« 慟哭 | トップページ | “親愛なる者へ” »

2006年12月 1日 (金)

後悔

映画が110年前に日本(神戸市)で初めて一般公開されたのを記念し50年前に制定された「映画の日」だそうだ、しまったなあ~、昨日のネタは早まった。まあ、その記事を削除して本日付で再アップ、という裏技、禁じ手、ないわけでなく、でも、現実には、1日あたり10人でも読み手がいれば、実行するにあたわず。後悔先に立たず。いや、でも……。取り返しのつかないことなんて、実は、そうそうにはないんだと思う。

たいていは、その失敗で学んで、こんどはきちんと考えてやろうとか、ミスしないよう気をつけて、と反省したりして、実際、うまくいって、悔やむことなく。つまり、後悔は、たしかにすでに起きてしまったことに対しては立たないとしても、次には立つ。屁理屈ですけど。覆水盆に返らず、そのとおり、でも、こぼした水はまた汲めばいいし。その跡は拭けば消える。屁理屈ですけど。だけど……。

どんなに丹精込めて育てても、一発の台風で、田園は易々と荒れ、如何なる瑕疵がなくても大自然の気まぐれの前にはただ呆然とするしかないこともある、我が祖国は、そもそも、一度や二度の失敗に厳しくない。仏の顔も三度。「再チャレンジ」は国柄でもあるのだ。それを無くしてしまったのは誰だろう。不確かな自然現象を前にすれば、知恵や工夫はもちろんあるとしても、稲作など、毎年が常に、新しい未来へのチャレンジそのものなのではないのか。そうした農作物の生産に関わらない、武士とかいう階級は、くだらん伝統と面子のみを重んじ、ちょっとした過ちで腹を切る。この人たちにとっては、後悔は先に立つまいて。

ぼくらが普段、何気なく口にする「昔の日本は良かった」の「昔」って、もしかして、この、武士が支配していた時代の、その延長線上での日本の倫理観ではないのか。それは、この国に相応しいか。だいたい、明治以降の日本なんてたかが100年あまり、つい最近のことにすぎない。武士階級なんぞも、最大で人口比5%程度の圧倒的マイナーな階層に過ぎない。ただ、面白いのは、江戸では「平民」のほうが少数派であったし、「男らしさ」を強調する薩摩、つまり近代日本の支配構造の一端を担う、この藩では3割が武士だったとか。ぼくらは、しかし、「もののふ」の末裔ではないのだ。
★後悔(2000)

|

« 慟哭 | トップページ | “親愛なる者へ” »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/192005/12886805

この記事へのトラックバック一覧です: 後悔:

« 慟哭 | トップページ | “親愛なる者へ” »