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2007年8月10日 (金)

知らず知らずのうちに

本日は、お詫び、というか、自分の不明を恥じようかと。「広島」の項で、原爆が終戦を早めたという「論」への疑問を呈したが、どうやら今日(こんにち)では、その話は常識ではなくなっているようだ。そのうえ、書くのをためらった「ソ連の参戦が引導を渡した」との考え方が広まっているらしい。弁解めくが、ぼくが学校時代に習った日本史では、原爆投下により降伏したという因果関係を消極的ながらも示していたし(もちろん、だからって「しかたない」という認識はありえなかったが)、40年前ころ、日ソ不可侵条約(いまは「中立条約」と呼ぶらしい)を一方的に破棄したソ連の「非道ぶり」は指摘されても、それこそが戦争続行の意思に止めを刺したとは、少なくとも教育の場では考えられていなかったのである。貧しいけど良かったねと美化される傾向が強まっている「三丁目の夕日」の昭和30年代、中国残留孤児の問題など表面化していなかった。そもそも日中の国交回復以前だったしね。
今週は、仕事のピークながら、原爆投下にまつわる話に触れるいくつもの機会があった。そして、ぼくの受けた教育がいまや古くさくなっていることに気づかされたのである。やはり時間の経過はスゴイ。「原爆は実験」とか「ソ連参戦はアメリカの陰謀」などは、当時は単なる憶測でしかなかった(はず)、あまり大きな声では話せなかったように記憶する。「秘話」が表に出る一方、「事実」と思われていたものは後退し、たしかに、史実なんてものについては、まだまだ「確定」は難しいようだ。卒業以来すでに、それまでの2倍の時間が流れているのだ。あのころの「非常識」が「常識」となっても、不思議はないね。逆に、「あの武士の姿」が足利尊氏ではないらしいということで明記がなくなったというんだから、いやはや……。
かつて、「いまはまだ」現実を知らない自分がいた。恋に恋したり、ただ夢を見ていたり、「べき論」を好み、理想主義に燃えていた。それが、知らず知らずのうちに、恋も愛も「現実」の前に色褪せ、夢は実現しないから夢だと諭され、「それが現実なのだから仕方ない」に慣らされ、ぼくは成長し、オトナになり、やがて、知らず知らずのうちに、現実そのものに追いつかれ、追い越され、ぼくの見ているはずの現実は旧い現実となり、「いまはもう」現実を知らない自分がいる。これが、老いなのか。
いささか大げさな言い様かも。もうひとりの自分は「なに粋がって~」と呆れているかな。相方にも「いちいち大袈裟なのよ」と冷やかされそう。うん、言うほどには老いてないか。まだアオい?
蛇足だが、ぼくは、87歳まで生きたいと願っている。2039年だ。そう、あの、1963年にダラスで起きたケネディ大統領暗殺に関する、全ての資料についての機密扱いが解除される年。冥土の土産話にしたいのである。長生きできるような環境にはないけどね。
本日のBGM:タイトルのまま(by ダウン・タウン・ブギウギ・バンド/デビュー曲'73=まったく売れず→2004年当時の、宇崎竜童本人による弾き語りが、ここに http://www.netcinema.tv/bbmf/ こんなものが聴けるとは、ホンマにエエ時代やわぁ~)

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