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2007年2月18日 (日)

誕生日

はるか昔を思い起こしてみた。どんなふうに恋を告白していたのだろうか……。やはり、誕生日かな。これは不変のイベントだしね。密かに想う彼女へのバースデー・プレゼントに、一途な心を込める、そんなことをしたような覚えが、あるような、ないような。
あまりに遠い歴史的事実ゆえ、記憶も曖昧。だけど、中学生から高校生にかけては、それくらいしかチャンスがなかったと思う。友達としてのプレゼントより、ほんの少しだけ、何かしらの気持ちを伝える。カードに、ほのかな熱さを添える。「小さな恋」だったから。
大学生になったあたりからは、「淡い初恋」なんてものではなく、「燃えるような下心」。小心者なりに猛アタックした、と思う。たぶん。喫茶店に行く、食事をする、映画を観る、それらの費用をすべてもつ。そのことで、遠回しに、アピールして、隙を窺う、もとい、反応を待つ。そのなかで、誕生日は絶好の機会だ。おそらく、いまも昔も変わるまい。

もっとも、ぼくの想いが初めて届いたのは、カノジョの誕生日の10日ほど前だった。恋人同士としての初めてのバースデー、ぼくらは、どのように過ごしたのか。それからの、2年目3年目……、ささやかなお祝いはしたはずだけど、よく覚えていない。35年も前のことだものね。そんなものかな。はっきりしているのは、6回目を迎えるころ、すでに、ぼくらの気持ちは微妙にズレ始めていて。7回目を一緒に迎えることはできず。

その後、カノジョは、一つひとつ、無事に歳を重ねているのだろうか。あれから30年、ぼくは、いまでもカノジョの誕生日を覚えているけれど、カノジョは、きっと忘れてしまったんだろうなあ……。

もうじき、相方の○○歳の誕生日。プレゼントはまだ用意していないけれど。一緒に買いに行くかい?

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コメント

発信が午前3時とあるから、相方さんは一緒には居ないのだろうね。それで、思いを伝えたいと。

mixiでサービスの一つとして友人の誕生日知らせがあります。お節介な話だとは思いながら、そこから敷衍して、現在に「外部擬似家族」が成立していると考えました。この擬似家族のほうが、リアルな家族よりも、ある条件で緊密、あったかいということになるか。

リアルな家族をどう身近にするかが大事なのでしょうが、難しい。

諏訪哲二さんの「なぜ勉強させるか?」を読んでいるのですが、従来の社会的枠組みを大前提にして、その中での「苛立ち」のようなところが気になります。家族が溶解しつつ、しかし人が生きている、その中での勉強、つながりが問題なのでは、と。教師としては、そんな夢想をしていられないというところでしょうが。

家長が権威や権力で家族運営できず、しかし子らに責任を持たねばならず、すると金子郁容が言う「コミュニティ・ソリューション」が問題になるということでしょう。この議論、少し前にしたかもしれません。

ウオークアップに書いてみたので、送信します。失礼。
この程度に元気を取り戻しつつあるということです。清愚合掌

投稿: seigu | 2007年2月18日 (日) 08時03分

つまりは「共同体」をどう構築するか、という問題なんでしょうか。夫婦もしくはカップルというのは最小の共同体だと思いますが、ここがすでに壊れているようですね、いまの日本では。家族も小さな単位ですが、リアルより擬似となると、わたしたちは「愛ある共同体」を信じていないのでしょう。わたしは all need is love.だと、本気で信じているんですけれど……。
相方は、自分の個人情報に触れられることをあまり好まず、ただ、ま、それぞれに仕事をしているので、あんな時刻でも「すぐ隣」には居ない、ということで、ご存じのとおり。でも、わたしたちは、自分たちなりに「愛ある共同体」をつくっていますから。

さて、日曜ながら、自分流ビジネスゆえ、小雨のなか、封鎖されている都心に向かって、出発。にしても、よりによって、取材場所がお台場じゃなくてもいいじゃんかぁ~……。

投稿: hiperk | 2007年2月18日 (日) 10時06分

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