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2006年11月20日 (月)

トーキョー迷子

テレビドラマ「東京タワー」を観た。原作(11/16付け紹介画像2点のうち4人の著名人が写っているほうに原作者りりー・フランキー氏がチラッと)未読。なかなかに面白かった。田中裕子はイイね、いくつになっても。NHKの朝ドラ「マー姉ちゃん」からのファン。このとき、熊谷真実も好きになった。そのころは海外だろ? 鋭いっ。でもね、ぼくの住んでいたロサンゼルスでは日本語放送で毎週土曜日に1週間分まとめて放映されていたのだ。

沢田研二氏夫人は古き良き日本を舞台にしたドラマによく出演する。今回もそう。懐古趣味はぼくにもある。歳を重ねれば、あのころはよかったねと、つい口にする。たしかに「思い出は綺麗 本当より綺麗」。辛い経験は、たいていの場合、美化される。そうしないと生きにくいからね。持論でもあるが、人は記憶を捏造する、つまり個人の歴史を改竄するものなのだ。

昨今の昭和30年代ブームは、だから、潔くないと思う。この国の現在がどうにもおかしいからと、未来が不透明で、暗く感じるからと、無前提に、昔の日本人は素晴らしかった、と主張するのは間違っている。若いヤツは常に未熟だし、日本語はいつの世にも乱れている。このおかしさの根本に目を背け、ただただ復古的に懐かしむのは、卑怯だ。現在と過去とはもちろん繋がっているのだから。

忘れたことにしていいのか。さて、このドラマの主題歌は、BEGINの「東京」となっている。でもヘンだよね。作詞者・森田貢、作曲し歌ったマイペースの名前は、番組のクレジットに何故でないのだろうか。30代から下ならオリジナル曲を知らないだろうけれど、リアルタイム世代には、この曲はマイペース唯一の大ヒット作。心に沁みる作品だ。無かったことにしていいのか。
★トーキョー迷子(1991)

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コメント

18日の夕方から、5歳の孫娘がひとりでお泊りに来て、その相手を片手間ですけどしていました。トランプをしていて、愚生が面倒くさいなという感じになると、「げんき、げんき」と尻を叩かれて・・・。大変でした。

そんな日常が大切で、「それが幸せ時空間だ」と言うとなんとなく道学者風になりますが、うつけになることが必要と思います。

陶淵明を言ったのは、42歳で故郷に帰って田畑を耕して生活するようになったのが今で言えばSOHO志向かと思うからです。農仕事は結構大変で、収穫期に不作を気に病む詩もあります。憂さを紛らすかのように詩文を友とし、50歳過ぎくらいに友人たちがいよいよ遠くへ旅立って戻らないことを憂いるあたりも、決して悠々として晴耕雨読を楽しんでいたとは思えない陶淵明を偲ばせます。
その陶淵明に、「桃花源記」という一種のユートピア物語があり、これがまた「SOHO2・0」支柱にふさわしいのではと思う次第。この文については一海知義『陶淵明』(岩波新書)があって大いに参考になる。一海は、陶淵明を「脱俗の詩人」というより、「反俗の詩人」ではないかとし、その生涯に書いた数編の虚構文に注目しています。
hiperkさんが折々フィクションに興味があるような気配を見せるため、思いをその形で記すのも一興かと。

とは言え、「小生、項羽の「虞美人草」が好きです。」と書かれては愚生はそれを知らず、話の接ぎ穂がなし。
「虞や虞や なんじをいかにせん。一人の女に身を焦がし、絶望的に劉邦の陣へと突っ込んで行った死に様。ヒロイックで。」
なるほど、そのあたりの気分は分かる気がする。
それでいて今、歳末の修羅場に手を焼く暮らしをいかにせん。揶揄しているのではありません。その現実をしのぐためにも虚構は必要かと思います。

長くなりますから止めますが、皆さんよりは自由にできる時間のある愚生が、折々声を挙げて賑わせたく思っています。


投稿: seigu | 2006年11月20日 (月) 10時09分

陶淵明の「隠遁」、たしかに悠々自適ではなかったようですね。その点では、なにやら我が身。
そのユートピア物語の存在は、桃源郷そのもの、もちろん知っていますが、一海知義氏の著書は存ぜず。そもそも漢詩の大先生のようで。。。seigu翁、わたしを漢詩の世界に引きずりこまんと?
「脱俗」より「反俗」とのこと、なるほど、興味津々。あぁ、いまさら陶淵明ですか。。。
蛇足ながら、「自適」とは「自己最適化」なのかも。げにSOHO的ではあります。

投稿: hiperk | 2006年11月20日 (月) 23時01分

次第に引きずり込めるかと・・。
村上隆の『芸術起業論』は読まれた?。
愚生、読み終えました。立ち読みで済ましたつもりでしたが、よんどころなく。
陶淵明も村上隆も、「SOHO2.0」関連です。

村上がマチスを高く買っていて、それは最後に自由を得ていること、ピカソのように最後まで自由でありえなかった芸術家はだめと。これは理解できる。そういえば陶淵明もかなり不自由な生活をしながら自由を志向し、その虚構文で自由を得ていたかと思います。

村上は、最高の芸術は時代の文脈を読んで、大スポンサーを集めて、あるいは従って働きづめになる大勢の人を糾合して力を発揮させることで実現できると。ミケランジェロや大仏さんを作った仏師がそうだと言うのです。これも理解できる。

そうして、戦後日本の芸術は文脈をとらえていなくて西欧の色の塗り方、かたちづくりを真似ていただけ、という。戦後日本の文化は、オタクに集約されるとしてそれを翻訳輸出したのがこれまでの自分だというようです。それが時代の文脈を読んでいるものを受け入れる西欧に受容されたと・・・。
これも少しは分かる気がする。

しかし、その範疇にないものがすべてだめかというと、そうも言えないように思ってこれから考えます。ローカルだっていいではないかというのが一つの考え。とはいえ、村上説は、かなりのところまで当たっているよう。

以上は、ヒントです。それがSOHO2.0とどう関係するかはあとのお楽しみと。

投稿: seigu | 2006年11月21日 (火) 08時01分

『芸術起業論』、話題のようですが、未読。というか、何やらオタク絡みかと敬遠。そのあたりの話題、苦手でして。「ヒント」というよりは課題、宿題? がさらに増えた感。引きずり込まれる先には、はてさて、いったい何が……。

投稿: hiperk | 2006年11月22日 (水) 00時13分

まさに「オタク文化」が戦後日本の世界に通用する芸術だというわけ。
『芸術起業論』は、抜書きを作成中。近く何らかの形で読めるようにします。それを読んでから立ち読みするといいかも。かなりの「毒」をもっているから、通読するのもベター。それにしても読みづらい。愚生には。

いずれ・・・

このブログに立ち寄られた方で『芸術起業論』を読了の方が感想を書き込んでくださると嬉しいです。

投稿: seigu | 2006年11月22日 (水) 07時29分

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