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2006年12月 9日 (土)

戦争はあった

12月8日というと、どうしても、前項seiguさんのコメント中にもあるように、「日米開戦」のことが頭をよぎります。この国がかつてアメリカと戦争をしたことなど、思いもよらぬ人が増えてきているようですね。ウチは、以前にも触れたように、父親が「旧帝国陸軍軍人」なので、この日のことは、ぼくが幼いときから食卓の話題になっていました。でも、これも前述したように、体験の詳しい話は一切、父親の口から出てきません。せいぜいが、邦画で日本の兵士が銃をバンバン撃っているシーンで「あれはおかしいぞ、連射なんでできなかった。弾がもったいないからと1発ずつしか撃たせなかったんだ」とか、戦争実体験のない者が描く戦争映画のウソについて。

いまは亡き勝新太郎たちが主演の「兵隊物語」(みたいなタイトル)だけが「最も事実に近い」と言う父や、「授業が始まるとすぐに空襲警報で防空壕へ、という毎日だったから満足に勉強していない、だから知識なんてないのよ」と弁明する母、そして、2月1日だったか毎年「(昭和22年のシベリア抑留からの)復員記念日」を祝う家庭、戦争はけっこう身近でした。同級生の父親で、実際に戦地に赴いた経験のあるケースは少なかった。まして「捕虜」の体験など。そういえば「戦友」(だったかな)というテレビドラマ、真剣に観てましたね。

1970年代に、家族旅行でハワイに行ったとき、すでに本土も見てきていた父は、「こんな(物量豊かな)国と戦って勝てるわけがない」と、しみじみ口にしていました。たしかに、初の海外だったぼくの目にも、スケールが何もかも、我が祖国とは違っていた。日本では飲んだことのない果汁100%のジュース、安いステーキ(当時は「ビフテキ」と呼んでいましたが)、クルマはでかく、ハイウェイは片側4車線だったか。ビーチはキレイで、人が少なく。スーパーには、とにかく物が豊富で。名前の知らない野菜がたくさん並んでいた。

真珠湾では、ほとんど一言も喋らず。現在はどうだか知りませんが、当時、日本人観光客は少数で、ほとんどが身内を亡くしたアメリカ人。つまり弔問でしょうか。ツァーだからといったノーテンキな気分ではいられませんでした。ま、ワイキキビーチでは、はしゃぎましたけどね。(これも書いたかもしれないけれど)観光客相手ではない店で買い物をしたとき、日本語が通じず、「ガイドブックはウソばかり」と嘆き、そのうえ、10年以上勉強した英語も通じない。その「ショック」とハワイで見聞きしたことが、その1年後の米国留学の「布石」になったわけです。

敬愛する小松左京は、1960年代に『地には平和を』(直木賞候補)を書きました。同じころ『戦争はなかった』という短編も発表しています。どちらも優れた戦争文学だと思います。ただ、これらは「SF」というジャンルに分類されたためか、文壇の主要な賞を受けることはありませんでしたが。これ以外にも戦争をテーマにした作品は多い。1931年生まれですから、あの戦争は実体験ですね。大阪生まれで、外見がどことなく父に似ています。お互い太っているときですけれど。京大文学部卒で、それゆえ京大を志望したことがあります。偏差値的に不可能でしたけれど。

『戦争と人間』(五味川純平著)も、反戦の立場を超え、不朽の名作でしょう。映画化されたものも観ました。吉永小百合が可愛かった、とか、栗原小巻が色っぽかった、とか、不純な要素も含まれますが、ぼくは20歳そこそこ、高校や中学では習うことのなかった、初めて知る事柄の多さと悲惨さに、衝撃を受けました。中国(支那・満州)戦線が舞台で、父の姿をスクリーンの向こうに見ていた気がします。どうでもいいことですが、この映画、当時つきあっていた女性と一緒に。そんな思い出もあります。三部作ですが、全部を一緒ではなかったような。いや、だいたい、すべて同じ女性とだったのか……。

この映画、何度なく、テレビなどで放映されていて、繰り返し観ていますが、いつだったかなあ、戦後60年記念なら去年か、そのときは、地井武男扮する朝鮮人義勇軍(?)兵士(徐在林)が、戦闘で恋人を亡くし、かの地に埋めるシーンで、不覚にも涙しました。もちろん初めて。そんなことが、しかし、最近、増えています。昔に観た映画で泣いた記憶などないのに、久しぶりに再見すると……。半世紀も生きていると、いろいろな経験をするものですね。

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コメント

hiperkさん、些末なコメントですいません。

いまは亡き勝新太郎たちが主演の「兵隊物語」(みたいなタイトル)

これは、「兵隊やくざ」ではないか、と思います。私が幼い頃はテレビで見ることができて、ほとんどテレビで見ています。モノクロだし、放送禁止的な言葉とシーンが多いので、地上波ではムリでしょうが。

投稿: ますもと | 2006年12月 9日 (土) 07時57分

「日米開戦」の日にある展覧会を見ました。舟越桂展。その中に「戦争を見るスフィンクスⅡ」という彫像があり、印象が強かった。「・・Ⅱ」とあるから先行作品があるわけで、図録でそれが確かめられます。先の作品は穏やかに見つめているのですが、「・・Ⅱ」は眉間に深くしわを寄せ、凝視し、口元に歯を見せというように表現が鋭くなっていました。
時代を伝えるには、言葉もいいがこうした美術作品もいいなと改めて感じた次第。
イメージがつかみにくいコメントで失礼。

投稿: seigu | 2006年12月 9日 (土) 11時10分

そうだそうだ、「兵隊やくざ」だった、ますもとさん、ありがとう。
いつだったか深夜に見たとき、すでに、かなりブツブツと音声が切られてましたね。
ところで。著書、増刷とのこと、おめでとう!! ニ刷りがかかるって、ホント、書き手として大いなる喜び。いいないいな、羨ましい。当方はムリみたい……。

投稿: hiperk | 2006年12月10日 (日) 15時40分

船越桂ですか……初めて耳にする名前、翁の趣味の広さには脱帽。サイトを見ました。
http://www.show-p.com/funakoshi/menu.html
なるほど。しかし、コメントする力なく。

投稿: hiperk | 2006年12月10日 (日) 15時42分

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