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2007年7月 1日 (日)

人生はドラマチック

以前にもここで触れた、学生のころのカノジョとは7年つきあって、フェイドアウト。ん~、「自然消滅」では、いかに30年前の過去のこととはいえキレイ事すぎますね。実際には、いろいろとありまして。修羅場ではなかったけど、ケンカ別れ以上に、劇的なラストだった。当時はまだなかった「シンデレラ・エキスプレス」シーンばりに、とある新幹線の駅での、東京行き最終のドア越しに見た姿。そこでエンドマーク。その際、いささかメンドイ理由のため、カノジョのアリバイをつくる必要があり、親友の女性に助けを請わなければならなかった。デリケートな事情なので、信用できる女性でなければいけなかったのだ。その女友達は2年後、恋人になっていて、さらに1年後には結婚相手に。
そんなわけで(正しい使用方法ですね)、女房は、ほくの元カノの名前も何もかもを把握していた。会ったことだけはなく、実像は知らなかったが、ぼくらの恋愛プロセスをかなり承知していた。これは、夫の身としては相当にハンデで。まあ、勝手なことを言えば、結婚当初は、元カノとの「復活」を疑われたりして、シンドかった。仕方ないかもね。だって、ぼくは結局、そのカノジョに振られてしまい、メチャクチャ落ち込んでいたんだ。26歳、ひとつの失恋が人生のすべてだった。そんな失意のどん底から引き上げてくれたのが女房になる女性。それ以前から、けっこう気は合っていたので、よく一緒に遊んだ。短い期間だったが、同じオフィスで仕事した。正直な話、好きなタイプというわけではなかったけれど、結婚って、ライフワークだから、一時的な感情では決められないもの。
四半世紀を経て、似たような状況に見舞われるとは、予測どころか、妄想だにしなかった。生き別れと死に別れとの違いはあるけど。と、あっさり言ってはいけないのだよね。前者はともかく、後者は分が悪い。実際、相方も「女房を喪った中年男をわざわざ選ぶなんて」と諭されたみたい。でもね、ぼくも、そんなハンデをまたまた背負わされても……。前項でも書いたけど、周りは皆さん一様に、「火中の栗を拾う」相方の味方なんだ。やんなっちゃう。
このトシになると、しかし、周囲の反応も複雑なようで。若ければ、「おまえさんたちの仲はどうなってんの?」と、ストレートに訊いてくるんだろうが、仲間内では「年長者」、そうそう気安くは質問できないらしい。翁のような長老さんも、配慮に長けているから、見て見ぬふり。しかし、共に仕事を持っていて、そうした関係の人脈が重なっていたりして、不定期に開く集まり(飲み会)に揃って参加することの多い我々、そんなぼくたちの関係を、いつまでも暗黙の了解にしておくのも、少々かったるい。
ということで、長老の助言もあり、2年前の6月、その集まりの特別バージョンを開いた。ぼくら二人のために、その仲間たちが祝ってくれたのです。いわゆる「披露宴」ではないんだけど、「披露」には違いないので、ケーキ入刀なんぞ、やらされて……。なにせ、お互い、はるか昔の記憶で、まごついたりして。大きな花束を手にして帰りの電車に乗るのも、かなり照れくさかった。だけど、ささやかながらも、さまざまな気配りが感じられ、心の底から楽しく、うれしく、ありがたく。ドラマチックな恥ずかしさも、たまにはいいもんだなあと思った。何回もあっては困りますけどね。

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