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2007年7月29日 (日)

もうひとつの蛇足

「空前絶後」と書いたが、実は、もう一回、似たような経験がある。このときは、連れ合いの亡父の「守護」を感じた。ふうむ、ぼくって、なかなかにスピリチュアル?

義父は警察官だった。一人娘の結婚相手が新聞記者であることに、猛烈に異を唱えた。業界に明るい人なら承知だろうが、この2つの職業は「犬猿」の関係なのだ。ぼくは、結納の際、初めてかの地に出向き、義父に「敵前逃亡」された。つまり、すっぽかされた。一度も会えないままに式の当日を迎え、初顔合わせ。何を喋ったか忘れた。いや、会話は無かった。ぎこちない挨拶だけ。その後、ときおり顔を合わせても、「ご無沙汰です」「お元気ですか」「帰ります」くらい。言葉を交わすことは少なかった。
娘が誕生して、つまり孫ができて、やっと氷解が始まった。少しずつ、氷は水に変わっていった。人並みに、会話が成立するようになった。まあ、ほとんどは孫/娘絡みのネタにすぎないけれど。しかし、娘が7歳のとき亡くなった。冷たい水が温まりだした矢先のことである。もう少し時間があれば、素直に「お義父さん」と呼べただろう。時候の挨拶以上の何かについて語り合うことができただろう。実際、入院中には、ちょっぴり「交流」らしきものも始まっていた。ま、その入院に「先」がないことを知っていただけに、ぼくの心中は複雑ではあったけれど。
そのころ、仕事でアメリカ東海岸に2度行った。土産は、ブランデーとクロスのボールペン。前者は、お酒が好きだったので、元気になってまた飲めますように、と。とても喜んでくれた。病室にずっと置いてあった。2品とも、ついに使うチャンスは訪れなかったけれど。形見になった。

それから1年あまりして、ぼくは交通事故に遭った。仕事帰りに乗ったタクシーが高速の出口で渋滞に引っかかり、本線上で停車。そこへ11トントラックが突っ込んできたのだ。わき見運転だったようだが、一直線の見通しのよさが、かえって出口渋滞を見過ごす結果になるとかで、事故多発地帯だと、あとで聞いた。当然、ぼくは後部座席。そこへ背後からの、さほどの減速なしでの衝突。
ぼくは実は、眠り込んでいた。その瞬間、激しい振動で床に投げ出され、覚醒した。地震の夢を見た、というのか、一瞬の感覚で、そう知覚しただけのことかもしれない。まさに、呆然自失。タクシーの中だったことに気づき、すぐに、とんでもない事態だと悟った。窓ガラスは横も後ろも粉々。ドアはひしゃげていた。夜だったが、トラックらしき大型車両に真後ろからぶつけられたことは判った。そして、左肘のあたりの痛みを認識。でも血は流れていない。骨折も無さそう。命に別状は無い。
運転手も、ぼくの安否を尋ねる程度に無事だった。細かい会話は忘れたが、とにかく、外に出ようということになった。ドライバー氏は問題なかったが、ぼくの横のドアはどちらも開かない。ガラスの無くなった窓から、這い出た。そのころのぼくも太めだったが、意外に苦労なく。けっこう広いんだなあと妙に感心した。
そして、全容を把握。ぞっとした。タクシーの後部トランク部分は大破。原型の半分くらいの長さに縮小していた。これで、よく助かったものだ。大きな怪我をしていないことに驚いた。運転手は、どうやら打ち身激しく、痛がっている。が、こちらは、とりあえず肘だけ。まあ、そのあと徐々に、首筋あたりに、いわゆるムチウチ症状が出てくるのだが。結果的には、ほぼ無傷と言っていい。現場検証の警察官には「よくぞ無事で」と、半ばあきれるように驚かれた。
このあとの、40歳にして初めて救急車に乗ったりとか、持ち始めていた携帯電話が深夜の連絡に活躍したりとか、さらにはリハビリの模様など事故の顛末も、まあ、いつか書くかもしれないけれど、いまは割愛。
言いたことは「無傷は奇跡的」。その翌日、事情徴収のためハイウエイパトロールのオフィスに出向き、白昼の日のもとで事故車を見たとき、あらためて身震いした。めちゃくちゃに壊れていたのだ。そして、「助かった」よりは「助けられた」と。「何かに護られた」と感じたわけである。それを亡き義父に求めるのは、こじつけかもしれない。ルームミラーで事故を予期した運転手のほうがなまじ身構えたためムチウチ激しく、惰眠のぼくは夢の中、ノーテンキだったから無傷という理屈はつくけれど。だけど、ねっ。

完璧な蛇足・本日は参院選。午後8時を過ぎたら、この話題で書こうと思っていたが、ヤメ。なんか、つまんない。投票には行くが、結果が見えている。ぼくが期待するモノではなさそう。予想外のことがあれば、触れてみよう。

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