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2007年11月

2007年11月18日 (日)

都心のバス

翁の「ご隠居」発言に触発されて。
先日、取材で、久しぶりに浅草界隈へ。電車で行けたのだが、時間に余裕があったので、程よいところでJRからバスに乗り替えた。単なる気紛れ。忙しいときは電車を利用する。昨今は「オンタイム」でもないことが珍しくないが、それでも、バスは、ちょっとリスキーだからね。
都バスって、数年前から感じているが、だいぶ進化しているね。乗り降りは、可能な限り、グラントレベル、つまり段差が小さい。優先席も全体の半分近くある。手すりというのか、バーの数も増えた。降りることを知らせるブザー、これも、昔に比べたら、たくさん備え付けられている。満員時に手の届く範囲にブザーが無くて慌てた記憶があるけれど、もうそんな心配は要らない。降車ドアも、すぐには閉まらない。完全に停車してから立て、と、繰り返しアナウンスする以上、降りる客がまだいないか、きちんと見守るようになっている。
乗客のメインが高齢者になっているんだね。そのための配慮だ。実際、乗ったバスも老人ばかり。一般席にも、ぼくより明らかに年上の客が座っている。事実上、全席がシルバーシート。当方も、さほど若くはないし、できれば座りたいとは思うが、でも、つい遠慮してしまう雰囲気。いや、文句を言いたいのではなく。若い人がほとんど乗っていないから、当然、乗客の「平均年齢」が高いわけで、ぼくなんか「若造」になってしまう。
たまに見かける若い人は、子連れ。幼子を抱える女性。とあるバスストップで、ベビーカーの母親あり。さすがに、乗車口は狭く、広めの降車ドアから乗ってきた。臨機応変な対応は、運転手の指示。ほぉ~と感心。そんな態度は、ぼくが都心に住んでいたころ、だから、四半世紀前か、そのころは、ついぞ見られなかった。
変わったなあ。都バスにかぎっては、いまや、まさに「下駄代わり」の存在。電車は高架だし、地下鉄は潜りすぎで、もちろんエスカレータやエレベータが完備しているとはいえ、当方がときおり利用の「広尾」など一部に未だ長~い階段の駅もあり、バスの利便性は高い。200円均一だし。スイカも使えるようになったし。
路線や運行情報も、インターネットで把握できるようになった。ま、現実には網の目のように走っているから、なかなか全体像は掴みにくいけれど。でも、ホント、便利だなという実感は、以前に比べ強い。そう、つまり、ぼくも「シルバー世代」に差し掛かっているわけで。こりゃ、トシをとったら都内に住むほうが、ラクかも。

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2007年11月15日 (木)

そんなわけで

開設1年目に若干のリニューアルをしたとき、1か月は毎日、更新を続けようと、心密かに決めていました。で、クリアしたので、あとは、のんびりと。って、なんか、去年も同じこと言ったような……。ま、このあとは、当方、「年末進行」に突入しますんで。
何のことかっていうと、12月中までに12月分と来年1月分との2回の修羅場がやってくるんですわ。1月号は新年号で、年明け早々に出すわけですが、実際には年内に納品されることになっています。ですんで、あと1か月半足らずの間、ちと多忙を極めると。ま、そゆことで。
これから「新年挨拶文」を各企業トップにお願いするのですが、相手さんも大変ですよね、11月末から12月のアタマにかけて「おめでとう」と書くわけですからね。年内に収録される、テレビの新春特番みたいなものですけど。
そんな仕事の進め方をしていると、12月のうちに新年気分になってしまって。てゆか、季節感が狂ってしまうのです。仕事納めの12月28日あたり、ぼくの心中では、もう正月は終わっています。これが、ざっと25年くらい、わずかな例外を除いて、ずっとです。
2、3日前に、顔を合わせる機会の多い、月に1回くらいのペースかな、ある企業の広報担当者と、取材で会いまして、で、別れ際、ふと思ったのです。あぁ、この人とは今年これが最後だと。だからって、まさか「よいお年を」とは口にできず、「来年もよろしく」とすら言えないままに。別に、相手が気にしているはずもなく、どぉってことないんですが。
そんなわけで、ブログの更新、大幅にペースダウンしますので、よしなに。って、毎日のぞいていただける読み手は数人ではありますけれどね。

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2007年11月14日 (水)

アイボーよ

そろそろ、相方からのクレームが聞こえてきそうである。「エラソーなこと書いてるけど、わたしの話は全然聴かないじゃん。日本語がおかしいとか、論理的じゃないとか言って、すぐ文句をつける。理解しようという気持ちがないじゃないのっ」とね。うん、そうなんだよねぃ~、そこらへんが、難しいんだよなあ~。
そこらへん? つまり、男女間の意思疎通ってやつ。「恋」を自覚した中学生あたりを起点にすれば、もう40年以上も、このことで悩んでいる。「悩み」はオーバーか。ま、考えさせられている、というか、迷い道を歩き続けているわけだ。おんなじことか。
どれだけ経験を積んでも情報を蓄積しても、かなりの高みに達したなと思っても、次の瞬間、期待した「安寧」はスーッと遠くに離れていってしまう。げに、愛は青天井だ。畢竟、悟りなんか、無理なのかもしれないけれど、そろそろ、落ち着きというものを知りたい。あぁ、トシだよね。
ぼくの思想的バックグランドは、ただひとつ、恋愛至上主義。この世に、恋愛ほど崇高でエキサイティングなものはない。そう思って生きてきた。金も出世も、持ち家も宝石も、仕事すらも、そのための手段に過ぎず、恋さえあれば愛さえあれば、いい。ひとりの女のために生き、死にたい。その女に最期を看取られたい。
ところが、どっこい、世の中、そうそうは甘くない。ぼくの恋の遍歴は、すでに書いたから、他にもたくさんあるけれど、もう触れない。そんなことしたら、相方に背中から刺されそうだ。いや、まあ、彼女に殺されるのなら本望だが、最悪なのは、ぼくの前から消えてしまうことだ。そう、ぼくは、彼女なしには生きていけない。
「そのわりには、わたしをイヂめて喜んでない?」「そんな、めっそうもない」「だけど、言葉遣いが変だとか」「だって、それは、事実なので……」「ほらっ、すぐそうやって」「ごめんなさい」「って謝るくらいなら、最初から」「でも、それが、ぼくの業なので」「またぁ、そういうこと言う」「それほど、きみを愛しているということで」「それって全然、ロジカルじゃないじゃない?」「そうかなあ~、理解できないのは、きみの知的レベルがぼくに比べて……」。以下自粛。
だけどね、こうした「掛け合い」が大好きなんだ。たくさんの触手を伸ばし、相手を刺激し、眠ったままの「何か」を引き出す。そうすることによって、今度は、ぼくが刺激され、自分では気づかなかった「何か」に目覚める。そうして、一つひとつ階段を上っていく。つまり、アウフヘーベン。そこはかとなく、弁証法的恋愛? うぅむ、落ち着きたいといいつつ、相変わらず「格闘」している小生。論理矛盾かも。
夫婦と呼ぼうが、ただのカップルでも、なんにしても、女と男との間には、「深くて暗い河がある」のであって、だけど、だからこそ、それを、すべては埋められなくても、なんとかして埋めようとする感情が、人生最大の喜びであり、苦悩である。それは、決して、「努力」と表現するようなカッコイイものではなく、もちろん「修行」でも「修業」でもなく、楽しい「遊び」だと、ぼくは思う。
ときおり「遊び」が過ぎて、で、相方からキツイお叱りを受けるのだが。根がマジメな彼女は、なかなか「洗脳」されず。でも、最近、やっと、ようやく、「堕落したみたい」と吐露するていどには、止揚しているかも。「堕落」を毛嫌いしちゃいかんよ、アイボー、坂口安吾が言っているじゃないか、堕落こそが、コトの本質を見抜くために絶対不可欠だと。

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2007年11月13日 (火)

インタビューされる側

そんなこんなで、ぼくがインタビューするときのスタンスをくどくどと書いたのは、「される側」の経験に基づく感想のためでもある。
一言で結論すれば、きちんと話を聴かない記者が少なくない。多くの場合、「聴きたいこと、言わせたい言葉」を確認したら、取材はおしまいだと思っているようだ。つまり、会う前から「ネタ」が決まっている。それでは、公平な報道はできないし、深い取材も難しい。ひいては、ミスリードにもつながる。「必ずしも間違いではない」が「正しくもない」と。
もちろん、下調べや他の取材で得た情報を確認することは必要だが、相手の時間を割かせるからには、あるていどは内容を消化してほしい、と、「される側」のぼくは思う。「する側」のときも、可能な限り、そうしてきたつもりだ。ぼんやりとした「仮説」は当然、組み立てた上で話を聴くのだが、ABCまではその仮説がOKだったけどDでは違っていた、というとき、仮説の再検証は必要だろうし、少なくともDという少数意見もあると認識すべきだ。
ところが、新聞とくに日刊紙は、翌日とか翌々日の紙面に掲載するために動いていることが多いので、そこまでじっくり考えない。とりあえずCまでの話で記事にしてしまう。ぼくの話は、紙面では簡単に「Dとの声もある」で済ませてしまう。それでは、こちらが1時間以上、懸命に説明したことが報われない。当事者としては「Dこそ正しい」と信じているのだから。
雑誌などは、もう少し丁寧に取材してくれる。でも、一般に「A~C」と思い込んでいる記者に、実はDなんだよと考え直させるのは、なかなかに大変な作業だ。こちらも勉強して、そのA~Cのどこがおかしいのか間違っているのか、きちんと理屈をつける。そのうえでDを示す。すると、取材者の理解も深まり、同意を得られる。だが、そのためには2時間、必要になる。それがわかってきてからは、取材申し込み時に「30分でもいいですから」と言われると「いや、2時間で」と逆に注文をつけるようになった。
それでも、そのDという結論部分を、どの時点で明らかにするか、これもポイントだと思うようになった。Aはダメ、Bはおかしい、Cは思い込み、などと進めると、どうも、「こいつは世の中のすべてを否定したがるヤツ」とみなされるようだ。逆に、冒頭でDだと言い切ると、記者は初めて耳にする「事実」なので受け入れられず、結局は届かないみたいだ。だから、「何故ならばAはここがおかしい」と丁寧に説明しても、そのロジックが理解できない。
もちろん、誤解を恐れずに言えば、最終的には取材する側の知的レベルの問題になってしまうのだが。
あとは、インタビュアーの立場というか、環境みたいなものも左右する。ぼくが関わっていたのは「独立」だとか「開業」だとかのジャンルなのだが、「会社員」の記者にはいまひとつ受けが悪かった。しかし、フリーランスの取材者からは、土俵が同じであることに気づいてもらうと賛同が得られた。一方、ぼくらの活動はいささか社会的な側面を持っていたので、シンクタンクや大学の先生たちからも「ヒヤリング」を受けた。かれらは、おおむね、「調査をまとめる」ことに主眼があって、こちらの話を消化しようとはしなかったようだ。事実、かれらは組織の一員でしかない。
脱線だが、そのなかで、唯一といってもいい、真摯に受けとめてもらえたのが、このブログにときおりコメントをくれる「翁」である。当時は「教授」の肩書きだったかな、象牙の塔に毒されておらず、共有できる何かがあると感じた。このさきは、なにやら、おべんちゃらになってしまうのだが、個人的に話を進めると、翁は、こっちの考えていることの先輩だった。以来、ぼくは、翁を「師」と仰いでいる。ご迷惑、ご容赦。
でもって、官公庁の類も、たいてい失望させられた。まったく理解できないのはまだしも、知的水準の高い相手だと「Dのことはわかっている、が、役所としてはCでいきたい」と、つまり最初に結論ありきで、アリバイ的に済ませてしまうのである。これが最も罪深い。参議院にも呼ばれた。委員会で「参考人」にもなった。中央官庁の「研究会」のメンバーにも加わった。大臣との面談も実現した。でも、ま、つまりは、それで終わった。
自分の考えを話す、聴いてもらう、理解してもらう。そして、記事にしてもらう、意見として取り上げてもらう。そういうことの難しさを味わった数年間だった。
ただ、取材する側の身に戻れば、貴重な経験をさせてもらえた。

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2007年11月12日 (月)

インタビューする側

ところで、ぼくは数年前、インタビューされる側になったことがある。とある団体の代表を5年間ほど務めていたので、その趣旨に関わるテーマで、新聞をはじめ雑誌、テレビなどから「話を聞かせてくれ」と。トータルで三桁弱だったか、ほぼ2年くらいの間に集中したので、ある週などは毎日のように。1日2件もあった。面白い経験だった。だって、「する側」から「される側」だもの。それに、「する側」も続けていたし。
ぼくの「インタビュー」についての「美学」、うむ、またオーバーな表現してるなあ~、前日ラストの「醍醐味」、それを感じるための要素みたいなものは、とにかく、相手の話を聴く。当たり前だけどね。言い換えると、喋らせる。それも当然かな。でもね、人って、なかなか話をしないものなのだ。ホントだよ。話題の女優の「別に……」は極端だけど、それに近い反応は、一般人の場合、珍しくない。こちらがペンとノート(最近ではテレコ)を手にしていると、やはり身構えるんだよね。何も企業秘密をバラせと迫っているわけでも、大スクープを狙っているわけでなし。それでも、企業人だと、下手なこと口走ったら、立場上マズイのではないかと思ってしまうみたいで。
だからまず、そうしたバリケードを取り除く必要があるわけなんだが、いったん「普段着」になってくれると、よほどの人でなければ、口は滑らかになる。こちらの訊きたいことにも素直に答えてくれる。30分くらい過ぎて、その場の雰囲気に馴染んでくると、ちょっぴり秘密のことも口にする。もちんろ他愛の無いレベルだ。「会社には言ってませんが、実は第2志望の就職希望先でしてね」なんて、罪の無いことだが、そうした「告白」が登場すると、インタビューとしては成功である。
なかには、ストッパーが完全に外れて、とめどなく喋り続ける人もいる。その場合は逆に、要点だけに絞ってもらうよう誘導しなければいけない。勝手な言い方だが、いくら話が面白くても、本筋に無関係だと、ただ時間だけを消費していくだけだ。まあ、状況が許せば、2時間でも3時間でもつきあうし、それもまた楽しいけれど。そんなチャンスはなかなか。たいていは時間制限がある。
これは、しかし、インタビューの「手法」というよりは、ぼくの好みの問題でもあるかもしれない。編集者としても多数の取材に同行したが、そうだなあ~、半数以上は「脱線」しない。多少の膨らみはあっても、本線に戻し、聴きたいことを聴こうとする人が多数派。もちろん限られた時間、それが正しいのではある。ぼくだって、30分しかないという条件なら、最小限の「前説」だけにするし、大切な質問を次々に繰り出す。ただ、そういうインタビューは、できることなら、あまりしたくない。
なるべく、その相手のバックグランドも知りたいのだ。性格というかクセというか、そういう情報も手に入れておきたいのだ。でないと、その人の「イエス」や「まあ、ね」は、どれほどの「肯定」なのかどうか、確信が持てない。日本人は、とかく曖昧な言い方を好む。「そーゆーことは、あんまり、ないですね」は、多くの場合、全否定である。この「あんまり」は、いまふうの「みたいなぁ~」と変わりないのだ。
こうしたところにこだわるのは、たぶん、トラウマなのだ。ロサンゼルス時代、初めてトップ記事を任された。日系銀行の活動について、いろいろと取材し、支店長クラスの人にもインタビューした。記者という仕事のスゴイところは、駆け出しのぼくでも、取材は単独。先輩・上司が随行するなんて、ない。だから、ぼくが書いた原稿の責任は、ぼくしかとれない。で、張り切って書いた記事に、当該支店長からクレームがついた。「そんなことは話していない」と。詳細は省くが、ぼくの受け止め方の間違いだった。相手の言葉のニュアンスを汲み取りきれなかったのである。
以来、ぼくは、その1時間に全神経を集中させる。「対決」だと思っている。だけど本当の「闘い」であってはいけない。最終的には「友達との雑談」のようにインタビューに応えてくれることだ。それでも、いくらフレンドリーだからといって安心もできない。本当の友人ではないのだから、ときおり「ウソ」が混じるのである。とくに「昔はこうだった」話には、間違いなく誇張が含まれるといっていい。これはぼくの持論「人は自らの歴史を改竄する」につながるのだが、いまは触れない。とにかく、誤解もあるし、完璧な嘘とは断言できないまでも、実際よりも大袈裟な表現を、人はするものだ。そこには、気をつけなければならない。
おや、冒頭の話はどこへいった? 仕方がない。「明日へ続く」と。

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2007年11月11日 (日)

一期一会

体調の良くないまま修羅場を乗り切った。ホッ。今朝はTBSの「サンデージャポン」を見るため、早起き、という時間じゃないけど。久しぶりの爆睡のあとの朝だったから、ふだんだと、午前中ギリギリまで寝ているかも。布団の中で、先日の取材の「会見」の模様が、30秒ほどかな、流れたのを確認。実際には10分くらいあったと思うので、1割にも満たない。うん、でも、まあ、そんなものだよね。
当方、活字の取材でも、インタビュー時間が30分だろうと1時間だろうと、普通は予定の文字数がだいたい決められているから、凝縮度の問題になるだけで、もし相手と波長が合って2時間以上に及ぶロングインタビューになったとしても、原稿枚数は増えない。逆に、そこそこの分量を書かないといけないのに、多忙なトップゆえ45分が限界、とかなっちゃうと、前置きも省いて、いきなり本題へ。それって、しかし、初対面では、つらい。
大袈裟な言葉を持ち出せば、「一期一会」。二度と会うことのない人に、1時間だけ、内容的には突っ込んだ話を聴くケースが多いのだ。その一回ポッキリの「親しく語る」状態に、「それでは質問です、その1……」とは、なかなかいかないものだ。てゆか、それでいいなら、直接顔を合わせる必要はない。質問状を送り付ければ済む。だけど、インタビューの楽しいところは、「前説」があり、「幕間」があり、ときには「脱線」があることだと、ぼくは思う。
「前説」は、テレビ収録などのそれと同じ意味。相手の緊張を解いてもらうために、天候の話やら、相手企業に直接関係ない範囲での景気動向やらマクロ経済のことやら、なんやかや。笑いなんかが入ると、いいね。ほとんど「つかみ」と同義語かな。
当方の場合、相手はマジメなビジネスマンで、マジメな話を聴くことが多かった。トップや幹部クラスだと取材慣れしているので、それほど「緊張緩和」策は要らない。でも、研究職の人とか、商いの現場のオヤジさん、滅多に表に出ない女性(死語だが「キャリアウーマン」ね)たちは、初対面のインタビュアーに何かを尋ねられると、身構えるものだ。営業職ではない、管理部門の女性なんか、その最たるもの。
だから、肩の力を抜いてあげることが肝要。でないと、1時間のうち、実際に言葉を口にしているのは半分以下、どうやっても所定の文字数に届かない、なんてことになってしまう。それなりに答えてもらったとしても、一般に人の話は、時制も文法もメチャクチャだから、それをロジックに置き換えると、1分の喋りが一言で終わってしまったり。
話に花が咲くと、こっちも楽しいけれど、インタビューされている側にも、もしかしたら、いささかの満足感みたいなもの、あるかなあ~と。貴重な仕事の時間、ときには大切なプライベートの時間を割いてもらって、「無駄だった」とか「つまらなかった」とか、ネガティブな印象しか残らないとしたら、原稿を書く意味ではOKでも、取材者としてのぼくの気持ちが治まらない。勝手な理屈かもしれないけどね。
その相手とは、おそらく、もう会うことはない。どれほど充実した時間を共有できたとしても、通常、その一瞬だけだ。これまで、いくつのインタビューをこなしてきたか、わからないけれど、99%は、覚えていない。だけど、100人に1人、またはそれ以下かもしれないが、記憶に残るケースがある。それが、インタビューの醍醐味である。

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2007年11月10日 (土)

ギャンブラーじゃないよ

昨日書いた「ラスベガス」の話。なんか、あれだけでは、いかにも「博打好き」みたいに受け取られるかも、と危惧。いささか追補。
ロサンゼルスで仕事をしていた時期の後半は所帯を持っていた。その1年半の間に、たぶん、少なくとも10回は訪れたと思う。それ以前にも何回か行ったが、学生時代は軍資金なく、あの雰囲気をとにかく楽しんだり、「サーカスサーカス」でサーカスを見たり、グランドキャニオンへの旅の途中に立ち寄っただけだったり、働き始めてからも、「ピンクレディ」の公演が主目的だったり、友人の結婚式の立会いだったり。5セント、10セント、25セントの単位で遊ぶのが精一杯。
ダブルインカムになって、そのころ仕事にも余裕ができて、同様に「週休2日制」にも慣れて。だって70年代後半、日本では大手の一部だけだったんじゃないかなあ~土日ともに休み、何をしようかと心ウキウキ、とは現実にはいかず、仕事を覚えるのに懸命で、とてもノンビリ遊んでいられなかった。なにせ週刊紙だからね、5日間では足りないのだ、結局、どちらか1日は原稿を書く羽目になった。
2年目からはバタバタしなくなった、できる男の小生(^^;) でも、仕事が楽しくて。それに、恋愛も。3年目あたりからは職責が重くなり、果たして2日とも完全オフはままならず。だけど、結婚後も共働きだったから、1日くらいはゆっくりしたい。まだ20代だったから、日がな寝てるだけなんてことはなかったけれど、たまには、なんか、パーッと騒ぎたくて、で、月1くらいのペースで、ラスベガスへ。
金曜日の夜、いつもよりは早めの7時ごろ、オフィスを出て、女房と待ち合わせ、外で晩飯しつつ、「この週末、どうしようか」と。彼女は「エグゼクティブ」の肩書きが付くセクレタリー、9to5なんてことは断じてなく平日はフル稼働、ときおり土日にも業務命令が下りる。「急ぎの用はない」と確認のあと、「じゃ、行きますか~」となるわけだ。
夜の9時に出発、ひたすら高速道路(フリーウェイ)を走らせ、途中1回給油(うろ覚えだが20ドル札で足りたと思う)、午前3時ごろ、不夜城に到着、客の姿はさすがに少ない。主にスロットマシーン、ルーレットで、3~4時間、勝っても負けても手持ちの100ドルを使い切れば、いちお終了(結果は、おおむねトントン、トータルではマイナスだろう、最大勝利額1500ドル=「777」を出したので記憶明瞭)、カジノの外に出ると、朝だ。たいていはデニーズで、コンチネンタルブレックファーストを食べる(せいぜい4~5ドル/e)。そして、帰途につく。眠気の具合で運転交代しつつ、1回給油(同上)して、夕刻前に帰還。カーテン閉めて爆睡。夜に目覚め、食事して、「サテダーナイトライプ」にチャンネルを合わせる。翌日曜は、ま、仕事だね。
「ブラックジャック」などのゲームは英語力に不安ありで避けた。スロットはまさに機械だから問題ない。ルーレットは、ディーラーとの無言の駆け引きがエキサイティンクで、ハマった。必勝法などわからないが(知っていたら、いまごろ六本木ヒルズに住んでいるよ)、ほんのわずかなクセを掴めば、1/36の確率が1/12くらいにハネ上がる。もっとも、その瞬間にディーラーが交代すると、徒労に終わる。何時間か待って同じ人物が台につくまで「KENO」(キノ=数字当て)で時間調整、と、これは1泊するときの長期戦の手法。短期決戦では諦めが肝心、1ドル・スロットへと移り、20ドルずつ3回まで挑戦する。ダメなら、25セント程度で、チマチマと。それでもツキがなければ10セントへ。
をいをい、まさしく「ギャンブラー」じゃんか~? いや、そんなことはないと……だって、日本に帰り、パチンコ、競馬などに年々興味を失っていき、いまは宝くじをときどき買うだけ。ギャンブルは卒業した。えっ? 人生そのものが博打になった? あぁ、かもねぃ……。

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2007年11月 9日 (金)

温泉に行きたい

知り合いのブログを見ていて、羨ましくなった。あぁ、知り合いといっても、オンライン上だけでリアルにはお会いしたことがない。ハナから話は逸れるが、ネット時代ならではの「交流」、ぼくは好きだ。世の中には「大切なのはface to faceだ」と主張する人もいて、それは必ずしも間違いではないけれど、そう声高に語るオッサンたち、たいていは、仮想空間で知己を得ることの楽しみを知らない。残念だね。
それでね、その知人のことだけど、地方に住んでいらっしゃる。って、千葉在住のぼくがエラソーに(^^;) でも、会津地方なんだもん。猪苗代湖の、会津若松。そう、ぼくが相方と今春、温泉旅行を楽しんだ場所、そのすぐ近く。つまり、周囲に温泉がいっぱいなのだ。いいなあ~。立ち寄り湯で、日帰りで、天然温泉を堪能できるのだ。そんな、素晴らしき日々を送っている。そうした報告が、ブログに載る。読むたびに、ため息。いいなあ~。
一般に、現役だと、年に数回しか、旅には出られまい。費用そのものは極めてリーズナブルだとしても、やはり毎週とは、いくまい。月に一度くらいなら、なんとか達成可能かも。でも、そうなると、余暇はほとんどそれのみという状態。それは、かなりのマニアだよね。温泉大好きサイトをいくつか巡回しているが、子どもが巣立ったあとの40~50代の夫婦、ともに温泉好きという条件下でも、さすがに毎月は行っていないようだ。現実の生活には、いろいろなことがあるもんね。
それが、クルマで1時間以内に名湯そこかしこに、という立地であれば、おそらく毎週でも、そんなに無理はないはず。こちらのスーパー銭湯の感覚だもの。料金も500円程度だし。ぼくが同様の環境だったら、間違いなく月1だなあ。実際、アメリカはロサンゼルスに住んでいたころ、かなり頻繁にラスベガスへクルマを走らせたからね。ちょっと遠くのパチンコ屋へ行く感じ、かな。適度な速度でも5時間は掛かったから、「ちょっと」じゃないけど、「週末の予定は?」「とくなし」「じゃ行くか」。それに、使うのは、せいぜい100ドルか、それくらい。1万円の感覚。ゼータクではない。
温泉が銭湯または健康ランドなどと決定的に違うのは、街中にあるわけじゃないから、いまの時期なら、自動的に「もみじ狩り」に。要するに「自然との出会い」もあるわけで。公園に行ったり、森林浴したり、そんな気分でいいわけだ。
まあ、物事には良いことばかりでなく、その知人宅では、すでに朝晩の暖房が欠かせないらしい。そろそろ昼間からも、という状態、そう、冬が早い、そして長い。ふむ、暖房費が大変そうだ。今年はとくに、灯油が高騰しているしなあ~。

それにしても、温泉に行きたい。この秋の予定は、いろいろと流動的で、ついに決行できず。このあと立春くらいまではバタバタするから無理。春まで待つしかないか。ま、冬も近い。だから、春も近い。と、そういうことで。

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2007年11月 8日 (木)

こんな仕事してます

Photo 去年も、似たような報告してますね。今年は、一部の登場人物は同じで、新鮮味はないのですが、こちらに最近お見えの人は、過去ログを詳細にはチェックされてないでしょうし、ま、年に1回くらい、こんな日もあっていいかな~。
中央の5人が有名人です。解像度を低く押さえていますが、爆笑問題・太田光氏の顔もしくは猫背は判別できますかしらん。女性は政治家、肖像権などにこだわらないでしょうが宣伝するのもナンだなあ。こんとこに来ているヒマ、あるのかなあ~あぁ大臣を辞めちゃったからね。右端の男性は「ゴミひろい」でよく知られています。ど真ん中は作家です。左端で顔を伏せているのは「L」です、これでわかるひとにはわかるでしょ、男前の俳優です。エキセントリックな役柄に惹かれているのですが、素は、とても腰が低く、きちんとした人物のように見受けられました。
左手でマイクを持つリポーター3人は、毎日曜朝の東京は赤坂の「顔」です。これも、わかるひとにはわかるはず。11日にはオンエアされるでしょう。名の知れた芸能リポーター氏はいませんでしたが、明日(9日)の芸能ニュースでは流れるかも。
このイベントには女優さんも参加されていたのですが、囲み取材の時間が取れないとのことで、写っていません。もちろん、仕事では撮影していますが、たぶん肖像権にウルサイのではないかと。それに、当方、ファンというわけでなく。
ちなみに、当日は欠席の女優、ぼくと同じ年齢で、熱愛が報道されたばかり、ぜひ直に見たかったのですけど、残念。

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2007年11月 7日 (水)

ただの弁解

仕事モードなので、アタマが切り替わらない。
ブログのネタは、いくらでも思いつくものの、一言で終わってしまう、というか、考えとして形成するのが億劫になってしまうのだ。たとえば、「明日は立冬」だから「ほぉら、秋なんてすぐ終わっちゃう、日本に四季があるなんて、もはや伝説だ」とまでは思考が進むのだが、そこから先については、「気候」の話にしようか、「思い込みはコワイ」と発展させようか、それとも立冬にまつわる思い出でも語ろうか、まとまらない。
まとめるのが、面倒なわけではない。その気になりゃ、べつに大して難しいことではないのだけれど、そうすると、こんどは「仕事モード」に戻すのが大変になる。なにせ、想像・妄想が大好きなので、いったん脳内プロトコルが、そっちの方面になってしまうと、つまり、自由な発想へと開放させてしまうと、なかなか返ってこられなくなるわけだ。
そうなってしまうと、仕事の原稿を書くときに支障が生じる。目の前の原稿は、極めて客観的、誰が、いつ、どこで、何をしたか、というニュースなので、主観的な、または論説的なものとは対極に位置する。自由に書いていいわけではない。
ざっくばらんな言い方をすれば、仕事の原稿がつまんなくなってしまうのである。ただでさえ、原稿書きは嫌いだ。取材は好きだが、書くのはシンドイ。書かなくていいのなら、こんなに楽しい商売はないのになあ。でも、仕方ない。
ブログは、その点、何でも好きなように書ける。「小沢はスゴイ」でもいいし「アホや」でも構わない。おいらは政治評論家でもないしね。コラムニストでもないから、世間の反応も気にしない。そして、前述のように、政局の話に始まって、天下国家論をぶってもいいし、政治家の人間性に触れてもいいし。
ねっ、仕事モードのままだと、話が全然、深くなっていかないでしょ? ん? ふだんだって、そうそう面白いわけじゃなく、あんまり変わりないぞ……。なんて言われかねないので、撤退。仕事しなくちゃ……。

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2007年11月 6日 (火)

いいかげん

成田空港の近くの工業団地で、ある工場稼動の取材があった。都心からみれば、ちと遠いかな、でも、ウチ起点なら、近くて便利。たまに、こんなラッキーなケースも。先日は、横浜だったから、東京縦断だったもんなあ。
それはともかく。空港そのものに用はない。が、取材先企業が用意した、空港から当該工場までのシャトルバスは空港で待つというから、それに沿うわけで。ご存じのように、かな、成田空港は現在も「特別警戒中」、そう、身分を証明するものを提示しなければならないのだ。
一昨日も書いたばかりだが、ぼくは運転免許証を持っていないから、こういうとき、メンドーである。まあ、実際には、クレジットカードでOKではあったけれど、つまり、そんなには「厳戒態勢」ではないわけだが、かったるい。免許証だって、チラッと見せてるだけだからね、みなさん。空港のフェンスで見張りしているらしい警察官だって、バスから見たら、隣の同僚とニコニコと談笑していたし。何を警戒しているのか……。
これが、往きと帰りの2度だから、ホント、面倒なことよのぉ。

ところで、この企業、ふだんは広報担当とつきあっていて、なかなかにフレンドリー、でもきちんとした対応で、気持ちいい(と、まずは褒めておかんと。なぜって、文句をつけるんでね)。だが、このバスの乗り場については、首をかしげた。
成田空港の1階でバスを利用した人はわかるだろうが、行き先によって細かく分かれているので、大きな空港建物の端から端まで、たくさんの乗り場がある。歩けば、けっこうな距離だ。にもかかわらず、参加のわれわれには「1階で」としか案内してくれず。この工場のためにだけの臨時バスだから、どこにバスが停まっているのか、見当もつかない。当然、空港の、JR・京成共通の改札口あたりに、案内の係員が配置されているだろうと予測した。みなさん、必ず、そこを通るわけだからね。
が、外れ。誰もいない。仕方ないので、まず1階へと上がり、そして、ウロウロと探しまくり、やっと見つけた。同様の迷い人、1人、2人。稼動における式典があるので、出席の関係者、他にもいるはず。ところが、なんと、このバス、事前に告知の時刻どおりに、出てしまった。ぼくは、バスの前にいた案内役の社員に、わかりにくかった旨、明確に伝えたので、出発を待つだろうと、ほとんど確信していた。予想外のことに唖然。
果たして。工場に着いたあと、広報担当者に尋ねると、そのバスに乗り遅れた者、多数続出とか。式典に遅れるわけにもいかないから、その人たちはタクシーに乗ってきたようだ。その広報氏に、珍しい手落ちだねと。いわく、仕切りは工場とか。なるほど。本社広報なら、こんなヘマはしないか。
ぼくは、べつに、現場がアホだと言いたいわけではない。たぶん、工場の社員にとっては、あのバスの乗り場の位置は、既知のこと、というか、臨時バスは他に停めようがないことを承知しているので、詳細を告げなくてもわかるだろうと、当たり前のように思い込んでいたのかも。
だけど、それにしても、そのバスに乗る人数について、目安をつけていなかったのはミスだ。実際、席は半分も埋まっていなかった。「おかしいな」と思うチャンスはあったのだ。そのうえ、ぼくは「迷っている人は他にもいるぞ」と伝えたのだし。でも、生産現場に従事する、その日だけの係員は、定刻にバスを出すことに躊躇いがなかったのだろう。
大げさな「まとめ」かもしれないけれど、世の中、規則とか指示とかの決められたことを、ただマジメに黙々と遂行すればいいってもんじゃないよね。人のやることなんて、かなりアバウトなんだから、イイカゲンを前提にしなきゃ。

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2007年11月 5日 (月)

犬たち

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前述のように、当方、ただいまド修羅場につき、本日は、「我が犬たち」の画像を楽しんでください。
上の黒い犬が、隣の家の愛犬(毎日、ちゃんと散歩に連れて行ってもらっているので)で、当方、勝手に「ボス」と呼んでいる。日がな一日寝ているが、そう呼び掛けると、けっこう振り返ってくれる、気のいいヤツだ。

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次は「小太郎」。これ、本名。近所の犬で、見るからに柴犬だね。今年の春ごろ、近くのコンビニへ行く道筋、裏道ルートに、新しい家が建ち、そこの飼い犬くん。人懐っこい。きょうも、そのコンビニへ支払いに行くとき、前を通りかかると、勢いよくやってきて、フェンス越しに顔を寄せてきた。こっちのにおいを記憶したのかな。この写真は初夏に撮ったものだが、ふむ、少し成長したよーな。
ちなみに、見えている手は、我が相方さんの。

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2007年11月 4日 (日)

ハンドルの時代

(知る人ぞ知る、この時期は月例の修羅場だから新しいネタを用意する余裕がないうえに)体調が良くないので、昨日の続き。
アメリカで免許を取り、そして最初に買ったクルマは、なんとムスタング。たしか700ドル。もちろん中古、それもかなりの年式だったと思う。が、大して関心のないぼくでも知っている憧れのエンブレム。帰国する友人から譲ってもいいと。早速、親に無心したが、拒絶。学生の分際で。たしかに。でもね、ホント、クルマがないと不便なのよ、あの街は。蛇足ながら後年、LAに観光でやってきた両親、やっと納得、そして、ぼくの運転で随分と穴場を堪能した。もぉ忘れてるだろうけどさ。で、困ったときの祖母頼み。深謝。
ところが、コイツ、めちゃガソリン・イーターで、リッター換算1キロちょっとしか走らない。いかにアメリカでもガソリン代がバカにならず。そのうえ、いろいろなところが次々に壊れる。無収入の身には辛い。1年ほど、騙しだまし乗ったが、ついに。というときに、再び帰国する友人あり。感謝。中古だがトラブルは少ないよ、との言葉を信じ、買った、ムスタングを売った金で、たぶん。今度は4ドアセダン。車種も覚えていないほど平凡な、スタンダードそのものだったが、果たして、よく走ってくれた。燃費もV8にしては悪くなかった。ただ、無保険。事故だけは気をつけた。このクルマでは、ラスベガスはじめ、けっこう遠出もした。でも、残念ながら故障は避けられない。
そうこうしているうちに就職した。仕事ではクルマはなおいっそうの必需品。取材に支障があってはマズイ。幸い、日本の自動車メーカーとも親しくなった。紹介され、ニッサンの、ブルーバード系の新車を少し安めに購入。とはいえ、エアコンだの標準的な装備をつけて7000ドル近くした。日系の銀行とも知り合いになって、ローンが可能で、買えた。蛇足ながら、帰国するとき、第2次オイル危機の「おかげ」で、3年少し乗っていたが、ほぼ元値で売れた。感謝。って、何に? ま、なんにしても世界に冠たる日本の小型車だ。燃費はもちろん優秀、故障もせず。もちろん、ローンだから保険にも、入ったというか入るのが義務で。その結果かな? 2回か3回、軽い接触事故も。
そうそう、一度、面白い体験をした。ぶつけられて、警察で調書を取っていたときのこと。どういうふうに発生したか、説明していたら、担当官が「相手は何か言わなかったか」と訊くのだ、何度も。「いや、大丈夫か? とか、そういうことだけで」「他には何も?」。で、気づいた。「あぁ、I'm sorryと口にしたよ」。すると、警察官、ニヤッと笑って「そかそか、それが聞きたかったのだ」と。あぁ、なるほどね、どちらに過失があるか、大切なポイントが、この言葉なんだ、と、心から納得した。
出張およびプライベート旅行の際にはレンタカーを利用した。仕事のときは、そのほうが補償しやすいとか。私的には、走行距離を増やしたくないとの思いで。いろいろなクルマに乗ったが、空港で事務所に行くと、事前に予約した車種ではなく、文句を言ってもラチあかず、なんて経験は珍しくもなかった。
それから、仕事柄、試乗の機会もあって、正確な車種は覚えてないが、マツダのRX7とか、セリカXXとか、ホンダのアコードとか、スポーツタイプが多かったなあ。このセリカだったかな、いやアコードかな、それとも両方とも? とにかく、1週間も試乗させてもらったことがある。もはや、無料レンタルだよね。ラスベガス旅行などに利用した。クルーザー・コントロールが装備されていて、道中の単調な一本道を走るに、いやはや最適そのものだった。
とにかく、毎日、クルマに乗っていた。2人連れとかのときでもハンドルは渡さなかった。ドライブが大好きだった。そんなぼくだったが、日本に帰ってきて、免許を更新することはしなかった。この国では乗れないと思った。とくに都心での運転など、まったく自信がなかった。後に、ペーパードライバーでもよかったな、と後悔することになる。そう、IDになるんだよね。うかつだった。そんなわけで、ぼくがハンドルを握っていた時代は6年弱で終わった。

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2007年11月 3日 (土)

文化の日に因まず

またもや知り合い(*)のブログにインスパイアされて(うぅむ、この言い方、カッコイイね)、アメリカで運転免許を取ったころを思い出した。(*=ときおりコメントをいただくseig翁の紹介なので、厳密に言えばリアルには未だ知り合いではなく)
日本では免許を持たず。クルマの運転に関心がなかったのだ。都心に住んでいたせいか、まったく必要性を感じず。酒を飲み始めてからは、酔っ払い運転が法的にいけないことだという真っ当な理由ではなく、ただメンドーだから。だって泥酔できないじゃんか~との思いで。若かったしね、つまり何かというと歩いたってことで。当時、70年代初頭、すでに駐車場は金が掛かった。自宅のマンションのパーキング月額料金は小遣いで賄える数字ではなかったと思う(現在は、たしか4万円とか)。クルマの購入も楽ではない。
ところが、ロサンゼルスに渡り、たちまち困った。いまでこそ地下鉄はあるけれど、それにしても公共交通機関は整っていない。ウワサでは、自動車・タイヤ・石油(ガソリン)の各メーカーの陰謀とか。ふむ、都市伝説? でも、かなりの信憑性はあるよーな。日本でもローカルは、以前から「下駄代わり」ではなかったろう(ここ千葉市内でも現在、最寄りのバスは1日数本という悲惨さ)。でも、少なくとも東京、それも23区内での電車・バスは、かなり利便性が高かった。LAにもバスはあった。が、渡米直後、ある会社がストライキに入ってしまい、それが、なんと数か月も続行、という信じられない事態に。ストをやっていないバスで何とか乗り継ぎ、用を足したのだが、いやはや、クルマがなきゃどぉにもならん、と実感。
もっとも、免許は、そんなことになる前に取得した。たしか3ドル50セントだったか、日本に比べりゃゼロに等しい費用で取れるというのだから、見逃す手はないよね。試験はペーパーと実技。常識的な問題が30問あって、8割が合格ライン、6問までは間違えられるので、ほとんど勉強せずトライ。最初は英語力の欠如で失敗。2度目でパスした。日本語でも受けられた。でも、和訳が、なんか明治時代のような感じで、かえって理解できない。日系人が多く住んでいるから、そこに配慮した措置ではあるんだろうが。同様に、スペイン語でもOKだった。
ここで「仮免」となる。隣に正規のライセンスを持っている人が同乗すれば、運転できる。というか、そうやって実技を練習しろ、ということなのだ。友人たちのクルマを利用させてもらい、これがアクセル、ブレーキと、まさに1から学び、走らせた。敷地内、裏道、そして表通りへ。つまり、普通の道です。あはっ、コワイ話ではある。けど、実地訓練といえば、これに勝る練習はない。まあ、道は広いし、車の数も多かったけど、都内のような混雑はないし。
2、3か月して実技試験に臨み、試験場の周囲をざっと走らされ、合格。聞いてはいたが、実に簡単だった。正直、やっと運転できるというレベルだったのだが、あまり慣れてしまうと、クセがついてしまい、逆に不合格のリスクが増すのだとか。だから、日本で免許を持つ友人たち、意外に苦戦した。「なんで5年も運転しているオレが落とされるんだよ~」という声をよく耳にしたものだ。こちとら、基本に忠実、試験官にも「Yes,sir」なんて、おべんちゃら言って。
ちなみに、ドライビングテストは、たしかクルマ持ち込みで、友人のを借りていったような記憶。それがオートマチックだったので、以来、6年近く米国で運転するのだが、ずっとオートマ。シフトは使えないままだった。だからって困ったことは、たぶんなかった。クルマの故障が最大のトラブルだった。最初に購入したのは中古のアメ車だったが、よく壊れたものだ。そして2台目も。ぼくは結局、新車の日本車を購入する。長くなったので、続きはまた(明日かな、いや、わからん)。

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2007年11月 2日 (金)

盗作原作原案

人間を55年もやってると、たいがいのストーリーには驚かない。ま、昨日の野球「完全試合リレー」にはチョイと吃驚したけれど。あぁ、「白い犬の家の人たち」にも、さすがに最初は「おっ!!」と叫んだけどね。しかし、どれほど複雑そうな事件も、多くは「金」、もしくは「色」が理由。昨今は「心の闇」が流行りだが、それとて概念的には当たり前の範疇。個別のディテールには、ときおりゾッとさせられるが。とにかく、映画やドラマの展開に「想像を絶する」ことはなくなった。もちろん、それと楽しめるかどうかとは、また別。
で、いまの(金曜夜から土曜日にまたぐ)この時間帯にテレ朝で放送の「モップ・ガール」、海外ドラマの「トゥルー・コーリング」と、ほぼ同じ設定。まともなら、原作というか原案を借りたんだろ、と考えるところだが、クレジットにはない。となれば、まあ、ふつー、パクリだと思うよね。気になって調べたら、このドラマには原作があって、その小説での設定とは異なる部分があるらしい。その部分が「トゥルー・コーリング」に類似とか。別に糾弾しようと思っているのではないから、それ以上は確認しないけど。
こういうの、つまり海外ドラマや小説と基本設定で「似ている」は、そう珍しいことではない。善悪は、おいてといて。だけど、やはり、本家に「おことわり」を入れるべきだよね。少し前に書いた、岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」が映画「ファイナル・カウントダウン」挿入曲とそっくりというケースは、盗作だと認めてクレジットが入れられたことで、結果オーライ。そのくらいの対応は、してくれないとね。
おいらの好きな仲間由紀恵が1999年、まだかけだしのころ、「君といた未来のために」というドラマに出演した。演技は下手くそだったが、何かしらのオーラを感じて、この女優に注目した。その後の活躍は、言わずもがな。このドラマ、日テレで夜の9時か10時台に放送されていて、主役が堂本剛(KinKi Kids)だから、まあまあの視聴率を取ったろう。主人公が数年前にタイムトリップしてしまい、それが繰り返される、という話。これ、初回を観たとき、ぼくの大好きなSF小説、たぶんベスト3にランクされるだろう、ケン・グリムウッドの「リプレイ」が原作だと思った。が、ラストのクレジット・ロールに、その名はなかった。ついに、最後まで、「原作」とも「原案」とも言及なし。
まあ、たしかに、似たような設定は少なくないし。結局はジャニーズ系のドラマだと思えば、目くじら立てることはないかも。でもなあ……。ストーリー展開だけでなく、そこに込められた趣旨というのかテーマ性も、とても似ていてね。「告発」メールは送らなかったけれど、テレビ画面の前では「んなことやってるから、日本のテレビはダメなんだよぉ~!!」と文句を言い続けた。いや、最終回までちゃんと観たのでね。主演の遠藤久美子もよかったけれど、堂本くんが予想外の演技でね、けっこう楽しめた。それに、仲間由紀恵も気になって。だからこそ、せめて一言、「リプレイ」に触れてもらいたかったなあ。
ノンフィクションだと、「参考文献」を明記する。文字通り、参考にさせてもらったのだから、当然である。ぼくの場合(過去に出版した新書でのこと)、テレビ番組まで列挙したら、担当編集者が「普通はそこまでしませんね~」と言うので、「あとがき」のなかで言及し、礼を述べた。だけど、フィクションとなると、当然だが、「創造」が加わるから、「参考文献」といってもね……。「作品としてはまったく別だ」と主張できるし、事実、それは間違いではないはずだ。何が「オリジナル」か、「パクリ」か、もし法廷で争うことになったら、その証明はなかなかに困難だろう。オリジナリティ。うぅむ、難しいね。

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2007年11月 1日 (木)

ワンワンワン

知り合いのブログで、きょうが、犬の鳴き声「ワン(1)ワン(1)ワン(1)」の語呂合せから「犬の日」だと知った。といっても「妊娠5か月目に入った最初の戌の日に腹帯(岩田帯)を締めて母子の健康を祈願する」戌の日ではなく。ま、犬のお産が軽いことにあやかってのこと、関係なくもなく。
で、気になって調べたら、いやあ~びっくり。毎日毎日「記念日」だらけ。スゴイねぃ~。11月1日は「111」が「川」の字に似ていることから、っていうから「ワンワンワン」と似た発想だね「川の恵みの日」、そして「計量記念日」に「灯台記念日」、「点字記念日」、いまや「旬」だね「自衛隊記念日」、それから「すしの日」、「本格焼酎の日」、「泡盛の日」、なんか連想クイズみたい。
あぁ、相方さん、貴女の好きな「紅茶の日」でもあるんだよ。1791(寛政3)年、暴風雨のためロシアに漂着した大黒屋光太夫が、ロシアの当時の首都ペテルブルク(現在のサンクトペテルブルク)で女帝エカテリーナの茶会に招かれ、日本人としては初めて紅茶を飲んだんだって。1952年、おっぼくの生年だ、大阪に日本初の紅茶専門店「MUSICA」が開店したそうな。いまもあるのかな。東京では、何店か専門店があると聞いた記憶があるが、この国は圧倒的に「コーヒー」文化だもんね。当方、遺伝的カフェイン中毒体質だから、とてもありがたいけれど、紅茶党にはツライかな。相方も、たいていはコーヒーにしてるもんね。
犬の話に戻ろう。ん~だけど、飼い犬のことに触れるのは避けたいので。そうそう、白い犬の話。察しのいい人はわかったかな。「白戸家」のことね、うん、なぜか、お父さんが犬の「ホワイト」。かつては人間だったらしい。そうだろうね、でなかったら、言葉を喋ったり、お母さんが樋口可南子だったり、娘が上戸彩だったり、おかしいもんね。って、おにいちゃんが「予想GUY」なのは、かなり不思議だけど。
おとーさん、ある理由で犬に姿を変えられてしまったそうだ。どんな理由? いや、「今はわからない」とさ。ただ「姿は変わっても家族を愛している」だって。以上、ソフトバンクのサイトから。で、ぼくは、この「おとーさん犬」の画像を、パソコンのデスクトップの背景にしている。相方も以前からのファンだ。テレビで見ているときには気がつかなかったけれど、けっこう可愛い。で、「ねっ、でしょ?」って得意そうな相方。ふぅむ。もちろん、彼女のPCのデスクトップにも鎮座している。
CMでは、おとーさん、「お前に別件などない」と、エラソーに吼えていたりしてる。亭主関白だったのかな。いや、おかーさんには敵わないみたいなシーンがあったよね。子どもに厳しいだけ? もっとも、最近のバージョンでは、若い女性に「可愛い」と言われて満更でもないような素振り見せたり、シッポなんかも振っちゃったりして。ちょっと路線変更かな。いやいや、きっと、もともと若い娘(こ)が好きなんだろうね。
でも、このCM、このあと、どうなるんだろう。要らぬ心配だが、コミカルなのは好きだけど、あんまりやりすぎると、大衆ってやつは、ある日突然、平気でソッポ向くからね。伸びのいいストレートがあってこそのカーブまたはフォークもしくはスライダー。変化球ばかりだと、打たれるぞ。にしても、ダルビッシュもよく投げたが、山井・岩瀬の「完全試合」継投も凄かった。MVPに輝いた中村紀洋も、よかった。一時は「失業状態」で、よくぞ復活した。別にファンではないけれど、長く勤めた「会社」から「独立」したまではカッコよかったけど、新天地で挫折、舞い戻った古巣に見放され、やっとの思いの心機一転、そりゃあカンゲキだよね。落合監督、あんたはスゲェ!! チト揶揄気味に一匹狼と言われもしたが、独立心の強い人間は優れた指揮官でもあるんだよね。
と、話の筋がメチャメチャだったが、トシのせいか、なんだか、とてもカンドーしているのだ。中日ドラゴンズ、祝・日本一。

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