« 週末・月末・前期末 | トップページ | 人生はドラマチック »

2007年6月30日 (土)

相方の涙

辛気臭い話をするのは、「相方」とのことがあるからで。読むほうは困るだろうけれど、ご容赦。ブログを始め、自分自身のことにたくさん触れてきたからには、一度は通らなくてはならないポイントかな。ここでは過去の事柄を幾度も書いてきた。かなり私的なネタも少なくないよね。いまの「相方」が21年連れ添った結婚相手ではない事実に関して、嘘をつかずに書き続けるのは、ちょいとシンドイのだ。

さて。「相方の涙」を続けよう。「ドーンと落ち込むこともある」と書いた。そんな表現ではもちろん足りない。唐突に生涯の伴侶を喪ったんだもの。医者に宣告されてから1か月余、何の覚悟も決められなかった。最期をみとることができたのは、最大の不幸中の最小の「幸い」だったけれど。とにかくも、自失状態。「先達の例に倣いそうになったこと」のもう1回は、このころの心情。幸い(?)ぼくは、あの世も天国も信じていないので、後を追っても、再会は叶わない。だから、こうして生きているけれど、でも、ぼくの人生は終わったと思った。
そんなとき、ぼくは、彼女と会う。繰り返そう、人生はドラマチックだ。
前述した「ファーストコンタクト」から3年ほど経っていて、仕事を一緒にしたりする、仲間との飲み会のメンバーでもある、親しい友人のひとり、というところだったかな。8月3日金曜日、ぼくは仕事で、彼女の住む千葉市を久しぶりに訪れた。せっかくなので昼飯を食うことにした。「涙」はコーヒータイムに登場するのだが、実はそのころ、ぼくは、とあるテーマでセミナーの講師をしていた。担当は東京だったのだが、千葉の担当者(これまた知り合いの女性)の都合が悪くなり、代打ちを頼まれた。そうした偶然の重なりがなければ、その日に彼女と会うことはなく、連れ合いを亡くして混乱する自分を見せることもなく、そして彼女の涙を見ることもなかったはずだ。
代講は、後にも先にもない。そのときだけ。千葉にわざわざ行く理由は考えにくい。顔を合わせる機会はあった。でも、1対1で会うのとは雰囲気が違う。それに、数か月が過ぎていれば気分も変わる。あの日がなければ、おそらく、「いま」はない。「いま」というのは、その後にぼくが千葉に引っ越してきたり、彼女を相方と呼ぶようになったり、てことね。「相方」なのは、入籍していないからで、一緒に住んでもいないから事実婚でもなく。「連れ合い」でもいいかもしれないが、そういう言い方をすると、たいていの人は「奥さん」だと勘違いしてしまう。相方でも似たようなものかもしれないが、ぎりぎりセーフじゃないかな。もっとも、役人的理解では、ぼくらは、単なる「恋人」なんだろうね。
そんなわけで、「愛」と書いたが、正しくは「始まり」に過ぎず、言い換えると、その瞬間、彼女の優しさに触れたのだ。これも厳密に言えば、優しさそのものではないかもしれないが、心理分析とかを論じているわけじゃないから、ま、そゆことに。優しさだと思うには、しかし、なお時間が必要で、そのときのぼくに、そんなことを感じる余裕はなかった。でも、彼女の心の少し奥の部分を垣間見た。かっこよく言えば、本質的な人間性かな。もっとも、相方は「あのときの涙は一生の不覚」と反省しているそうだ。残念だね、後悔先に立たず。「雨の中のズブ濡れの犬に対する哀れみ」らしいが、まあ、なんとでもおっしゃい。同情でも何でもいいさ。彼女の存在で、ぼくの魂は救われたのだ。それは確かな事実。
だから、ぼくは、相方にアタマが上がらない。週末の今夜もこうして独り寂しく(酒は飲まずに)ブログを書いている。この先2週間くらいは、互いの仕事の都合などで会えない。それでもグチひとつ口にできない。そんなこと言ったら、「彼女がいてホントに良かったね」とする、彼女のシンパが黙っていないだろう。翁にもお叱りを受けること必定。静かに寝ます。あぁ、正しくは「朝生」見るんですけどね。

|

« 週末・月末・前期末 | トップページ | 人生はドラマチック »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/192005/15598769

この記事へのトラックバック一覧です: 相方の涙:

« 週末・月末・前期末 | トップページ | 人生はドラマチック »