« メディアってやつは…… | トップページ | 街は秋の装い »

2007年9月25日 (火)

十五夜でんなあ~

ぼくが「大阪弁フェチ」であることは、いつか書いたと思う。実際、それが大きな理由で女の子を好きになったことがある。だって、ぼくのDNAは関西人なんだもの。そりゃ、1歳半で上京しての世田谷・山の手育ちの自称シティボーイだけど、家庭内では「うっとこ」(うちとこ=自分の家)「~おまへんか」とかの言葉が当たり前のように飛び交い、納豆は21世紀の今日も「食べ物」として認定されていない。すべての男がマザコンとするなら、母親の話す「~そうやねん」に魂の故郷を見出しても当然だよね。
だけど、先日、関西芸能人のトークを聞いていて、ふと思った。ウチの両親の大阪弁は、かなり変質している。いわば、東京ナイズされ、標準語に近づいているのだ。もはや、ベタな「そうでんねん」なんて言わなくなっている。イントネーションこそ依然、元のままではあるが。「ごっつう変質してん」とか「~ち(ゅ)うわけや」なんて口にしない。思えば、当然ではある。すでに東京生活も半世紀を越える。それ以前に比べて2倍もの時間を、故郷から遠く離れて過ごしているのだ。
関西在住の叔母と電話で話す機会があった。正確には大阪市内ではないけれど、あの、ベタベタな「おおきに」「あかん」「ほな、さいなら」が耳に突き刺さる、正統派だ。また、あるとき、叔母とおふくろ、つまり姉妹の会話を傍で聞いたが、やはり、母は半ば「東京人」していた。もっとも、アクの強い妹に影響されてか、ふだんよりは「お国言葉」を多用してはいたけど。
ほんでもって思ったのは、我が相方が、おふくろと話をして、さほど違和感を覚えなかった(「女ってやつは……」参照)のは、この、標準語ナイズされた喋り方の影響もあるんだろうなあ~ということ。35年前は、もっとベタな大阪弁を使っていたはず。だとすれば、非・関西人にとっては、けっこうキツイ印象だったろう。当時は、関西文化への理解もあまりなく、関西芸能人がテレビのキー局で活躍する姿も珍しかった。いまや、立派に市民権を得ている。
おかげで、ぼくは、テレビで関西弁を話す女性にたくさん接することができ、大いに満足している。

|

« メディアってやつは…… | トップページ | 街は秋の装い »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« メディアってやつは…… | トップページ | 街は秋の装い »