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2007年10月26日 (金)

まっちぽんぷ

「亀」の問題を書く気はないが、だって、これ、野次馬としての好奇心では見られるけれど、それ以上の話ではないと思うのよね。ただのパフォーマンス。それがチョット失敗しちゃったね、というレベルでしょ? ま、ボクシングファン、スポーツ好きの人には看過できないことかもしれないけれど。で、そのどちらでもないぼくとしては、しかし、「マスコミって煽るだけ煽って、一転、よってたかって叩く」ということで批判的に語る向きがあるんだけど、うぅむ、ナンダカナア……と思ってしまう。
結論を先に言えば、所詮、メディアって、そんなもんだろってこと。大手日刊紙やテレビ局などは「第4の権力」なんて言われるけれど、たしかに「力」はある、でも、「権力」としての「品格」など持ち合わせていない、本質的に。ま、政治家という「権力」にも「品格」はないよね、っていう話になると、生々しすぎて……。さておき、もともと「瓦版」、見てきたような嘘を書く、は言いすぎではあるが、たとえ本当のことだとしても、面白おかしく伝えるのが「業」ではないかな。天下国家の大切な論議を、単に楽しさ重視だけで報道されては、そりゃ困っちゃうけど。でも「楽しくなければテレビじゃない」とかなんとかアピールしたテレビ局、たしかあったよね。
最近でも、というほど覚えているかどうか、「ホリエモン」が話題の中心になったときも、みなさん、煽りに煽ったけど、それは、メディアの本能に従っただけだと思う。だって、少しでも真面目に考えたら、あの会社に「実業」と呼べるようなものはほとんどないことがわかる。あそこの見かけのでかさは、虚業というか、つまりは乗っ取りによって生じていることなんて、ことさら経済に詳しくなくても想像がつく。そこがよく見えなくなったしまったのは、メディアが騒いだから。
お祭りって、そういうもの。祭りの人出の多さをまず見せる、そして御輿とその上に乗る何かだけを見せる。誰が支えているのか、何が支えているのか、どうしてなのか、そんなことは、ちっとも伝えない。あえて隠される場合もある。とにかく、見えない。見えなくていいのだ。誰も気にしない。「お祭り騒ぎ」を伝えているのであって、見る側もそれで満足している。楽しけりゃ善である。善悪の判断なんかしない。みんな、騒ぎたいだけなのだ。で、その御輿が転んだりして初めて、隠れていたものが見えてくる。やれ、担ぎ手の数が多すぎた、とか、担ぎ手が軟弱だった、とか、支える力以上の重さがあったからだ、とか、果ては、大勢の見物客で混乱した、とか、そもそも道が狭すぎた、などなど。そう、叩きに叩く。責任追及に大忙しとなる。
でもさ、そういうのって、当たり前じゃないのかな。誰も、祭りの頂点では、道が狭いなんて「警告」は口にしないし、聞きもしない。または、こんなことやってるといつか転ぶぞ、という怖いもの見たさ、つまり、野次馬的好奇心だけ。そうしたニーズに応えて「報道」してるにすぎない。そこに、何の倫理観もありゃしない。メディアの責任なんて言葉、ちゃんちゃらおかしい。ぼくは、そう思う。煽るのも叩くのも、メディアの本能、本質。だから、そこを批判しても無意味。論理矛盾である。
マスコミにとっては、常に、若くして被害者となった奥さんは「近所でも評判」の「美人妻」だし、その近所の人も実はたった1人だけのコメントなのに半径100mの周囲の「過半数の意見」に「ミスリード」してしまうし、午前2時なんて時間帯に誰も歩かないような場所で事件に遭遇した17歳や18歳の未成年者を単純に無前提に「無垢」の「可哀想な」「被害者」扱いするし。メディアなんて、そんなもの。
ほんでもって、おそらく、多くの人は、それを知っている。もちろん、世の中には、新聞やテレビが報じるものはすべて正しいと信じて疑わない純真な人もいるけれど、みんな、もう気づいていると思う、メディアの伝えることは「話半分」だと。だから、メディアが伝えないものにこそ、物事の真実がある。

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