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2007年7月26日 (木)

祖母を偲ぶ

この7月には、もうひとつの命日がある。祖母である。すでに90歳を過ぎていたから、こちらは大往生なのだが、初孫の小生、葬式で号泣した。我が母はじめロートルの娘たち(息子はいない)は、つとめて冷静に振る舞っていたが、当方には、生まれて以来ずっと、最も愛されたという実感をもてる相手である。それに、その1年前に伴侶を喪っていたしね。何の因果か、祖母もまた、キリスト教スタイルで見送られた。
ぼくは、何回か書いたが大阪生まれで、祖母(そして祖父)の家で、産婆さんに取り上げられた。父親の転勤により1歳半で東京に来るのだが、毎年かならず、夏休みと正月には帰省した。故郷に帰りたい一心で、休みの宿題は常に早めに仕上げたものだ。小学生のときに、半年ほど祖父母と3人で一緒に暮らしもした(その事情はまたの機会に)。中学生になり、祖父が他界し、以来、40年近く独り暮らしだった祖母。関西圏に住む娘たち(つまり当方の伯母叔母)はもちろん足繁く通ったけれど、気丈な明治生まれは、ついに同居に頷かなかった。最晩年の10年ほどは、さすがに足腰が弱くなり、人の手に多少は頼ったが、さいごまできちんと生きていた。
ぼくが社会に出てからも、仕事のついでに訪ねていくと、いつも大好物の肉(かの地では「牛肉」の意味)や刺身(「おつくり」と言う)などを用意し歓待してくれた。泊まったことも数知れず。出張旅費を浮かせる目的ではない。「緊急避難先」に選んだ(詳細は追って)こともある若輩時代はともかく、それなりに一人前になったあとは、当然のように「宿泊費」を渡したしね。

その年の3月、大阪出張の際に会った。しっかりはしていたけれど、孫で正しく認識できるのは、我が息子のように可愛がったぼくだけだったらしい。他の孫(つまり従兄弟たちね)が見舞いに行っても、ぼくだと錯覚していたと聞く。そんな祖母なので、ぼくが顔を見せると興奮してしまうようだ。その夜は寝つけなくなって困るのだとか。老いると、そうした「不規則」なことが身体には良くないそうだ。とはいえ、「先が長いわけじゃなしね、あんたに会えるのは大きな楽しみなのよ」、おばたちのグチは、実母への愛情の現われなのか、うれしそうなトーンだったが。
その日も、共にコーヒーなど飲みつつ、祖母の体調への配慮もあって、小1時間で辞した(そう、ぼくのコーヒー中毒は明らかに遺伝である)。年に1回か2回か訪れていたが、そのころにはいつも「これが最後」と覚悟していた。でも、その4か月後だから、予兆などありはしない。普段とさして変わりはなかった。ただ、少しだけ特別なことといえば、発刊されたばかりの自著を持っていったことだろう。新書1冊を読めるとは思っていなかった。「独立・開業がどうしたこうした」という内容も理解できまい。でも、本の表紙にある、孫の名前を見てもらいたかった。果たして喜んでくれた。が、案の定、反応は地味だった。よくわかっていないのだろうと、思った。それでもいいや。
通夜の席でだったか、おばから意外なことを聞かされた。本の「あとがき」を読んでいたらしいのだ。ぼくは、そこで、連れ合いの喪失に触れていた。その事実は、祖母には内緒だった。祖母は、男の子は産んだらしいが育たなかったと聞く。孫のぼくを長男に模したのかもしれない。とにかく、溺愛だった。母が「わたしはこの子(ぼくのことね)を育てていない」と、自分の母親に向かって軽口をたたく光景は、以前からときおり目にしていた。それを否定しなかった祖母。そのぼくが男やもめになったことを、天寿を全うしようとする祖母に告げる意味はない。ところが、驚いたことに祖母は、とにかくラストの1ページまで目を通したらしい。そして、知ってしまったのだ。
ここからは非科学的な話になるが、早めにあちらへ旅立った女房には、あまり知り合いがいないわけで、祖母は、彼女をあの世で独りにしておくのは可哀想だと、後を追ったのかもしれない。その身をどれほど案じようと、ぼくのために祖母が、残念ながら、生きて力になれることは、ほとんどない。その命をもって、孫への最後の愛情を示した……、そんな考えは、アブナイだろうけれどね。最期は、まったく苦しまず、「静かに息を引き取る」という表現のままに、まさしく、眠るように逝ったと聞けば、なんとはなしに、そう思いたくなる。いいトシのおっさんが、享年92歳のばーさんの遺影を前に泣きじゃくっても仕方ないよね。こうして想い出を振り返っているだけで、目頭が熱くなる。うむ、睡眠不足かもしれないけどさ。

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コメント

アブナイ話。
ひとはそういう、隠れたペルソナを持っているものだと、しんみりしました。

結構、知り合いに老人の世話で忙しい人が多い。エビさんも同居の義母の入院騒ぎがあったそうで。

入院した本人はかえって元気になるけれども、周囲の者が疲れる。連れ合いもそのようでした。感謝、感謝でした。

「60の手習い美術館」に、昨年11月の絵を改作したものが掲載されました。東京大空襲にちなんだもので、コメントを入れてくれた絵です。お時間を作れたらどうぞ。

投稿: seigu | 2007年7月26日 (木) 10時03分

幸い、と言うべしや、小生のすぐ周囲では、いまのところ老人の世話の必要なく。両親は元気ですし……。
「60の手習い美術館」再開とのこと、さっそくお邪魔、チラ見。PCクラッシュでいろいろとダメージあるなか、ブックマーク「お気に入り」の全滅は結構な痛手です。

投稿: hiperk | 2007年7月27日 (金) 00時29分

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