶ。ある出展社の担当者、40代半ばで、子どもがこの世代のど真ん中。いわく、「使っていない部屋の電灯が点いていたりすると、もったいないと消して回るんですよ」。モノの大切さを子に教えられる身なのだとか。
もちろん、「個人差」は無視できないし、いまや「格差社会」だから、世代論では語りきれないことが増えていることは承知。でも、あるていどの数の集まりとして考えるとき、「いまどき」の子どもたちって、満更捨てたもんじゃない、かも。
蛇足ながら。だからといって、ぼくは、消費期限・賞味期限の改竄を許容するものではない。たしかに、1分でも過ぎたら廃棄しなければならないというのは「もったいない」。だけど、そもそも「つくりすぎている」のだ。見た目の豊かさを演出するかのように売り場にモノが溢れている光景は、ぼくにしてみれば異常である。売り切れたら仕方がない、そんな「覚悟」も必要なのではないか。
調べ物の際に、とあるサイトで、こんな文章に接した。
『赤福は、つき立ての味を提供するための工夫をこらしている。どんな団体客が何時に何人ほど神宮参拝に来るのかという基礎データを持って製造方針を決定。そして近鉄特急券の発売状況、貸切りバスの動きなどを調べ、これらの情報から各店舗への商品供給数を決定する。さらに30分ごとに各店頭の在庫数を把握し、参拝客の動きに合わせて1日3回商品を配送するなど、徹底的に合理化を図っている』
この理念がきちんと守られていれば、あんな偽装は必要ない。
そして、ぼくらも、すぐに消費するのにわざわざ日付の最も新しい商品を棚の奥から取り出すようなマネを、そろそろやめなければいけない。
さあて、本日いっぱいが期限なのに半額セールとなった、美味しい牛肉を食べようっと。

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