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2007年12月

2007年12月31日 (月)

大晦日

1年の計は元旦にあり、〆が大晦日。もうじき、10時間ほどで、2008年。新しい年だ。
もちろん、きょうが明日になるだけで、世の中も自分も、いろいろな事情も都合も、コロッと変わるものではないから、大騒ぎする必要はないのだけれど。生来、不精な性格で、日々のったり過ごしているせいか、こゆ節目、せめて大切にしないとね。
だから、カウントダウンとか、記念日とか、好きだ。でも、飽きてきた。人生そのものにはまだ厭きていないが、さすがに半世紀も生きてくると、「どぉでもいいや」と思う時が訪れる。
知る人は知る、わたしは「こだわり」の人間で、相当に強い。ときには「頑固」ですらある。半面、己の知など高が知れているとの思いも強く、つまり、「こんなこだわり、意味がない」との「こだわり」も持つ。結果、妙な均衡を好む場合も少なくない。要するに、「不安定」の二乗で「安定」しているわけだ。
そんなところに、もうひとつ「不安定」が加わると、文字通りの「不安定」になってしまう。「支点」が3つで安定するのとは大違い。精神のバランスを崩すのはイヤなので、ひとつの不安定要素を取り除く。外的ファクターは、なかなか思うようにはコントロールできないので、内的なモノを選ぶ。
たとえば、いま、年越しの瞬間を、楽しむことを棄てる。

それにしても、理屈っぽい。我ながら厭になる。が、これが自分の「存在理由」か。この「こだわり」とだけは、一生つきあわなくてはなるまい。
そんなメンドーなヤツのブログに、1年そしてそれ以上、おつきあいいただき、深謝。よろしければ、来年もよろしく。

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2007年12月28日 (金)

仕事納め

人並みに、年内に終わらせなければならない仕事を、やっと済ませた。あとは、大掃除か。まあ、これは……。賀状は数年前から書かず、おせち料理にも飽きたし、あと3日、ふぅむ、自分なりに振り返る。

今年は、激しい年だった。そう思うファクター、3つほどあるのだが、いずれも、すぐれて私的な事柄ゆえ、書けず。まあ、うち2つは、遅かれ早かれ触れることになると思うのだが。3つ目の出来事も、事象としては同じカテゴリー。3つも重なると、さすがに、何やら感じるもの強く。
概念的にまとめれば、うん、人生ってやつは……。って、あまりに抽象的? だろーなあ。別な言い方をすると、ぼくにとっての今年の一文字は「生」だ。無理やり世情にリンクさせれば、「偽」よりも「退」ということでもある。「生」と「退」、対語みたいなもので、ま、そんな雰囲気のことを、この1年、考えさせられた。

ここ10年くらい、ぼくは「身の丈」という言葉を、ある種、自己の指針としている。
2007年を象徴する「偽」のもとになった、一連の偽装問題は、身の丈を超えたがゆえの、必然的帰結といえる。何回か前に紹介した、「赤福」の、いわば「オンデマンド生産方式」、これを、「成長」の名のもとに捨てた結果が、あの偽装だと、ぼくは思う。
「成長」するということは、そんなにも、まったき善なのか。ぼくは、いま、懐疑的である。そりゃ、子どもは大人になる必要があるけれど。企業・組織は、でかくなると、たいてい、ロクなことがない。もちろん、規模の大きさは、そのリーダーの力量に依るだろうから、見た目、たとえば年商だけでは判断できないが。
スケールメリットを否定はしない。ダイエーは、売上高が1兆円を超えることで初めて可能になった事業もあるだろう。でも、ハワイのショッピングセンターは買わなくてもよかったろう。野球の球団買収は悪くなかったと思うけど。そこらへん、どこまでが適正か、見極めるのは難しい。あの、流通革命の担い手・中内功氏ですら、見誤った。

「身の丈」は、つまり「最適化」である。個のレベルでいえば「悠々自適」の「自適」。ぼくは、これを「自己最適化」だと解釈している。規模で考えれば、自己・個は最小単位である。自分の身のことだけを心配すればいいのであって、一見、誰にでも可能のようではある。が、そうはいかないことは、みなさん承知だろう。天下国家も、ビジネスも、運営するのは大変だが、個人とて同じ。我が身ひとつ、思うようにはいかない。

「自適」に生き、退く。来年の抱負、いや、このあと10年か20年か知らぬが、今後の人生に当てはまるだろう。

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2007年12月25日 (火)

メリークリスマス

そんなわけで、大きな仕事がほぼ終わり、やっと年の瀬気分。気がつけば、すでにクリスマスも過ぎつつあるが、ま、別にクリスチャンなわけでもなし。ローストチキンも、25日つまり本日夜には安売り対象、いつもの常套句・縁起物で、食べました。ケーキもそうだけど、独居老人予備軍には荷が重く。
子どもが小さい家庭では、それなりの「手続き」が必要だろう。プレゼントやらツリーやら、学校でのクリスマス会みたいなものも、とくにはミッション系でなくても、いまや風物詩だしね。ウチも、娘が中高時代、賛美歌クラブに入っていたので、なにやら。母親ともども後に洗礼を受けたような家庭だったので、並みの日本人よりは馴染みあり。聖書もある。ただし、英語。ぼくにかぎっては、ほとんど飾り。日本人のクリスチャン人口はせいぜい1%らしいから、圧倒的マイナーではある。
まあ、しかし、幾度か触れたように、儒教・神道・仏教、そして耶蘇教と、我が祖国は、何でもあり。楽しいね。もう少ししたら、大晦日から元旦へと除夜の鐘を愛で、初詣で、いかなる矛盾もなく。
実に、おおらかな国柄だと思う。
なのに、最近、妙に殺伐しているというか。いや、いまだけの話でもないか、価値観が画一化してしまう傾向は。

ここから本来なら、ごちゃごちゃと文句垂れるところではあるが、修羅場明けで、ボーっとしていて、アタマが回らない。今年も残り1週間、来週のきょうは、もう新年、元日なんですねぃ。と言いつつ、今宵はテレビに埋没……。

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2007年12月22日 (土)

「空白」の28年

今年一番の衝撃は「江川クンと小林クンのTVCM出演」だ。実年齢、当方より若干下の、この二人の再会にインパクトがある理由は、省略。だいぶ昔のことで、若い人には「?」だろし、一言でも語るのに40歳を過ぎていないと難しかろう。実際には、ぼくらくらいから上の世代にとっての話になる。わかる人にはわかる。
10月半ばだったか、テレビで初めて接したときの驚きは、相当なもので、当初数回は、食い入るように見た。バージョンも更新されているようで、少しずつ、話の中身が異なる。次が見たい。他の会話が聞きたい。ぼくはエキサイトした。そう、あくまでも「当初」は。
ぼくは、しかし、評価しない。
継続されているところから察するに、大方は好意的なのかもしれないけれど、ぼくには辛い。二人への印象が悪化するだけ。スポンサー企業にも反発してしまう。なぜって、あんな断片的な、言葉の羅列だけで、「あの」事件を、さも懐かしがるように語ってもらいたくないのだ。
この28年間、二言三言では当然、語りきれない。実際、二人の会話は3時間ほどに及んだらしい。そのなかの、かなり恣意的に選んだ、ただのピース、ぶつ切りを見せつけられて納得できるものではない。いや、ぼくは、詫びろ、とか、ファンへの説明責任などを持ち出したいのではない。いくらなんでも時効である。いまさら、なにも求めない。
だが、口火を切ったのは、あんたたちだ。コマーシャルだろうが何だろうが、当事者が口を開いたのである。だったら、もっとちゃんと話してよ。それを、あんなふうに、もったいぶって、ひとの興味をそそっておきながら、細切れ。そのうえ企業広告っていうんだから、まったく、信じられん。卑怯モノっ!!
あれだけ世間を騒がせたんだよ、あなたたち。いや、もちろん、二人だけの問題ではない。いろいろな輩が関わっている。それらの人々の多くは、もはや鬼籍に入った。だからこその、いま語る、回顧談なんだろうけれど。だったら、しっかり知らせようよ。そのくらいの責任、あるんじゃないの?
繰り返すが、黙ったままでもよかったのだ。とくに、小林クンは引退して、あれ? 野球評論家なの? だったら、いまなおギョーカイ人か、ふむ、ま、にしても、いちお、江川クンのようにはメディア露出していないんだから、市井の人として、責務はもうない。だけど、こうして出てきた以上は、「酒を酌み交わしつつ、ずっと胸のうちに秘めていた思いを語りあっ」た内容を、ちゃんと披露してくれ。それがオトナというもんだろ。
つい毒づいてしまった。好きだったからね、小林クンのこと。江川クンも意外に憎めないキャラだし。実のところ、当時は日本にいなかったし、やや傍観者。イマイチ「大騒ぎ」の実感に乏しいのだ。正直な話、当該球団のグループの末端に関わる仕事もしていたし。そんなには批判的でなかった。「うまいことやるもんだ」とすら思った。でも、野球史上に残る「スポット」であることは疑いもない。「汚点」とまでは断言しないが。
2007年を象徴する「偽」の文字のとおり、今年は冒頭から頭を下げ続けた企業(および組織)トップ・幹部。かれらには、特段の期待はない。そういうものだと諦めている。だけど、小林も江川も、いまは「個人事業者」のはず。後者は某球団との距離感から、そうとは断定しにくいけど。個人は、どこまでも「自己責任」だからなあ~。

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2007年12月19日 (水)

我感情不動如山

今年も残すところ2週間を切ったので、振り返ってみよう。折々に書いたこととダブるかもしれないけれど、ま、縁起物ということで。
大河「風林火山」は特異なドラマだった。幸いにもじゃりタレが出ず、メインのみならずキャストは一級、演技に文句はない。内野聖陽、市川亀治郎、そして柴本幸。予備知識がなかったのもよかったのか、いずれも見事、これこそ役者だと感心した。新人・由布姫には、胸を打たれた。映画「隣町戦争」では、印象に残らず。げに、人は化ける。当初は「なんぢゃその配役は」と危惧したGacktにも驚いた。謙信女性説を思い出させるような、独特の雰囲気を漂わせ、怪演。ニクイほどのキャスティングだ。池脇千鶴、若いのにスゴイ、CMなんかに出ている場合ではない、もっとその才能を見せてよ。ほかにも芸達者な俳優が多く、さすがNHK、制作側に脱帽。
ストーリーも、悪くない。なのに、これほど感情移入できないドラマも珍しい。相方も同様の感想。思うに、現場のディレクターの技量ではなく、統括的プロデューサーの領域かな、全体のコンセプトを誤ったのではないか。結局のところ、何を描きたかったのか。わからん。山本勘助について史実は少ない。ゆえに若い時代は相当に創作したようだ。ならば、いっそ、ヒーローに「つくりあげ」たらよかったのに。半端に「凡人」扱いしておいて、死に際だけ「軍師」として誇張されてもなあ~。ちっともワクワクしなかった最終回。初の「延長」だとか。だが、まさに「付け足し」。ラスト4回は3回に凝縮するべきだったね。
そもそも、信玄も謙信も、さらには今川・北条も、なまじ俳優のレベルが高いせいか、存在感がありすぎて、主人公が、ちっとも「らしくない」のだ。役者の責ではなかろう。シナリオの瑕疵でもないと思う。舞台裏の事情はもちろん知らないが。いくつか、きちんと描かなければいけない箇所を、逃げていた。たとえば、「軍師」としてのキャリアアップ、どうにも解せない。諸国を放浪したことが、どのように生かされたのか、伝わってこない。「作戦参謀」としての「ひらめき」が感じられなかった。武田に仕える動機にも、首を傾げた。姫への思慕も、なんだかなあ~。この二人の「関係」、示唆はあったが、もっとしっかり、「勝頼が実は」くらい仄めかす必要があったのでは?
つまり、随所で「歴史的事実」に囚われ、そこに行き着く部分での描写が妙に強調されすぎていた。そのくせ、大胆な解釈が足りず、エキサイティングになれない。思うように書けたのだとしたら、やはり、脚本家の力量も無視できないかな。「新選組!」では、近藤勇や土方歳三たちも、壮絶な最期を遂げるのは史実として知っていても、なんか、生き残ってもらいたいね、みたいな感覚を持たされたのだから。
評価すべきは、織田信長を「影」扱いしたこと。桶狭間の戦いの出陣前に敦盛を舞うという有名なシーンで観世流能楽師である役者が登場したが、台詞は無し。まあ、なまじ喋らせたら、そこそこの俳優を起用しなければならず、そうすると勘助の存在価値、さらに下がってしまうためでもあろうが。
もうひとつは、個人的な感想。役回りとしては疑問が残るものの、チョー久しぶりに緑魔子の姿を拝むことができた。はい、60年代の、彼女が20代からの、ファンです。ここ20年くらい、見ていない気がする。時代劇だから、出たのかも。還暦を過ぎているんだものね。
さて、来年は「篤姫」、江戸幕府13代将軍・徳川家定の正室である天璋院の物語。主演の宮崎あおいは、史上最年少だとかで話題には事欠かないだろう。結婚したばかりだし。ぼくは、朝ドラも見ていないし、世間の感覚とはたぶんズレている、よーするに、よく知らん。ただ、映画「初恋」の演技には、チョッピリ光るものを感じた。主人公は47歳までの人生だから、晩年も何とかこなせるかな。まあ、特に期待はない。
でも、1年を通して見るに違いない。いまのところ、強力な裏番組はなく。てゆか、相方さんに従うまで。ウチら、ただでさえ薄い密度ですから。共通のネタがないと、ね。

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2007年12月16日 (日)

「もったいない」話

前回の続きみたいな話かな。東京ビッグサイトで先週開催の「エコプロダクツ展」に行った。仕事であるが、それはさておき。「エコ」を、要するに「もったいない」的な発想でみると、世代間ギャップがあるように思える。
昭和20年代生まれの当方、親は戦争をモロに体験しているから、小さいころからモノを大切にする教えを受けた。食事の前には、両親への感謝とともに「お百姓さん、ありがとう」と言って箸を取った。弁当箱の蓋の裏に付いたゴハン粒はもちろん食べた。残すことなど罰当たりである。おかげで太った、わけではないけれど。
家の何かを壊したり皿を割ったりしたら、厳しく叱られた。反省を求められ、最後は「形あるものはいつか壊れる」と温かく諭されて解放される。「捨てる」なんて不埒な言葉はない。おかげで使わなくなった日用品が捨てられない、ま、言い訳だけど。
そんなぼくより10歳くらい年下では、親も戦中世代、飢えの記憶薄く、そして本人は高度成長の恩恵を一身に受けて育ったためだろうか、あまりケチ臭いことは言わなくなるが、それでも、まだ豊かさへの道半ば、使い捨て文化が馴染まないように見受けられる。
さらに下の世代、70年代生まれになると、このあたりのメンタリティが変わってくる。団塊ジュニアとしての「個人主義」的風潮も手伝ってか、「消費は美徳」の波に乗る。親は団塊、貧しさからの脱却をなまじ経験しているため、子どもにモノを無前提に与える傾向を強める。そのうえ、自身、バブル期に青春を謳歌、使い捨てに抵抗がなくなる。
この層のシッポ、いまの20歳代には、しかし、社会に出ると、世はバブル崩壊で、ゼータクを享受できなくなってしまったせいか、揺れ戻しが起きているようだ。親もポスト団塊、つまりぼくの世代で、前述のとおりギリギリ「節約」の精神が息づいている。
そして、10代。かれらは、いま、授業の一環として「エコ展」を訪れ、地球環境の大切さなどを学ぶ。ある出展社の担当者、40代半ばで、子どもがこの世代のど真ん中。いわく、「使っていない部屋の電灯が点いていたりすると、もったいないと消して回るんですよ」。モノの大切さを子に教えられる身なのだとか。
もちろん、「個人差」は無視できないし、いまや「格差社会」だから、世代論では語りきれないことが増えていることは承知。でも、あるていどの数の集まりとして考えるとき、「いまどき」の子どもたちって、満更捨てたもんじゃない、かも。
蛇足ながら。だからといって、ぼくは、消費期限・賞味期限の改竄を許容するものではない。たしかに、1分でも過ぎたら廃棄しなければならないというのは「もったいない」。だけど、そもそも「つくりすぎている」のだ。見た目の豊かさを演出するかのように売り場にモノが溢れている光景は、ぼくにしてみれば異常である。売り切れたら仕方がない、そんな「覚悟」も必要なのではないか。
調べ物の際に、とあるサイトで、こんな文章に接した。
『赤福は、つき立ての味を提供するための工夫をこらしている。どんな団体客が何時に何人ほど神宮参拝に来るのかという基礎データを持って製造方針を決定。そして近鉄特急券の発売状況、貸切りバスの動きなどを調べ、これらの情報から各店舗への商品供給数を決定する。さらに30分ごとに各店頭の在庫数を把握し、参拝客の動きに合わせて1日3回商品を配送するなど、徹底的に合理化を図っている』
この理念がきちんと守られていれば、あんな偽装は必要ない。
そして、ぼくらも、すぐに消費するのにわざわざ日付の最も新しい商品を棚の奥から取り出すようなマネを、そろそろやめなければいけない。
さあて、本日いっぱいが期限なのに半額セールとなった、美味しい牛肉を食べようっと。

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2007年12月13日 (木)

懐は暖かいのがイイけど

本日まで、まだ暖房を使っていない。灯油が高騰しているから、という理由もあるにはあるが、それほどの寒さを感じないのだ。我ながら、不思議。
外に出れば、もちろんブルルと震える。出掛ける際はコートを着るし(先日の「ヒルズ」での取材は野外だったから寒かった~!)、近所への買い物程度ならフリースの上着。耐寒力が向上したわけでは決してない。でも、一歩部屋の中に入ると、けっこう暖かい。そりゃマンションだから戸建てよりマシなのは、言うまでもなく。だけど、去年は、たしか12月の初めに、ファンヒーターを点灯した。
温度の変化に鈍感になっている? 加齢すると、そうなると聞く。否定できない気もする。そのうえ、気持ちとして「なるべく暖房に頼らない」わけで。
いつになく、1枚多めに服を着ている。厚着は好まないのだが、軽めのセーターでも保温効果は増す。室内での靴下も嫌いだったのだが、ルームソックスというのかモコモコっとした感じの、外出時には適していないモノを履くと、冷えは確実に減じる。コーディネートなんぞ考えていないから、柄物の下に柄物とか、自分でも苦笑してしまう、妙なスタイルになるが。まあ、どんな格好をしようと、あーだこーだ言う人がいないから、気楽。あくまでも実用主義。
そして、こまめに風呂に入ることにしている。基本は毎日だけど、家から一歩も出ない日なんかは、ちとメンドーになって、ま、いいか、と。月に何回かある。今冬は、しかし、そんなときも、温まるだけを目的にバスタブに身を沈める。水道代とガス代の負担は増えるが、11月分にかぎればガス料金の請求書は前年同月比1000円少々のアップにとどまった。つまり、灯油18リットル分に満たない。水道料金は誤差の範囲内。
安上がりである。灯油の値段、2年前だったかの冬は700円台で、わりにゼータクな使い方をしていたような気がする。その前の年が1000円を超えていたと思うので、かなりの値ごろ感ゆえだろう。それが、2倍だもの。そうそう気楽には使えないよね。
てなわけで、地球環境を考慮してのことではないし、少しでも二酸化窒素を減らそうなんて高尚な思いもない。だけど、少しだけ、寒いときは寒がっていいと思うし、だから重ね着で防寒すればいい。暑い夏も、クーラーの設定温度を2~3度くらい下げるのは、昔のことを考えれば、ま、しゃないな、と。なんにしても、それほど寒くもないのに、上着を脱ぎたくなるほど暖房を強くするビルの中とか車内とか、ちょっとやりすぎだよなあ~と嘆く此の頃。
ま、サイフが寒いのは、イヤだけどね。

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2007年12月10日 (月)

年賀状を何年やすんでいますか?

みたび、都バスの話。新橋駅から六本木ヒルズまで乗った。日曜日の朝、道路も空いていて、スイスイと。公称18分を15分弱で。快挙。今回はルートが観光名所でもあり、家族連れや若い人のほうが多かった。てゆか、ぼくが最高齢だったかも……。
地下鉄でも行けるのだが、乗換えが面倒、しかも「これだけ歩かされて同じ駅??」というのが東京にはあるし、かなり深くまでもぐらないといけない駅もある。もちろん、メタボなわたし、エスカレータを使うけれど、これが最近気に障る。
以前にも書いたことだが、あの、まったく訳のわからん片側通行スタイル、あれがダメ、赦せないのである。エスカレータは、じっと立って乗るもの、駆け上がったりしてはいかんだろよ。想定外のことゆえ製造メーカーも困惑しているとか。消耗が激しくなるらしいし、安全性に影響が出るかも。そのうち、大きな事故が起こるに違いない。
朝の通勤ラッシュ時の大ターミナル駅は例外としても、ほとんどの場合、そうしたセッカチは少数派。おかげで乗り口あたりの混雑、目を覆うばかり。東京では右側を空けるので、左側には列が長く、長く、長く。なんで、一部のヤツのために大勢が迷惑を甘受しないといけないのかな。
そのくせ、上りをせっせと歩くコイツら、着いたとたん、ふつーの足取りで、ぼくに追い越される。別に急いでいたわけぢゃないんかいっ! こちとら、水平移動ならお得意。 はっきり言って邪魔になるんだよ! どけどけっ、てな具合。するとなにかい、上りのエスカレータは、あんたのエクササイズかジムの代わりか!!!
ま、そんなこんなで不愉快なことも少なくないので、このところ、バスを利用する機会を増やしている。すでに指摘したように、現在の都バスは、高度のユニバーサルデザインになっている。「老」の世界に近づきつつある当方、とってねラクチンなのだ。たとえ座れなくても、てすりのバーが完備されているしね。
1209_4 あぁ、ちなみに、前夜の忘年会でやや酔いすぎの身なのに日曜早朝早起き「ヒルズ」は、仕事。日本郵政(JP)の「年賀状を贈りましょう」キャンペーン、今週いっぱいやっているそうだが、その「始状式」という名のオープニング。「元祖ブログの女王」と紹介された眞鍋かをり嬢、艶やかな振袖姿で愛嬌を振りまく、その様子に、さすが芸能人だと、ちとカンドー。
だって、社長の西川善文氏なんぞ、あのマジメな表情のままで。「最後のバンカー」とか称されるが、その実績はともかく、いまは郵便局の大ボスなんだから、愛想は必要だよね。08年用年賀状は2億枚も増やし、その07年はかなり売れ残ったわけだし。そうした現状打開のための、せっかくの販促イベントなのに。果たして、昨日きょうの、ニュースや新聞には、その振袖姿しか載ってない、それも小さい扱い。一般人相手の商売だと自覚しようね。

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2007年12月 7日 (金)

こーはく色の想い出

修羅場で仕事に没頭しているうちに、何やら年末の話題、しきり。またもや名前の知らない歌手、いや、タレントか、よくわからんが、ひとり二人、三人……。読み方もわかんねーぞ。ま、いいや、どうせ真剣に見ることはないのだから。
とはいえ、懐かしいね、寺尾聡、米米。後者は別にファンでもなんでもないけれど、バブルっぽいステージが印象に残っている。「ルビーの指輪」は、帰国した年、このメロディばかりが街に溢れていて。いちお「サベージ」の世代だし。
えっ!? あみん……。これは、まずい。って、先日、BGM代わりのテレビから、復活なのか再結成なのか知らないが、この二人の歌が聞こえてきて。たぶんNHKだったかな。で、驚愕したのである。無残なり、あみん、と。
あの、透き通ったような、繊細なハーモニーは、いったい、どぉしたのさっ! って、ぼくは、独り、小さく叫んでいた(夜中だったので)。まったく声が出てないじゃん。ハーモニーなんてシロモノじゃないじゃん、ただ二人で歌っているだけで。
コンサートの録画放映だったみたいで、会場からはかなりの声援と拍手があったが、ホント??? あの歌声を知っている身としては、こんなん、金取れない。そりゃ、いまどきのアイドル歌手よりはマシだろうけれど。だけど、「あみん」を名乗って聴かせるレベルではないぞ。ぼくは、専門家ではないけれど、そう断言する。
岡村は、解散後もずっと活動を続けていて、自ら作曲する歌は好きだし、レコード/CDは、いい。勝手に編集した90分テープ1本、持っている。だけど、もう一人のほうは、たしか引退したんだよね、ふつーのおねーさんに戻ったと思う。だから、当然、それなりに練習しての、再登場だろう。だけど、まともにボイストレーニング、したの?
浅田美代子なら、かまわないよ。「あの人は今」番組なら、仕方ないけどさ。いやしくも、「あみん」だろ。美人キャラでもなし。武器は「歌」そのものだけなのに。ぼくの琥珀色の想い出を壊さないでくれ。
あまりのヒドさに、ぼくは、実は、ブログで書こうかと思ったのだが、おそらく「デビュー何周年、とかの、何かのメモリアルで、一夜だけの再結成」みたいなものだと、そのとき受けとめて、やめた、いちいち噛み付くことでもないか~。プロのレベルを要求しても、詮無し、と。
それが「紅白」かい。ひでぇ話だ。
ま、「ハニカミ王子」が流行語大賞だもんなあ~。すげぇ世の中になったもんだ。ただ、しかし。これらを選んだという事実が、「いま」という時代の空気を反映しているのかもしれない。

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2007年12月 4日 (火)

赤い服

知り合いのブロクで、って最近、こゆ出だしが多いよーな……、ともかくも、年齢の話になって。で、思った。あらま、還暦まで、あとわずか4年。
当方、いま現在55歳。今年1月の誕生日に、あぁ、四捨五入したら60だなあ~と。自分には関係ないと思っていた「還暦」を射程距離に捉えてしまったと実感。一方で、「しかし、まだ5年もある」と。5という数字は、四捨五入すれば「10」ですからね。けっこう、まだまだっていう感じです。
だけど、当該ブログの女将(おかみ)が、自分はあと10年と言うときの感覚とは、微妙に異なるわけで。つまり、実数としての「10」ですからね。こちらは、「まだ5年もある」もしくは「もう5年しかない」の「5」、心の持ち様なわけで。
ほんでもって、そのブロクで、今月が誕生日との書き込みあり。ふと思う、ぼくは来月、ひとつトシをとる。すると、56、つまり、あと4年ですね。そう、四捨五入したら? ってことです。あと1か月です。4年とちょっとです。これは、軽くない。還暦が、確実に、見えてきたわけで。
いやあ~、驚くなあ……。還暦だと。はぁ~。「年間最多コメント大賞」を差し上げたい「翁」は昭和一桁生で10年ほど前に通過されたのですね、どんなお気持ちだったのでしょう(と、コメントを暗に要求、いや明確に、かな)。我が両親のときは……、うぅむ、覚えていない。何も祝わなかった、かも。弁解すれば、30代で還暦は遙か遠き世界。ふぅ~。そりゃ、まぁ、それでも、なお、「まだ4年もあるぞ」と、思えなくもないのではありますが……。やはり、しかし、どうしても、「もう4年しか」と、そんな感じです。
12/1付けのブログで映画「ロッキー」を語ったとき、「還暦のロッキーは」と、あっさり、ノーテンキに書きました。そんときゃ、ぼくに「還暦」は、まだ先の話、というのか、他人事でして。我が身にはなぞらえず。それが、わずかな時間で、事態は急変。あっという間の当事者意識。感覚というのか認識、認知……、なんにしても、「赤い服を着る」己の姿、そこはかとなく……。
などと書いている当方、はい、修羅場ど真ん中です。こんなことしている場合ではありません、絶対に。これ、現実逃避と申します。気にすべきは、4年先の現実よりも、目の前の現実。正しい、まさに正論。正しいことには、しかし、色気がない。人間、リアルに生きてりゃイイってもんぢゃない。色気? それはですねぃ……。いや、よそう。いくらなんでも、これ以上の脱線は命取りである。赤服(あかふく)の二の舞は御免だ……。

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2007年12月 1日 (土)

師走ですね

忙中閑もなし、ですが、季節の節目に。本日は「映画の日」、てなわけで。

「パッチギ!」の第2弾は、ちょっぴり期待外れ。「1」で見せてくれた「在日」の強烈な側面が、今回はワンパターン化されているようで、つまりわかりやすすぎて、心に響くカンドー度、やや減少。それに、沢尻エリカが出ていないのも残念。(大人の?)事情は知りません。おそらく、出来としては合格点だとは思う。けれど、「1」があまりに凄かったので、その程度では不満なのである。もっとスゴイものを突きつけられたかった。まったくもって勝手な要求だが。
げに、続編は難しい。ほとんどの場合、第1作が最高に面白い。次第にエキサイティングではなくなる。5くらいになると、ほぼ駄作と化している。「とらさん」のような大河シリーズは別格としても(後継「つりばか」は途中でヒロインが交代しているので「Ver1」と「2」で分けるべきかと。ま、浅田美代子も悪くはないが、ことさら石田えりのファンだとの理由が強いんだけどね~さておき)、1が大ヒットしてのパート2は当然、かなりハードルが高くなる。通常が70点なら80点、あるときは90点以上を求められる。そんなハイグレードの作品は、そうそうお目にかかれない。
ぼくとしては「パッチギ」の「1」は100点満点だったので、「2」にも最低100点を期待してしまったのだろう。それは、いかに井筒監督でも不可能に近い。たとえば「1」が75点くらいなら「2」が85点でも相当の満足度なのだが、そんなケースだと期待度も低いから、カンドーのレベルは高くないわけで。なんか、論理矛盾でもあって。
たしかに、「ダイハード」の最新作は、堪能できた。1に匹敵する面白さだ。言い換えると、2と3は1を超えられず。12年を経て、やっとオリジナルと肩を並べられるレベルに。ただ、それにしても、あの1の衝撃には及ばない。レンタルビデオでだったが、初めて、エンドマークのあと即、巻き戻しして、観直した。「4.0」には、そこまでコーフンしなかった。4への評価には、齢を重ねた主人公のすさまじいアクションシーンへの「おつかれさん」が加味されている。
「ロッキー」の、6作目にして「ファイナル」は、その点で最高度のカンドーを与えてくれた。出来は、大したことない、正直な話。30年の歳月を感じさせない、つまり、何も進歩していない、よーするに、1の焼き直し。しかし、だからこそ、良かった。もともと、単純なサクセスストーリーで、ゆえに、1976年当時のアメリカの(ベトナム戦争敗退などの)疲れた時代背景に、見事にマッチした。いまの世界もシンドイ状態だ。癒しが必要で、過去に浸りたくなるメンタリティを、還暦のロッキーは、あの名テーマ曲とともに、実にうまくすくった。そう、これは「三丁目の夕日」なのである。まあ、主人公の南部訛りがまったく聴き取れず苦闘した思い出(ロサンゼルスで鑑賞)や、第1作は結婚前・最新作は女房亡き後という符合など、個人的事情もあるが。
イヤな予感は「ランボー」の最新作、いま撮影中らしいけれど。これも1は、別な意味での「ポスト・ベトナム戦争」を描いて秀逸だったのだが。2以下は、やや「乱暴」な展開で、またまたチョー・ヒーローなのか、と。ま、当方もトシをとり、ただの活劇にはついていけなくなった。そのうえ、「大どんでん返し」や「見たこともない映像」にも慣れてしまった。
それでも、ぼくは、今宵もまた映画を観る。新たなカンドーを求めて。畢竟、人生は「ドラマ」。素晴らしき疑似体験が欲しい。ゼータクかなあ~。でも、ブランドもののバッグは、ぼくの人生に、ほとんど何の影響も及ぼさないが、「ドラマ」は、ぼくの人生を変えてしまう力をもつ。そんなゼータクが、ぼくは好きだ。

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