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2006年11月

2006年11月30日 (木)

慟哭

映画「ミュンヘン」をDVDで観た。題材は、1972年のミュンヘン・オリンピックでの「虐殺」事件。重い。ストーリー展開など、いろいろと細かい点では不満もあるのだが、見終わった後、ズッシリとくる。感想なんて書く気分ではない。当時、そのニュースにリアルタイムで接しているものの、「後日談」については無知だった。そんなことがあったんだ……。やりきれない。報復の連鎖しか生まないのに。流された血は血をもってしか贖えないのか。

日本映画「男たちの大和」も、題材こそ重い。出来栄えはやや軽め。血飛沫はリアルだが、「絵面(えづら)」が明るすぎる。役者が若すぎる、年齢的には(主人公達の大半は少年兵だから)当然だけど、演技が未熟。ただ、予想よりは抑えた演出だったことに好感。お涙頂戴になっていなかった。監督が戦前派だからか。戦争というものを知っているんだね。いまどきの人間は、戦闘シーンに凝っても、人間ドラマが描けないから、薄っぺらな「カンドー押し付け大作」になる。ヘドが出る。

「力道山」が日韓合作映画だとは、うかつにも予期していなかった。力道山自身が半島出身者だと知ったのはいつだったか。テレビ草創期、国中がファンで、もちろんぼくも。みんな日本人だと思っていたはず。日の丸を背負いリンクで闘っていた。その姿に惹かれた。死のあたりから関心は、これまた多くと同様、野球へ。長嶋。そして王、これまた台湾籍の「日本の誇り」。張本しかり。芸能人は列挙に暇がない。我が祖国は、不思議な国柄である。

「ミュンヘン」のラスト、背景には(CG合成の)ニューヨーク・ツインタワーが。何かが心に突き刺さる。にしても、宗教は難しい。民族名・金信洛の「善人ぶるな」のセリフには、空手チョップ並の迫力が伴っており、張り倒されそうになる。にしても、朝鮮は遠い。「大和」乗組員の我が子への母親の「死んじゃいかん」の一言は、心を激しく揺さぶる。にしても、その死に接して平然と立つ母の胸の奥の慟哭は辛い。
★慟哭(1993 作曲・後藤次利/工藤静香への提供曲、フジテレビ系ドラマ「あの日に帰りたい」主題歌)

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2006年11月29日 (水)

ルージュ

電車やバスの中で口紅をひき揺れる車内で器用にアイラインを使いこなす女性が、珍しくなくなった。公衆の面前でのメイクは、恥ずべきものだったはずだ。ぼくはもちろん男だから、そうした教育を受けたわけではないけれど、相方いわく、かなり昔からの常識だと。だよね。そうでなければ、エラリー・クイーンのあの名作は、基本トリックが成立しなくなってしまう。

最近の若いヤツときたら……。でもなあ~、たとえば「立ち食い文化」は、ぼくらの世代から始まったんだ。いくらなんでも通勤電車で弁当は食べないけれど。でも、パンくらいなら、もう躊躇いはない。ドリンク類は夏なんか日常的な光景として定着している。そういえば、新幹線車内でビールを飲み真っ昼間からミニ宴会していたのはガキではなかった。そもそも、ウォークマンに代表される、車内での音楽鑑賞の習慣を広めたのも、いまのオトナたち。

「下着であるキャミソール」姿の若い娘たちへの批判をよく耳にする。でもなあ~、「下着であるTシャツ」姿をまともなファッションへと変えたのは、ぼくたちだ。帝国ホテルがかつて立ち入り禁止にしていた「作業着」ジーンズ姿も、市民権を得た。当時は非常識だったそうした「ヤングだけの新しい文化」は、伝統的な日本古来の文化と衝突した。そして、日本の常識として成立させた。近ごろの若い人間の立ち振る舞いに眉をひそめるぼくらは、その昔、若者だった。

だから批判できない、と言いたいのではない。ぼくらは闘った。旧い因習と。偏見に満ちた世間と。そして、勝った。だけど、いま、世代間ギャップは依然存在するけれど、世代間コンフリクトは、どこに? 「家族帝国主義」による「圧制」を知る我らは、下の世代を「解放」し理解を示した。その結果は? 自由というものは、やはり、闘い勝ち取らなければならないのだろうか。
★ルージュ(1977 ちあきなおみへの提供曲)

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2006年11月28日 (火)

知人・友人・愛人・家人

先日、久しぶりに、2年か3年かな、とある男性とたまたま再会した。えっとぉ、話の主題は再会した後のことで、どういう関係なのか説明したいわけではないのだが、友だちではないし、級友でもなく、かつての同僚とか、仕事の関連での知り合いとか、同好の人とか、どれも違う、一言では済まない。相手は、あるメーカーの勤め人でいいと思うのだが、あぁ、でも、いまは退社しているしなあ~。

こちらは、そのとき、ある種のサークル活動をしていて、それを通じて知り合った、のではあるが、仕事の部分も少し絡んでいて……といった具合、あっさりとはいかない。だいたい、その「活動」とやらに触れないと、なぜ接触したのか理由が不透明で、仕事との関連性も伝わらないだろうし。そこがまた困る。活動の母体名を明示しても、一部の人には周知の事実だが、大多数には「?」だろうし。

「活動」という表現が適切なのかもわからない。奉仕活動みたいなもの。いや、違うよなあ。もちろん趣味でもなく。あぁ、でも、道楽とえば、それほど的外れでなく。いや、そんな言い方では、きっと誤解される。といって、まともに語り出したら、あの旅行記を超える分量になってしまいそう。あれやこれやとつぶやくほどに、なにやら言いにくいことを仄めかしているように思われるかも。それも不本意。

「たまたま」と書いたけれど、少しは「会えるかな」という期待もあったのだから、正しくない。だけど、それほどの予測があったわけでもなく。でも、約束して会ったのではないのだから……。そんなことを悩んでしまう、おかしなやつです、わたし。まったくね~、誰も気にしていないのに、と相方は呆れるのだが。「知り合い」でいいじゃない? うん、そっか、まあ、そうだよね、知り合いといえば知り合いだね……。長くなった。今宵は此の辺で。
★知人・友人・愛人・家人(1998「夜会VOL.10 海嘯」オリジナル曲)

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2006年11月27日 (月)

シュガー

先日、新しい砂糖(1k/g入り)の封を切った。1ヶ月ほど前に買ったものである。そのとき、相方が残り少ない砂糖ポットを見て、今夜の料理には足りなくなるかもと言うので、慌ててスーパーに走った。持ちこたえた。そして、そのまま。思えば、ほとんど砂糖を使わなくなった。がぶ飲みするコーヒーには入れない。食パンに砂糖をまぶしたのは遠い過去である。

本来、甘党である。育った家での、スキヤキの際に消費する量は半端ではない。醤油もよく使う。濃い味好みである。そんなことはわかっていたつもりだ。が、一般に、母親の味が自分の味の基準といわれるから、ぼく自身、そうだと思い込んでいたが、親元を離れ、30年余、舌が、かなり変化していた。先月だったか、たまたま母親の手料理を食べる機会があった。オフクロの味に驚いた。こんなにも甘い味付けだったのか。

もうだいぶ以前から、うまみ調味料というやつをまったく使わなくなった。塩の出番も少なくなったと思う。とくに、明石の岩塩とかなんとか、大袈裟なネーミングのそれは、高価でもあるし。油も同様。もちろん必須アイテムではあるが、アブラものをあまり口にしなくなったのだ。だいたい、肉に対する執着心がかなり低下した。

といって、魚中心、でもないような気がする。何を食べているんだろう……。相変わらず、ケーキとかマンジュウとか、その類には目がない、相方にいくら注意されようとも。ゴメン。だから、カロリー摂取が低いレベルではないことは確かだ。運動量からすれば明らかに過多である。よって、ふくよかな体型はきっちり維持している。そうそう、前述の日記に「食べ過ぎた、太った」という記述があり、具体的な数字も書いてあった。あははははっ。現在値マイナス32k/g。とんでもない人生である。
★シュガー(1987)

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2006年11月26日 (日)

夢の途中

やっぱ、オリジナルを超えるのは大変なんだろうね。「セーラー服と機関銃」、好きな薬師丸クンに敬意を払い、ムリして観た。全部ではないけれど。辛かったなあ。短い連ドラでホッ。長澤まさみがとくに下手だとは思わないし、役者もそこそこ。キョンキョンも出ているし。原作の面白さは言うまでもない。なのに、どうして、あんなふうになっちゃうんだろう……。角川春樹はやはり凄かったんだなあ。相米慎二監督の腕か。

組員たちの死に様、面白すぎて、笑っちゃいます。組長である星泉を守るため、と称して、庇い、結果、命を落とす、という流れなのだが、みなさん、完璧に無駄死に。早く逃げてくれ、と絶叫するわりには組長、その場を立ち去らず。いまわの際の組員に駆け寄ったりして、カンドーの一幕、だらだらと。そのあいだ、敵対する組の攻撃、ストップ。そりゃ、あっさりと主役がヤられたら話にならないけどさ。

最も酷かったのが最終回。例の、といっても知らない人には何のこっちゃ? だけど説明省く、機関銃をぶっ放す名場面だけで1時間はもたない。タンカを切る姿はクライマックスらしくて良かったんだが、かの有名な「カ・イ・カ・ン」は削られてしまった。そこは時代というものだから仕方がないと諦めるけどさ、冗長なシーンが続き、エピローグの、更生した若頭が思わぬ形で死ぬところ、とうてい感激できない。なんか、まどろっこしいのに、余韻もなく。

人気女優におんぶにだっこなんかい? まっくたなあ~。浅草には人情がある? そんな描き方、まったくしていないではないか。同じTBS、志垣太郎の「一丁目一番地」の味を学びなさい。四半世紀も経てば、いろいろと社会的背景や事情も変わる。やりにくい点もあるだろう。だけど……。SFXメインなら映像技術の進歩によりレベルアップする、が、人間ドラマは畢竟、演出が問われるだけ。今回のリメイク、いったい誰の思惑か知らないけれど、勝手な夢の中途半端な企画、時間を返せ~! 心の片隅にでも大きくメモしてね。
★1981.12公開映画「セーラー服と機関銃」主題歌(歌・主演 薬師丸ひろ子)
※歌詞の一部が異なる(以下の通り。何故? 誰か事情を知るや……)
来生たかおオリジナル/いまを嘆いても 胸を痛めても ほんの夢の途中

薬師丸バージョン/夢のいた場所に 未練残しても 心寒いだけさ

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2006年11月25日 (土)

時代

憂国忌である。何それ? かなあ……。1970年11月25日、ひとりの作家が死んだ。いまは様変わりしてしまった、陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地で、腹を切った。比喩ではなく。ぼくは、このニュースを雀荘で耳にした。卓を囲んでいた友人は神保町の古本屋街へ走った。初版本が高騰すると叫びながら(誇張です)。文学という言葉が生きていた時代、ハードカバーの初刷りには価値があった。ファンだった彼は、たしか『豊饒の海』第四部『天人五衰』、いや第三部だったかな、まだ買っていなかったので慌てたのである。

ぼく? 文学青年していたので、もちろん気になる対象、だいたいは読んでいたけれど、そのころは、太宰治を卒業し、無頼派といわれるなかでは織田作之助のファンで、SFに傾倒していたから、そんな友を微笑ましく見送った。と思う、たぶん。いや、呆れた顔をしていたかも。なんにしても、ビッグニュースだった。蛇足ながら、つきあいはすでになかったけれど級友・浅田次郎も衝撃を受け、そして自衛隊に入った、と後に知る。

いつか、自ら死を選ぶだろうとの予感はあったはず。予測する専門家もいたらしい。でも、よもや、あんな形でとは。三島由紀夫は、バルコニーの上で、野次と怒号とで見守る群衆に檄を飛ばした。しかし、届かなかった。そして、壮絶な最期を遂げた。喜劇ともいわれた。いろいろな憶測が飛び交った。いつしか、その政治的な主張は忘れ去られた。が、36年後の今日、その骨子は生き続け、部分的に具現化しようとしている。三島は草葉の陰で何を想う。

東京帝大文学部の三島は生きていれば81歳、大阪帝大工学部の我が父と同い年である。片や、兵役に就くことなく真っ当に卒業し、いったんは大蔵官僚となり、45歳の若さで自衛隊の決起を促した末に自死の道を選び、愛国少年の父は理工系ゆえ免除されていた兵役に自ら志願し、満州・シベリアと流れ、60年余のいまなお一言も語らぬ体験を経て、現役である。
★時代(1975「第10回ポピュラーソング・コンテスト」「第6回世界歌謡祭」グランプリ曲)

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2006年11月24日 (金)

わかれうた

さほどのアクセスもないブログだから、と言い訳し、極めて個人的なことを書く。まあ、いつものことではあるが、きょうは、自分のためにだけ。ただの心情吐露である。デスクまわりを片付けていたら、古い日記が出てきた。ぼくにとって大切な年のもの。何があったか、もちろん覚えている。何が記されているか、読まずにわかる。でも、ふと、ページを開いた。

夏休み。大学生の常で、せっせとバイトをしていた。ある日、同級生から電話があった。最初の電話のときには留守だったので、母から聞いた。「何故?」という意味の記述。キャンパスでは毎日会っていても、わざわざ休みの日に会う理由はなかったのだ、このときはまだ。相談があると言う。休みに入って1か月ほど、久しぶりだから、と会うことにした。

バイトを休んでいる。都心の親元にいたから小遣い稼ぎ、生活のためではない。午後の新宿。行きつけの喫茶店。相談事については書かない。たわいもない雑談へと進み、街をぶらつき、楽しい時間を過ごした。そのあと、ビヤガーデンへ行った。ここからは曖昧になってくる。生ビールを飲んだという。どのような会話が交わされたのか、記憶していない。夜、9時ごろに、都内の家まで送って行ったと。

以来、彼女が引っ越すまで、いったい何度、その家に送って行くことになるのか、知る由もない。その1か月後、新学期が始まってしばらくして、映画「アンドロメダ」を観る。てっきり一人だと思っていた。名字に「さん」づけで、一緒に行ったと書かれてある。そうか、やはり、人並みの順序で進行していたのか。とにかくも、こうして、ひとつの恋は始まった。

タイトルのとおりなので、この彼女が伴侶になったわけではないが、一度は結婚を約束し、何度も「別れ」を互いに口にし、さまざまな思い出を築いていき、7年後、波乱に満ちた幕切れを迎える。「もしも」は禁句だけれど、あの夏の日、デートすることがなかったら、ぼくの人生はまったく変わったものになっていたことだけは確実だ。青春ど真ん中だった。
★わかれうた(1977)

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2006年11月23日 (木)

ファイト!

勤労感謝の日。働くことを、何に、誰に、感謝するんだろう。もともとは五穀豊穣を祝う新嘗祭、だから、これは自然に対して。まあ、神に対して、でもいいけどね。気になって調べた。すると、公式には「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」だとか。尊ぶね……、お互いに、かあ……、ふむ、わかるような、わからないような。

新嘗祭の時代、我が祖国では農業がメインの産業だったし、農作物の収穫にあたっては、まさに天の恵みに対する感謝は当然の感情だ。食糧自給率の数字なんか知りたくない現代でも、不作ではもちろん困るし(米が足りなくなって海外から緊急輸入した日々はもはや過去のことだとしても)、あまりの豊作でもよろしくない(白菜やらキャベツを廃棄するシーンを見ていると心が痛む)。

「サラリーマンは気楽な稼業」とのシニカルなフレーズが流行り、やがて定着していった高度成長期、働くということは、会社へ行く、と同義語になり、いまや7000万労働人口のうち5000万人が被雇用者、そのほとんどが「職業は会社員/OL」と答える。そして、そのうち3割、1500万人がパートや派遣などの「非・正社員」と呼ばれるようになった。「正しくない社員」の響き、モノ悲しいね。

なかでもパートは1200万人に達する。この人たちの、賞与を含む時間単位給与は正社員の約60%とか。同等にとは言わないけれど、この「差」が「好景気」の原動力なんじゃない? そして「派遣」の「台頭」。仕事がある、ということは、たしかにありがたいよね、とくに、こんな時代。でも、こんな勤労形態を尊重することができるだろうか。それでも、ぼくたちは生きるために働かなければならない。すべての労働者諸君、ガンバっ。
★ファイト!(1983)

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2006年11月22日 (水)

二隻の舟

11月22日は「いい夫婦の日」。と書き出して、有名無実化しているのではないかと心配し、ネット検索したら、よかった、88年にスタート、こんなもの、バブル時だから成立する話で、85年に政府が制定した「ゆとりの創造月間」のついでみたいなもの、夫婦に金を使わせようという狙いで、と思っているが、そんな都合よくいくものか、「E電」(懐かしいでしょ?)と同じ運命だろう、と。あにはからんや、ちゃんと継続している。20年近い、スゴイね。

いえ、いちゃもんをつけるのでね、死語になっていたら困るから。でも、少し気勢が削がれた。継続は力、なにはともあれ。どのような意味があるのか、評価できないけれど、「パートナー・オブ・ザ・イヤー」なんてものを表彰していたり、やることはやってるようだ。が、今年は、船越英一郎・松居一代夫妻が選ばれた? ふうむ。間違ってもモデルケースにはなりそうもないね。というか、手本にしてはいけない気がする。個人的に知っているわけではもちろんないが、あの二人は独特でしょう。

アンケートも実施していて、夫婦二人で過ごす時間があるか、とか、その過ごし方は? とか。って、どうでもいい質問だよなあ。食事やお茶をしながらの「会話」する夫婦が最も多いそうだ。その中身は、「子ども」「仕事」「お金」か……。「人生」とか「社会的な出来事」はないのか。でも、これはこれで価値あるかもね。ん? 回答数91……。有効性ないよなあ。

そもそも、夫婦なんてものの形は千差万別。「いいも」も悪いもない。大きなお世話だ。スポンサーになっている企業には、それぞれに思惑があるのだろうけれど。おっと、後援に財団法人社会経済生産性本部か、あんまり文句言えないなあ。我が心の師、seigu翁との知己を得たのも、この組織の調査研究のおかげですから。
★二隻の舟(夜会テーマ曲)

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2006年11月21日 (火)

強がりはよせヨ

いったい誰が英語は世界共通語だなんて言ったのだろう……。それは、仕事でスイスに行ったときのこと。バーゼルという、一部の日本人のみに馴染みのある都市へ。国際決済銀行(BIS)というのがあって、そこの取材。合い間に、街を散策、していたら、国境を越えていた。15年ほど前、ユーロはまだだったが、すでにヨーロッパはひとつの共同体。検問も何もありゃしない。普通に道を歩いていただけで、あっさりとドイツ領に入っていた。県境・市境ほどのカンドーもない。

何という街なのか(いまでも)知らない。ただ歩き回っただけ。喉が渇いた。自販機なんて気の利いたものはない。コンビにもない。カフェらしき店をやっと見つけた。正直な話、雑貨屋みたいな雰囲気。そこで飲んだのはコーラ。好きではないのだけれど、それしか判別できなかった。悔しいが、さすがワールドブランドだと感心。ドイツ語なんか知らない。第2外国語はフランス語だったし。

英語で訊いた。ハウマッチ? 通じない。11/17付けのネタとは事情が違う、発音が悪いのではないよ。けど、まあ、支払いについての会話であることは、おおむね想像がつく。店のオヤジは、何やら金額を言っているようだが、まるでわからない。仕方がないので、小銭を掌に。これか? それともこれ? オヤジ、勝手に持っていく。店を出ても喚かれなかったのだから、支払いは正しく済んだのだろう。多めに取られていないか? こうした状況では性善説に立たなきゃ。

支払い通貨はスイスフランだった。財布にはドルと円もあったが。交換レートは? そんな難しいこと、気にしてはいけない。その街には独自の「外為」ルールがあるのだろう。ちなみに、バーゼル市内ではすべて英語で問題なかった。蛇足。このあとパリに移動した。いったい誰がフランス人は英語を話さないなんて言ったのだろう……。すべて英語で問題なく。第2外国語は? あはっ、まあ、それでもよかったんだけどさ、フランス語は使うヒマなくて……。強がりはよそうネ。
★強がりはよせヨ(1976、研ナオコへの提供曲)

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2006年11月20日 (月)

トーキョー迷子

テレビドラマ「東京タワー」を観た。原作(11/16付け紹介画像2点のうち4人の著名人が写っているほうに原作者りりー・フランキー氏がチラッと)未読。なかなかに面白かった。田中裕子はイイね、いくつになっても。NHKの朝ドラ「マー姉ちゃん」からのファン。このとき、熊谷真実も好きになった。そのころは海外だろ? 鋭いっ。でもね、ぼくの住んでいたロサンゼルスでは日本語放送で毎週土曜日に1週間分まとめて放映されていたのだ。

沢田研二氏夫人は古き良き日本を舞台にしたドラマによく出演する。今回もそう。懐古趣味はぼくにもある。歳を重ねれば、あのころはよかったねと、つい口にする。たしかに「思い出は綺麗 本当より綺麗」。辛い経験は、たいていの場合、美化される。そうしないと生きにくいからね。持論でもあるが、人は記憶を捏造する、つまり個人の歴史を改竄するものなのだ。

昨今の昭和30年代ブームは、だから、潔くないと思う。この国の現在がどうにもおかしいからと、未来が不透明で、暗く感じるからと、無前提に、昔の日本人は素晴らしかった、と主張するのは間違っている。若いヤツは常に未熟だし、日本語はいつの世にも乱れている。このおかしさの根本に目を背け、ただただ復古的に懐かしむのは、卑怯だ。現在と過去とはもちろん繋がっているのだから。

忘れたことにしていいのか。さて、このドラマの主題歌は、BEGINの「東京」となっている。でもヘンだよね。作詞者・森田貢、作曲し歌ったマイペースの名前は、番組のクレジットに何故でないのだろうか。30代から下ならオリジナル曲を知らないだろうけれど、リアルタイム世代には、この曲はマイペース唯一の大ヒット作。心に沁みる作品だ。無かったことにしていいのか。
★トーキョー迷子(1991)

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2006年11月19日 (日)

浅い眠り

熟睡する犬という話は聞いたことない。どちらさんも同様だと思う。日がな一日寝ているくせに、音とにおいにはえらく敏感だ。飼い犬がいたころ、起きて、リビングのカーテンを開けると、ヤツは必ずニコニコしていた。散歩を待っているのか、ただの空腹か、どちらにせよ。悔しいので、そっと近づいていっても嗅ぎつけられてしまう。

アタマにきて、ある朝、カーテンはそのままに、心の底から慎重にロックを開錠、細心の注意を払い1ミリずつ開け、げに空き巣という技能は大変だなあなどと場違いの思いを抱きつつ、ある程度の空間をつくり、網戸に手をやり、思い切ってガラッと。ビクンと、起き上がる。ほんの一瞬だが、ヤツは驚いた様子を見せる。虚をつかれたのだ。勝った。わっはっはっ。

飼い主、つまり当方の眠りは深い。寝つきもよく、ちょっとした地震くらいでは目覚めない。よって、寝起きは悪い……ではあったのだが、最近はあまりそうでも……。まず、明け方、「自然」に呼ばれる。これがビックリ。そのうえ、爽やかとは言わないまでも、朝がそんなに不快ではなくなった。これは、しかし、トシではなく。ワーキングスタイルの変化に伴うものだろう。

予定がない、または取材が午後からの日は、目覚めたときが起床時間。10時、11時。だから、就寝が3時4時でも、たっぷり睡眠をとっているはず。7時とか、ぼくにしてはメチャ早起きしなければならない場合は、そんなときでも早寝できるわけでなく、睡眠3時間だったりして辛いのではあるけれど、覚悟を決めているためか、それほどイヤでもない。

それにしても、、、この稿、実は前々日に書いたものなのだが、seigu翁から陶淵明の名を持ち出され、なにやらシンクロしたような……。決して隠遁生活を志してはいないし、そのような実態でもないけれど、目覚めたときが起床時間なんてね。さて、本日のオチだが……、「欲辨已忘言」。弁ぜんと欲して已に言を忘る。うむ、強引すぎるか。

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2006年11月18日 (土)

世情

きょうのネタはタイトルそのまま。中島みゆきの78年の曲で、TBS系ドラマ「3年B組金八先生」の挿入歌として使われ話題になった、とか。「あの人は今?」的番組での知識だが、この時期、海外にいたのでリアルタイムでは知らない。みゆきフェチなので、賞賛こそすれ、批判はしないぼくだが「シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく」の歌詞には、ちと首をひねる。

70年代も終わりのころ、シュプレヒコールという単語に普遍性はもうなかっただろうし、いまでは死語かも。珍しく戦闘的な言葉。どうして選んだんだろうね。いつもの、個人的な、つまり自分だけの、半径50センチの、女の恨み節ではなくて、曲調も、妙に、社会的、なのに、ペシミスティック。社会的なテーマの場合、もう少し力強いトーンなんだよね。らしくない……。

さて「世情」とは何か。「世の中の事情」「世間一般の人の考え」と辞書はいう。「社会」ではない。似て非なるモノ。たとえば、鬼がない、または鬼ばかりなのは渡る「世間」であって渡る「社会」ではないし、騒がせて申し訳ないのは「世間」であって「社会」ではない。ビミョー。世情も「社会の事情」ではない。前述したように、この歌は「社会的」であって「世間的」では絶対にない。

英語にしたら共にsociety、communityかと思えば、世間は「the world」とか「people」「the public」となる。ニュアンスとしては、そこはかとない差がわかるような、わからないような。仏教用語では「変化してやまない迷いの世界」だそうで、もちろん凡人には理解不能。seigu先生に教えを乞おう。よしなに。

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2006年11月17日 (金)

タクシードライバー

若いころ、しばらくアメリカで生活した。前述のとおり、英語は不得意で、渡米当初は語学学校に通ったのだが、結構苦労した。いや、相当と言うべきか。先生(もちろんネイティブ)の話すことが8割方、聴き取れなかったし、「週末は何をしたか」という簡単な問いにも、うまく答えられない。情けなかった。

それでも、何はともあれ「駅前留学」ではないし、少しずつ上達はするもので「ビギナー」から「トップアドバンス」クラスまでレベルアップし、日常会話に不便なく。そして就職した。仕事になると使う言葉も変わってくるし、高度化する。相変わらずヒアリングは苦手だったが、積極的にラジオを聴いたりもした。なにしろ生活が掛かっている。

必死に努力した、ぼくにとって最も相応しくない単語だが。好きな商売でのこと、苦しくはなかった。と言うとウソになるなあ~。まあ、いまとなっては楽しい思い出ということで。ただ、トラウマ的出来事もあって。あるとき、出張で地方に行き、空港からタクシーに乗った。泊まるホテルの名前を告げたのだが、どうしても理解してくれない。何度言い直したことか。

在米4年目あたりだったと思う。困り果て、ついには紙に書き記し、やっと。だけど、通じなかったことがただもう恥ずかしくて。周囲の日本人は英語に堪能だったのだ。1970年代。駐米勤務はエリートの証だった。もっとも、思い返せば、あのタクシードライバー、英語をあまり解さない移民だったかもしれない。とでも慰めなきゃ……。
★タクシードライバー(1979「親愛なる者へ」)

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2006年11月16日 (木)

コマーシャル

1 2

こんな仕事しています。ということで画像を2点。肖像権の兼ね合いで高解像度ではなく。ご容赦。1枚目の中央の女性はけっこう有名なアイドルです。2枚目・壇上の4氏も著名人です。政治家が混じっています。ぼんやりと判るかな。2枚とも周囲はマスコミで、いわゆる「囲み取材」というやつ、ワイドショーなどでおなじみの1シーン。
★コマーシャル=「夜会VOL.8 問う女」オリジナル曲

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2006年11月15日 (水)

あり、か

さてと1周した。ぼくだけの感覚だけどね、ブログを始めて1か月が経ったというわけで。硬軟取り混ぜ、いろいろなネタを書いてきた。1日1本、守ったなあ~自分を誉めよう。自画自賛。いいじゃん、所詮、ぼくの日記。ここからは、随時更新にしよう。年末に向けて仕事がかなりの修羅場になるしね。

思いの外、コメントが付いた。いとうれし。いま現在、記事より多い数。意外だ。ほとんどヤラセみたいな相方は別にして、と言うと、怒られそうね、人格は別なのだからと。seigu先生は律儀な方だからオープニング祝辞はあるだろうと期待していたが、果たして幾度となく。感謝。見知らぬ方からも。実は知り合いの可能性もあるけれど。

アクセス解析ができるのだが、読み方イマイチで、トップページの「アクセス数」との微妙な差異は何? とか、モニタの種別が判明して、それでどうなるの? とか、何よりも「足跡」だけというのは、些か消化不良気味。あのカレやあのカノジヨたちは読みに来てくれているのかなあ。わからん。他のブログで、「きたよ」だけでもいいからコメントしてね、と。うんうん、わかる。

検索エンジンからの来訪者は面白い。たとえば「ショーケン」で引っかかったりするわけで。「功名が辻」ではわんさか。これはまだストレートな内容だったから少しは役に立ったかもしれないけれど「仲間由紀恵」をキーワードにした人はガッカリだろうなあ、「好きな女優」だとしか触れていないし。まあ、これは逆も真なりだけど。

そうそう、クイズの答え。ぼくがちょっぴりこだわっている「決め事」を逸脱した、というのは、わかる人にはわかること。最初のころは違うけれど、旅行記の前後から、タイトルに好きな歌い手の曲名やらフレーズを援用しているわけで。「明日の前に」(by吉田拓郎)は、でも、その少し前に「♪どれだけ歩いたのか覚えていません」というタイトルもあって。これ、「明日の前に」の歌い出し。つまり、二度使いしてしまった、ということです。

このあたりまでは、大した考えもなく、ただの冗談みたいな感じだった。存外、面白いかもと思って、以降、確信犯。前段は吉田拓郎で、現在は中嶋みゆき。明白すぎるかな。いつまで続くか、保証なく。けっこう自縛? 自爆? しそうだけど。ショーケンの話はタイトル先にあり。たまたま、その曲を聴きながらだったもので。今回は、逆に、最後まで悩んだ。その結果、いかが? こんなのも、あり、か、ってことで、ご容赦。

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2006年11月14日 (火)

命の別名

生き返ることを信じているなら死んじまえと暴論を吐いた。しかし、責任ある立場の大人は死んではいけない。卑怯だよ。裏金疑惑の関係者も含め、先生たち、あんたら、ズルイよ。死ねば、あんたは辛いことから逃げられる。もう悩まなくてもいい。すべての苦痛は消える。だけど、残された者たちは、どうするのさ。あんただけラクして、それでいいのかよ。

このぼくだって、生涯に一度だけ、自死を考えたことがある。「このぼく」というのは、知る人にしかわからないことだけど、知人・友人からしたら、絶対に自殺なんかしない楽天家だと思われているということ。そんなヤツでも、仕事でデッドロックに乗り上げることはある。八方塞に陥ったと悲観する。いかなる楽観論も想像できなくなる。

ふと死の誘惑に駆られる。オフィスのあるビルの5階、ここから飛び降りれば死ねるだろう、そしたら、いまのこの痛みからは解放される。こんな苦しみはもうイヤだ。そう思う瞬間があった。だけど、そんなことしても、問題は解決しないんだ。誰かが、ぼくのツケを払うことになるだけ。一死を副えられた人たちは、残された課題に向き合わなくてはいけないのだ。

そして、悲しむ人間がいるんだ。あんたにも愛する者がいるだろう、その人の心が切り刻まれ、号泣するんだ。こんどは、その人が絶望の海へと突き落とされる。その未来を暗黒にすることになるんだぜ。最悪の場合、後追いさせてしまう。あんたは、最愛の人の命まで奪うかもしれない。その責任が取れるのかよ。死を以ってしても贖えないものが、この世にはあるのだ。

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2006年11月13日 (月)

僕たちの将来

再び「たけしの日本教育白書」ネタ。かなり以前から主張しているのだがガキにケータイを持たせてはいけない。クルマ、飲酒・喫煙、一利はあっても害あるものは免許制ではないか。ケータイは究極の個人端末。自己責任そのもの。個の確立していない未成年に何の制限もなく持たしていいわけがない。もちろん大人だって同様だが。

電話機能だけだったらまだしも、間接的な伝達手段であるメールが諸悪の根源。21世紀のいまなお、活字(文字)への信仰が強い。「あいつがウザイ。シカとしよう」、メッセージは瞬時に抵抗なく多数に伝わる。文字は人を殺す。そのうえ、論理を飛び越える画像の恐ろしさ。こうした欠点をきちんと論議してこなかったのは、明らかに怠慢だ。

そもそも、売らんがための無料配布、そんなことが許されてよかったのか。携帯電話会社の責任は大きい。都知事も北野武も太田光も、そして久米宏までもが指摘しないのは不思議だ。大半の小学生が持つというのに有害サイトへのアクセス制限などを説明せずに契約する事実が少なくないそうだ。厳しく取り締まれるはずだ。何故やらない?

竹中某なる者を担当大臣に市場原理至上主義を導入し、あまりにも多くのことを商売にし、かつ商売優先にしたツケは必ず払うことになる。しかし、まだ間に合う。久米宏は「もう後戻りできない」と断定したが、クルマだって当初は運転免許などなかった。いまからでも、年齢制限を課すなど、できることはある。ぼくたちの未来は、ぼくたちが選ぶのだ。

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2006年11月12日 (日)

信じ難いもの

リアルタイムにこだわらないと言いつつ、テレビで特番「たけしの日本教育白書」を観た、その話。8割方は旧知の事実だったが、驚かされることもあった。生まれ変わりを信じているらしい子どもたち。微妙に死を恐れていない。人が死ぬことも自分が死ぬことも、平然と語る小学生。いじめの結果が自殺でも、そりゃ不自然ではない。暴論を言おう、だったら、みんな死んじゃえばいい。

そんなメンタリティでは、大人になっても簡単に人の命を奪うだろう。ちょっと気に食わないことがあっただけで。クラスの中でなら、虐めという共同謀議の構成者だから、まったくの赤の他人ではないが、社会に出たりしたら、道ですれ違っただけの、あなたやあなたの愛する人が被害者になるかもしれない。ぼくは、そんなヤツに殺されたくない。裁判では「殺しても生き返るのだから無罪」と弁明するに違いない。

成績優秀だったりすると罪は拡大する。官僚や為政者にでもなった日には、「庶民の苦しみ」なんて死語だ。過酷な政策を躊躇いなく進めるだろう。その結果、自殺者が増大しても、平気だ。って、あれ、すでに、そんな世の中になってるか……。ともかくも、究極の人殺しである戦争も恐れまい。安易に他国を攻めたがるはずだ。って、これも?

虐めて、自殺に追い込む、つまり殺す。虐殺という。無条件に否定すべきものが、そうはならない。太田光の、たけしの「赤信号、みんなで渡れば恐くない」は逆説なのに、それが出発点になってしまっている、との指摘は正しい。だが、だとしたら、そんな子どもをつくりだしたのは親、大人であり、この社会全体だ。我が祖国に未来などあるものか。

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2006年11月11日 (土)

瞬きもせず

ショーケンが好きだ。より正確には、GS時代ではなく俳優としての萩原健一が。近年は世間を騒がせ、ワイドショーでしか姿を見ることなく、それも消えた。惜しい。ファンはいまも存在するはずだろうに。みなさん、いまや伝説と化した「太陽にほえろ!」や「傷だらけの天使」に魅了されたはず。

アイドル時代に映画「約束」「股旅」で早くも異色の役者としての片鱗を見せ、「八つ墓村」や「影武者」では演技者としてのパワーを如何なく発揮していた。「居酒屋ゆうれい」で共演した室井滋も良かった。そのころには「大阪で生まれた女」でも関西フェチのぼくの心をわしづかみにし、「愚か者よ」もヒットした。

長い時間、カッと目を見開き、睨みつける形相が特徴で、一時は絶賛された。おそらくは、その、瞬きしない立ち姿、かの松田優作に影響を与えたのではないか。にもかわらず、捕まる寸前には、犯罪者ならではの様相として報道されがちだった。強烈な個性は、反動も大きい。世の中なんてそんなもの、とはいえ、残念である。

事情は異なるとはいえ、当時のもう一人のビッグ、ジュリーこと沢田研二も、ようやくブランクから脱したか、今年はNHKで渋い役を披露した。大阪出身のいしだあゆみと結婚したときは少し嫉妬したけれど、いまいちど銀幕で(実際にはDVDでだが)観たい。破天荒なヤツほど、面白い。「エビ売り」なんかとは無縁の消費者がここにいるんだぜ、スポンサー。

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2006年11月10日 (金)

明日の前に

例外はあるが、ブログの更新は夜中、日付が変わってからである。もともと日記のつもりではないから、その日の出来事をその日のうちに書く意図はない。それに、深夜はぼくの活動時間帯なので、うっかりしていると零時を過ぎてしまうに違いない。まだ来ない「きょう」の「予定稿」も書けない。リアルタイムには、ほぼこだわっていない。

さて。いま午前4時過ぎである。夏なら、そろそろ夜が白み始める時刻。1日が始まる。しかし、ぼくにとっては寝る時間、「きょう」はまだ終わっていない。「明日やるべきことは~」と思い浮かべる「明日」は日付としては11日の意味ではない。10日・金曜日のこと。だから、「ぼく的」には、明日は未だ始まっていない、この瞬間。

「明日」という日は、目覚めたときに出現する。たとえ午後になっていたとしても。そのため、極端な場合は、起きてから最初に食べる食事は「徹子の部屋」を見ながらでも「朝飯」ということになるが、それでは、昼飯を食べないままに夕刻に会う「カタギ」の人を混乱させる。ということで、「第1食」と呼ぶことにした。

が、浸透しない。てゆか、よけいに戸惑わせるみたいで……。そりゃそうだよなあ~とも思う。ツライところだ。って、ぼくだけの問題なのだが。

ところで、本日のタイトル、ぼくだけがこだわっている「決め事」にちょっと「違反」しているのだが。おわかりの人はいるだろうか。よろしかったらコメントください。

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2006年11月 9日 (木)

元気です

昨夜はブログ更新できず、倒れるように寝た。昨夜って、いつ? 日にを明示しようね。8日は9日になる寸前に帰宅できたのだが、さすがに日記を書くだけの力が残っていなかった。でも、きょう9日は、お昼まで熟睡。久しぶりに相方がお好み焼きをつくってくれた。美味。元気になった。ありがとね。人間、旨いものを食えば、大概のことは乗り切れる。

あぁ、「久しぶりに」は「お好み焼き」に係るのだが。当然といえば当然だね、夏の暑い時期にはあまり食べないよなあ。ということで、ホットプレートのコードが見つからない。記憶力減退のぼく、「この前はいつだったけ?」「冬だった」「半年前か。その間、一度も使ってないわけだ」。結果、収納場所を思い出したから事なきを得たけれど……。

コードなんかはまだいいのだが(とは言い切れないか、けっこう大切ではある)、これが日本語の場合、困る。本業なのに、と情けなくなる。それも、難しい四文字熟語ならまだしも、ふだんから使っている言葉が出てこない。簡単な単語が。でも、よくよく考えた。実は、あまり口にしない言葉なのだ。明確に記憶している言葉ではないのだ。そもそも、必要ではない言葉なのだ。

専門家でもなし、そう断言してはやや不正確かもしれないけれど、浮かび上がってこないにはそれなりの理由があるのだと思う。その言葉の意味を十分に理解しておらず、口にしようとしても、曖昧で、そのときに言いたいことに相応しいとは限らず、記憶パルスが反応しない、つまり、リンクが切れているわけだ。だから思い出せない。と、結論する。誰が何と言おうと……。

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2006年11月 8日 (水)

自由になるって……

つくづく因果な商売だなあと思う。タイムスタンプでおわかりだろうが、いま朝の8時過ぎ。早起きしたのではない(早くもないか……)。昨日の続きなのである。月に一度の「修羅場」で、一般的な言葉でいえば「〆切り」というやつで。って、依然、専門用語かな。とにかくも、本日がリミットの作業がやっと終わったところ。

もう1日前に着手していれば、と毎度の後悔、先に立たず。いや、ま、多少の弁解すれば、マニュアルなど存在しないオペレーションなので、夕焼け見つつ「正直者の頭に神宿る」と微笑むときもあれば、好事魔多し、順調に進んでいたのに突然トラブル発生、日付を越えることも。単純にはいかない。そこんとこに、しかし、些かの楽しみ感じたりして。

職種的にはずっとほぼ同じだが、それでも会社勤めのときは上司もいればチームという枠もあり、何人かと夜明けを迎えるわけで、雰囲気は違う。それに、オフィスでのこと。こうして、自宅で、一人で、となると、脱出の喜びも我が身ひとつで感じるしかなく。俗に「自由業」と呼ばれる立場だ。が、何が自由なんだろうね。何から自由なのかな。

そのうえ、きょうは午前に1件、午後にも2つ、所用あり、つまり、このまま出掛けなくてはならない。ふだんなら数時間でも寝られるのだけど。夜も遅い帰宅の見込み。齢半世紀強。さすがにツライ。以前は幾ばくかでも徹夜する己に酔いもしたが。ただ、明日の予定は真っ白だ。朝寝朝酒朝湯、何でもござれ。「自由」を実感する一瞬である。

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2006年11月 7日 (火)

やさしい悪魔

ブログに関しては新参者だが、メールは、かれこれ17年。始めたころは、なんじゃそれ? という反応ばかりで「電子メール」だとか「e-mail」と説明しても、相手をよけいに混乱させていた。このブログの運営会社、ニフティでアドレスを取った。以来、変更していないので、メルアドを示せば、わかる人にはわかるだろう、その古さが。

最近では、しかし、無前提に公表しにくい環境になった。ジャンクメールが殺到してしまうのである。どちらさんも経験済みでしょ? まったくね……。名刺に掲載したのは10年前あたりか、仕事で使っているので、いまさら匿名でもないのだが、スパムを含め、半端じゃない状況だもんなあ。もちろん防衛策は講じているけれど。

滅多にメールのやりとりをしない相手に送ると、ゴミ箱行きになってしまったり。タイトルに工夫していても、うまく届かない。こちらだって、「こんにちわ」だの「この間はどうも」みたいなのが来ても開封しないのだから、あまり文句は言えない。「おひさしぶり」なんて即削除、ん? メルアドに何となく見覚えが……、恐々開けてみると知り合い。「紛らわしいぞ」と注文をつけるのだが、ヘビーユーザーではないためか、通じない。

メール経由のウイルスに汚染されたことはない(はずだ)が、この悪魔、見た目にはやさしそうだからなあ。数か月前、「○○へ」とぼくの実名をタイトルにしたケータイ・メールが届いた。差出人に心当たりなく。だけど、まさか、こんなジャンクはあるまい。勇気を出して、読むと、母親からだった。フェイスマーク入り。オフクロとメールするようになるとは、予想だにしなかった。スゴイ時代である。

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2006年11月 6日 (月)

地下鉄にのって

こんなタイトルを、このタイミングで出すと、多くは映画を想うかなあ~。いや、読み手の年齢によるか。あぁ、待てよ、それだけだと、ほとんどダブるかも。どっちだろう……。と、書き出す前にブツブツつぶやく書き手。スンマセン。きょうのテーマは、歌のほう。というか、かつて70年代前半に「猫」というグループがいたという話。

代表曲は、個人的には「雪」だと思うけれど、季節がまだ秋なので、そこんとこは冬になったら取り上げようと、で、地下鉄のほうを選び、曲名やらを確認しようとネット検索したら、ズラズラとヒットしたのは「地下鉄(メトロ)に乗って」。なるほど。この映画、公開直後だし、なんか毎日、宣伝CMをテレビで見ていたしなあ。

原作が浅田次郎で、ぼくと同年齢(一部には旧知の事実だけど、やつは同級生)だから、その年代なら、歌も映画もどちらも、という人は少なくないだろうね。やつも承知で「メトロ」と注釈したのかも。新人賞を受けた作品だけど、ぼくとしては大して魅了されず、『日輪の遺産』のほうが好きだ。と、やつの話はおいといて。

猫が、30年ぶりに再結成し、この夏だかに、こぢんまりとしたライブを行なったらしい。これは見たかった、聴きたかった。もともとテレビなんかには出てないはずだし、顔も覚えていないし、拓郎のバックバンドもやっていた、男4人組という程度の知識しかなかったし。その記事を読んだら、一人、欠けていた。そういうこともあるだろね。世代がひとつ回ったんだもの。

四角佳子もゲスト出演したらしい。もちろん、拓郎の最初の奥さんね。おっとっと、前フリだけで1日分の枠を消費してしまった。本当は、関連して、10年前くらいに小室等のミニライブに行って目の前で見たんだ、とか、テレビの番宣でこともあろうにマイペースの「東京」を耳にした衝撃、とか、同級生といやぁケメもそうなんだ、とか書きたかったんだけど。またこんど。

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2006年11月 5日 (日)

人間なんて

映画「博士の愛した数式」を観た。未だの人、ゴメン。記憶が80分しかもたない、といったメインプロットより深津絵里の演技の素晴らしさより、何よりも数字の美しさに心底共感した。素数だの完全数だの友愛数だの、220、284の約数が……などといったセリフに歓喜、あらためて、自分が数学(算数)好きだったことを思い出した。いまは文章を書く仕事をしていて、大学も文科系だが。

かつては理数系だったのだ。小学生のころ、国語や社会の成績は決して良くなかった。算数は学習したという記憶がなく、それでもトップクラスだった。ケアレスミスさえなければ満点なのにと親は嘆いた。中学に入ってからも数学は得意科目だった。幾何の授業は楽しかった。証明問題が好きだった。「数Ⅰ」になって挫折した。途端に理解できなくなった。ことさら勉強などしたことがなかったわけだから、その方法がわからず、成績の急落に戸惑っているところへ、微分・積分がやってきた。諦めた。

そのうえ、物理・化学の数式にも苦労。ピタゴラスの定理とかフレミングの法則とか、そういう概念には魅了されていたのに、高校時代は常に赤点ギリギリ。一方、文学と歴史に目覚めた。小説家を志望した。読書量が急増した。成績表は、見事なまでにメリハリがついていた。私立の文学部しか選択肢が無くなった。

現在の職業は、あたかも、その延長線上にあるように思える。が、この道しかなかったのだろうか。思えば、父親は工学部。暗算は得意だ(った)。年号の丸暗記は苦手。果たして、これが「天職」だと言えるのか。いまさら医者にはなれまいが、半世紀を生きてきて、なお自分の未来は確定していない。人間の可能性なんてものに限界はないのかもしれない。

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2006年11月 4日 (土)

夏休み

世の中は三連休だそうで。当方、カレンダー通りに仕事を進める世界から逸脱して久しく、ニュースを見て「あぁ、そぉかぁ~」と。いまも、月例の作業ピークに向かいつつ、ドタバタしている。おおむね月初なので、5月のゴールデンウイークとも縁遠い。年末から正月にかけて働いたことも。

さて、タイトルの話。季節外れではあるが、このブログが来夏まで続く保証はないし、忘れないうちに書いておく。ときおり、テレビのキャスターらが9月央ばあたりに「遅い夏休み」を取ることがある。休暇旅行ならハイシーズンの特別割り増し料金を適用されなくて、羨ましいね、とは思うものの、本人はいいとして、配偶者や親または子どもがいると必ずしも、一緒に、とはなるまい。

連れが月~金・9to5の「カタギ」の会社員だったら、一応は有給という手はあるけれど、学童期の子どもに学校を休ませての家族旅行はツライだろう。日帰りで行楽地への場合、週末になってしまうのではないか。存外、季節外れのオフのメリットは少ないのかも。もちろん、独身者であればノープロブレムだが。

世間は、しかし、「普通の人」がマジョリティなので、8月の15日周辺には特別イベントが多く、楽しそうな催しも土日に集中している。せっかく、水曜日とかを休みにしても、観光スポットの定休日に重なったり。遊興施設の特別プログラムに興味があっても、8月の10日からの1週間限定、となれば、検討の余地は無い。悲しいね。

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2006年11月 3日 (金)

♪どれほど歩いたのか覚えていません

本日は、地方の方にはピンとこない話題。ご容赦。大阪市内で生まれ、1歳のとき父親の転勤で上京、30歳になり初めて住民票を埼玉県に移した。それまで、渋谷駅を中心に半径3キロが生活圏だった。世田谷などの城西、渋谷などの城南、この2つの地区がぼくにとっての東京。いわゆる「山の手」である。

新宿・池袋の繁華街はオトナの街で憧れたが、そこから向こう側に関心は無かった。東京駅は大阪への窓口で、子どもには丸の内・大手町エリアは遠く、まして電気街アキバは無縁。上野駅は歌の中の世界で、さらに北部は霧にかすんでいた。銀座には行ったことがあるにしても、昭和通りまで。区で言えば台東・江東などは「下町」という別な街。浅草は観光スポット。

城南といっても品川や大崎など、ここ10年ほど再開発の進む地域にもあまり馴染みはなく。でも、渋谷界隈は庭だった。中学・高校へは、ここが中継地。学校帰りに、よく遊んだ。大学もここ。金のない学生時代、歌舞伎町で呑んでいて、終電を逃したら、歩いて帰宅した。渋谷・センター街からの徒歩帰宅は日常。ある時期、中目黒に日参した。深夜または未明、恵比寿の自宅まではもちろん歩き。

ホントに、いつも歩いていた。太れるはずがない。すで喫煙・飲酒の悪癖に染まっていたから、健康的とは呼べないけれど、カロリー消費量は相当なものだっただろう。限りなくSに近いMだった、って誤読しないよーに、服のサイズのことですから。専属「料理人」ができてから体重は増加の一途。階段よりエスカレータ・エレベータを選ぶようになり、タクシーの味を覚え、そして、いま、恐くてセンター街を歩けなくなった。

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2006年11月 2日 (木)

旅行外伝

最も古い旅の記憶、それは未就学時、親と一緒の熱海温泉。でも、詳しいことは何も覚えていない。事実ではあるけれど、それは、たぶん、のちのちの、写真を見ながらの後付けだろう。小学校からは、臨海・林間学校などに何回か行っているわけだが、思い出はとくには残っていない。

中学になると、さすがに、多少は浮かび上がるもの有れど、たいていは級友絡みの、まあ、エピソードと呼ぶような内容だ。修学旅行の京都や奈良も、消灯後の悪ふざけなら幾つか、でも神社仏閣などについて語るもの無し。ちなみに、近畿地方には30代以降に仕事でたびたび訪れることになるのだが、印象はまるで違う。仕方あるまい、ただのガキだった。高校の修学旅行は九州。阿蘇山、う~む。宮崎、ふぅむ……。それから? 忘れている。

大学生。これは、逆に、覚えてはいるけれど話せないことが多くなる。ろくでもない旅ばかりだったし、ぼくのプライバシーだけではないからね。あっ、一人旅なら、いいか。2年生の夏休み、上野から夜行列車(もちろん寝台にあらず)に乗って、朝早く、金沢に着き、兼六園などを巡り……、いやいや、そこから先は書けないなあ、なぜって、連れができちゃったから。

社会に出たあとは、出張を含めれば、それこそ全国へ。空白県は沖縄と、あと2つ3つくらいでは。海外にも何度か。初体験は家族とハワイへ。23歳だったかな。これが、実は、その後の人生を大きく変えた。そして、次は、スーツケースひとつでアメリカに渡り、そのまま居住することに……。この話はもはや「旅」カテゴリーではないね。

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2006年11月 1日 (水)

「まつりのあと」

「温泉旅行記」終わりました。お読みいただき、深謝。未読の方、お急ぎを(^^;) いや、ま、そのぉ……、造詣も何も深くない輩の、ときに「アジ」も含んだ、勝手な言い草ですからね、専門性の高いサイト・ブログに比べたら、単なる読み物、大した情報価値はないかもしれません。記述は、まったくの感想、客観性を求めないでくださいよ。人それぞれに感じ方は異なるものですし。当方のことをご存じであれば、ところどころでニヤッとされたかも。そういう楽しみ方も、もちろんご自由に。

交通費を含めて1人5万円少々。ちょっぴりの贅沢です。時期は9月下旬。紅葉にはやや早く、ですからシーズンオフなのでしょう。ピークのときには混み合うのかもしれません。混雑は嫌いです。長時間待つのは苦手です。そういうタイミングしか選べないことも少なくありませんが、旅は、やはり、文中で繰り返し申し上げたように「非日常」が醍醐味だと思います。あわてず、のんびり、まったりと。

書くことは本職ですが、いささか苦しく。取材ではないのでメモをきちんとは取っていませんし、訊きたいことも確認ていどに。深く質問したい欲求を抑える場面、何回か。そもそも、旅行記のための旅でもなく。二人分の記憶は、その点、大いにありがたく。画像にも悩みました。記念写真では読み手に不親切。とはいえ、データ収集に奔走していては本末転倒。先人のご苦労には、ただただ平伏。

とはいえ、こうして、多少なりとも正確に詳細に、自分たちの旅を振り返る機会は、これまでなく。以前の旅行についても記してみようかな、などと不埒なことを。あぁ、でも、あんな××な写真を公開するわけにはいかんしなあ……。とくに風呂の画像は門外不出だったりして……。

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