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2007年9月 2日 (日)

「ケイちゃん」

8月が去り、さあて~名実ともに秋、とはいかない。あと2週間あまりはまだ暑さが残る。なにも「予測」しているわけでなく。暑さ寒さも日彼岸まで。先人の教えである。9月1日は言うまでもなく防災の日だが、そのことはおいといて。2日は、戦艦ミズーリでの降伏文書調印の日で、62年前のこの日、公式に第二次世界大戦が終結した。8月15日に日本はポツダム宣言受諾を表明し「負けた」わけだが、戦闘というものはそう簡単には停まらない。ソ連の攻撃は続いたし、この半月あまりで戦死者の数がさらに増えたことを思うと、切ない。
あまりに切ないので、話題を大幅チェンジ。9月2日はまた、あのピンク・レディ「ケイちゃん」の誕生日でもある。「ファン」である。カッコつきなのは、かなり偏っているからで。名前の「恵子」は本来「啓子」、この「啓」が我が「hiperk」の「k」。つまり、小生の名前の一字「啓」と同じ、ということ、それが一点。さらに、ケイちゃん、何回か触れた、若き日のカノジョに、たぶん、似ているのである。増田恵子も本日、50の大台に乗ったわけで、ざっと30年も経てば、相当に変貌したと言えるだろうが、似ていると感じたのは、30年前のこと。いまは? さぁ~。なにせ、かの「シンデレラ・エクスプレス」がラストシーンだからなあ……。これ、1977年9月の出来事。振り返れば「終わりの日」となったのだが、さらに1年近く「余波」が続いた。「初デート」から足掛け7年。思えば、壮絶な「闘い」だったような気がする。
「恋」って、べつにぼくが宣言するまでもなく、ある種の「たたかい」だよね。2つの自我が激しくぶつかりあう。その火花一つひとつが、互いの「想い」であり「愛」だと、ぼくは思う。キレイな火花は楽しい思い出。でも、火傷もする。けっこう痛かったりするんだよね、免疫無いし。だけど、何度も衝突するうちに、角は丸くなる。その丸さは、何かを理解しあったという満足感。ひとつふたつと増えていく。やがては、滑らかな石となって、部分的に融合が始まって……と見通していたのだけれど、あまりに激烈だと、石そのものにヒビが入ってしまって。互いの「意思」が壊れてしまう。若さというものは、程度を知らない、未熟さの代名詞でもあるから、ついつい、ぼくは、大切なモノを破壊してしまった。その歴史を語れば、1年分のブログでも足りまい。
恥ずかしきことも多かれど、なかでも、あの朝は……。自宅から大学まで徒歩圏のぼくが、わざわざ遠くの(カノジョの家のほうには近い)街にアパートを借りて、「同棲ごっこ」。ケータイもなければ固定電話ですら設置するのに大金が必要だったあのころ、連絡が疎になり、息子の行状のひどさに業を煮やしたオフクロに踏み込まれた。午前中ではあったが、ぼくら、まだ寝床の中だったし。いやあ~面目ない。もちろん厳しく叱責された、が、しかし、母親というものは、おもしろい。帰り際、3人で買い物に。そして、ぼくらには手の届かない刺身を買ってくれた。あの優しさは、いったい、何だったのだろう。いまさら訊けないよね。でも、いまのうちに……。

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