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2007年9月11日 (火)

高みの見物

ワールドトレードセンターには、一度だけ、昇ったことがある。ニューヨークへの取材のおり、目的地は国連ビルだったが、そのあとだったか前だったか、インタビュアーの作家氏が知人を訪ねるというので同行した。そのオフィスが何階だったかは忘れた。40か50階か、相当に高かった。たしか、やや曇っていて、見晴らしの良さは堪能できなかったと記憶する。もっとも、エンパイアステートビルの展望台にも上がったので、摩天楼は実感できた。もちろん、この界隈は、通りから見上げるだけでも、ほとんど空が見えないわけで、日本ではなかなか味わえない体験である。
いまなお思い出すのは、しかしスカイスクレーパー(skyscraper)の素晴らしさではなく、地上を歩く人の姿が判別できないほどの高さで仕事をしていると、どうなんだろうか、という「妄想」。観光客としての驚嘆など一瞬のこと、「すごかったね」で終わるだろうけれど、地上100メートル、200メートルの高みで、たとえば「消費者のニーズは何か」とか考えても、どこか絵空事のような気になりはしまいか。「一人ひとりの痛み」なんて、まるで遠い世界のことのように思ってしまうのでは? なにしろ、さすがに「空をこする」ことはないものの、たなびく雲を眼下に見ることができるのである。どこか「現実感」が希薄になる、そんな可能性を考えたのだ。
高い所は、人間の本能として恐怖を感じるものだろう。へっちゃらさ、と豪語する人も珍しくないけれど、ぼくもかつてはそうだったけれど(トシとともにダメになってきていて、いつだったか東京タワーの大展望台ですら、ビビった)、それは、ホモサピエンスとしての根源的な属性に反しているように思う。なんか、不自然なんだよね。まあ、そんなことを言っても、現代の日本では100メートル級の超高層ビルがぼこぼこと建っているんだから、個人的な感性だけでは、文明批評にもならず、何の意味もないけどね。
でも、最近、テレビの番組で「高所平気症」という言葉を知って、驚いた。「恐怖症」の反対で、高さについての恐怖心が薄い症状を指すのだ。一例として、高層マンションで育った子どもがなりやすいと考えられているとか。つまり、20階30階の家で生活していると、高い所に慣れてしまうらしい。そのため、ぼくらが普通に想像するようには、怖いという感覚がもてないのだと。それだけなら特には問題ないみたいだけど、結果、恐怖心がないため、転落(死)の予防にならなくなるわけだ。そりゃそうだ、高い所は怖いという前提があって初めて、気をつけよう、落ちないようにしようと思うわけで、それが、2階程度の恐怖心なら、そんなには注意を払わなくなる。
いま住んでいるのはマンションの1階なので、平屋と変わらない。子どものころも平屋。以前は、5階が最高だったかな、それほどでもない。だから、「平気症」はピンとこない。実際、学問的に確立しているものでもないだろう。けれど、「怖さを知らない」ということが、比喩ではなく、物理的に存在するとしたら、それこそコワイ。いつかも書いたけれど、最近の小学生あたりが「死ぬのは怖くない」と明言するのにも似て、それは「生まれ変わりを信じている」との理由はあるにしても、この「平気症」も、なにやら、相当に気味の悪い話である。

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