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2007年9月21日 (金)

男と女ってやつは……

どうせ懐かしむなら、秋の夜長(というほど目にはさやかに見えねども)、思いきりセンチになってやろう。切ない経験だけを語ってしまったようだけれど、もちろん楽しいこともたくさんあった。一番の思い出は? 何だろうなあ。うん、あの朝と、あの夜だ。

前にも書いた、大学1年の夏休みの1本の電話から、なにやら「友達以上」になったぼくたちは、その秋、一緒に映画を見に行ったりして「恋人への階段」を一歩ずつ上っていた。70年代初頭だ、3回目のデートで云々なんてマニュアルはない。手探りで進んでいた。あのままなら、そうね……、その年のクリスマスあたりがタイミングだったかも。ところが、「事件」が起きた。
すでに当時、キャンパスの嵐は収まりつつあったけれど時代の気分は騒がしさを残していた。ぼくらも、そうした波に乗っていた。10月の某日、都内のある場所で集会があった。カノジョはその中にいた。そこで、警戒中の機動隊と衝突した。ぼくは別行動だった。まず、流血騒ぎの情報だけが伝わった。大丈夫かなと単なる心配。でも、それ以上はわからない。時間だけが過ぎていく。やがて、カノジョが怪我をしたことを知る。その場に居合わせた友人によれば、大したことはない、その夜は親友の女性のアパートを頼るという。カノジョは自宅通学だったから、そのまま帰宅することはできないのだろう。その女友達に電話を入れる。まだ病院から戻っていない。詳細は不明。真夜中が近づいている。元気な声が聴きたい。だが、ぼくも自宅だったから、ウチに電話をしてもらうわけにもいかず。とりあえず、翌日、大学の近くの公園で会いたいと伝言。携帯電話のない時代、いろいろと不便だった。
翌朝、ぼくは、約束の時間よりずっと早く公園に行った。不安一色。でも、待つしかない。ついに、遠くにカノジョの姿が見えた。頭部に白い包帯。痛々しく。そのとき、ぼくは、まちがいなく、恋に落ちた。
思えば、混乱のなかで、連絡先をぼくに伝えるべく努めたということは、カノジョ自身も、ぼくへの思いを自覚していたわけで。だから、「恋人」関係に達するに、時間は大して要らなかった。

それから1年余、ぼくたちの恋は燃え盛った。前述のとおり、二人とも自宅通学だったので、「おとなのデート」はままならなかった。互いに親の「公認」は受けていたけど、弱冠はたち。繰り返すが、35年前のことだ。自由気ままに「モーニングコーヒー」を飲める環境ではなかった。さまざまな工夫が必要だった。そのひとつが、前述の女友達の存在。この夏、カノジョは片道2時間の郊外に引っ越していた。夜が遅くなる場合、若い娘の安全を考え、故郷を離れて都内の大学に通うこの友人のアパートに泊まることが、ときおり(やがて、しばしば、そして頻繁に)あった。
私鉄沿線の駅から5分程度の道のりに、雰囲気の良い居酒屋を見つけた。寒い時期だったと記憶する、ある晩、いつものように、そこで軽く飲んだ。そのとき、ぼくのサイフも寒かった。恋の燃焼に比例して費用も膨れ上がっていた。もちろん、バイトもしたけれど、追いつかない。ま、若いというのは、そんなもんだ。
会計の段階で、カノジョが、三つ折りにした千円札を、テーブルの下から、そっと差し出した。しつこいかもしれないが1970年代である。ほぼ対等のカップルで女性が支払う様は一般的ではない。カノジョがぼくに比べたら小遣いが潤沢であることを世間は知らない。男の体面を配慮しての行為である。人、それを思い遣りと呼ぶだろう。
ぼくは、「こんな娘(こ)と一生、いたい」と強烈に思った。「また明日」を言いたくなかった。すぐ隣のカノジョに向かって「おやすみ」と言い「おはよう」と言いたかった。一緒に夜を過ごし朝を迎えたいと願った。結婚を明確に意識した瞬間である。
半同棲まで、いくらも時間は掛からなかった。そして、「寝込みを襲われる」のだが、それにしても、カノジョは、先の友達を口実に、どれだけの嘘を親についたか。それは、もちろんカノジョの「恋」の激しさでもあるけれど。振り返れば、ぼくは罪深い「恋人」だった。
まったく男女の仲ってやつは……。

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